炎の烙印-前篇-
実は少し前からこんなことがよくあった。
まず顔が近い。
気がつくとすぐ目の前に整った顔が、くっつきそうな至近距離にあることが度々あった。
それも息が掛かるほど。
気になると、いろいろ気がつく。
むろん、嫌なわけではない。
もともと虎徹は人懐こいところがあり、どちらかというとスキンシップは多めだと思う。
むしろそれを嫌がるのはバーナビーではないかと思うのだ。
だからおかしいと感じる。
そして、あれは数日前のことだ。
連日の疲れもあって、今日のように酔って寝込んでしまった時。
ふと目を開けるとバーナビーがちょっとバツの悪そうな、けれど何か言いたそうな顔で虎徹を覗き込んでいた。
その頬が、少し赤いような気がして・・・・・・
熱めのシャワーを頭から浴びながら、虎徹はその時のことを思い出して無意識に唇を指で触った。
その時感じた、違和感。
唇が腫れぼったい感じがしたのだ。
そしてその感触には、覚えがあった。
「いやいやいや、まさかね・・・・・・」
ないない、と頭を振ってシャンプーのポンプを押して、わしわしと髪を洗う。
「あんなイケメンが、何が悲しくてこんなオジサン相手に・・・・・・」
自分で言って、思わず赤面してしまう。
「ってか、オレが欲求不満なの?うわ、妄想とかだったら超恥ずかしい」
全身泡だらけで身もだえする羽目になった虎徹は、鏡に写るそんな自分に突如悲しくなった。
やめよ、ありえないし。
ともかく今日は、替えの着替えもなくなったし、一度帰るか。
そう決意して、早々に身体と腐った妄想を洗い流した虎徹は、すっかり酔いの冷めた頭をブンブン振ってシャワールームから出たのだった。
「ボンジュール、ヒーロー」
いつものアニエスの呼びかけから始まるヒーローのお仕事。
ある意味ホッとする。
最近、小さな事件だとロイズが勝手に断ってしまうので(どんなに抗議しても無駄だった)、今回の事件はかなりの大物なのだろう。
雑誌のインタビューの最中にかかってきた緊急コール。
ロイズの元にかかってきた電話も、急を要するものだったんだろう、「すぐに向かって」と幾分緊張気味の声だった。
むろん、言われるまでもなく虎徹は現場に急行すべく立ち上がった。
「トランスポーターを現地にお願いします」
後方でバーナビーの声がして、ロイズがそれに応えて携帯をかけている。
「どうやら花火工場で火事があったらしい」
バイクに乗り込んで現地に向かう途中、運転をしているバーナビーに代って情報収集していた虎徹が唸るように言った。
「花火工場・・・・・・」
「それこそドンパチ騒ぎのようだ」
もうすぐ花火シーズンまっさかりなのだ。
どれだけの火薬が工場内にあったのか想像に難くない。
「現地の状況は?他のヒーローはもう到着してるんですか?」
「んーと、ああ、ブルーローズがまだのようだ」
ヒーローTVのアナウンスを聞きながら、虎徹は「今、ちょうど学校の時間だもんなー」とか呟いている。
氷の使い手であるブルーローズの遅れは、火事には命取りだ。
フットワークのいいスカイハイが救助活動に精を出しているようだが、いかんせん工場は広大でなにより行く手を阻む炎が厄介だった。
炎の使い手のファイアーエンブレムだって、別に炎の中で不死身とかいうわけでは決してない。
しかもいつ爆発するかわからないという状態では、なかなか救助活動も進まない。
ヒーロースーツを着ているヒーロー達でさえ、こんな状態なのだ。
もはや一般人にどうこうできるレベルを超えていた。
消防車は盛んに薬剤入りの放水を繰り返しているが、それこそ焼け石に水状態である。
こうなると燃え尽きるのを待つというのがセオリーなのだが、なにせ要救助者がまだいるというのがネックだった。
炎に遮られて、逃げられない人々がまだ若干名工場内に取り残されている。
ロックバイソンが瓦礫をどかしながら、じわじわと進んではいるもののこのままでは要救助者は焼け死んでしまうだろう。
「くそ、虎徹たちはなにをやってるんだ」
次々と瓦礫をぶん投げながら、アントニオがぼやく。
たった5分とはいえ、ハンドレットパワーというのは超人に値する力だ。
しかも、彼らのスーツは他のヒーローたちにくらべても優秀である。
彼らが到着すれば、かなり楽になるのは間違いない。
ドオー・・・ン!
そんな時、ひと際大きな爆発があった。
せっかく避けた瓦礫が、ガラガラと再び行く手をふさいでいく。
「すまん、遅くなった!」
爆発に押し戻されるようにヒーローたちが後退したとき、虎徹とバーナビーが到着した。
「おせーぞ、虎徹!」
「これでも超特急だったんだよ・・・・・・で、アニエス状況は?」
耳の通信回線をオンにすると、いつもと打って変わって沈痛な声が返ってきた。
『最悪よ、情報によるとこの炎の延長線上に最大の火薬庫があるとの情報が入ったわ』
「げっ!マジかよ、そんなことになったら・・・」
『そう、そんなことになったら要救助者はもちろん救助活動している人たちも危ない。実際、ヒーロー以外の一般人は撤退を始めたわ、消防隊員も含めてね』
「スカイハイは?ここにはいないようだが」
『彼には、まだ火の回ってない反対側の避難を担当してるわ。火さえ上がってなければ、彼は上空から避難させれるから』
「で、こっちにも要救助者はいるわけだな」
スカイハイ以外のヒーローがこちらにいるということは、つまりはこちらのほうが事態はより深刻ということだろう。
『火薬庫のすぐ手前の防火施設に一名。火事ぐらいなら、たぶんそのシェルターにいるほうが安全なんだけど、その先の火薬がすべて爆発したらそのシェルターでも耐えられるかどうか』
「・・・・・・ブルーローズはまだか?」
『ブルーローズが来ても無理よ。これだけの炎を一気に鎮火するなんて無理・・・』
「あ、ブルーローズきたよ!」
待機していたホァンが声を上げた。
しかし、同時に耐火機能が弱いスーツのヒーローに避難勧告が出された。
せっかく到着したブルーローズだったが、むろん彼女は避難の対象である。
「悪い、ブルーローズ。得意の氷、一撃だけ頼むわ」
「え、どうするつもり?」
「もちろん、この先に進む」
これには全員が顔色を変えた。
もう、どうにかできるレベルを超えている。
たしかにハンドレットパワーをまだ出してない二人は、ある意味最後の希望とも言えたがはっきりいってイチかバチかといったところだ。
「虎徹さん、見取り図のデータを送ってもらいました。この2区画先です」
全員に反対されると思っていた虎徹は、びっくりしたように相棒を顧みた。
「なんですか?早くしないと、一分一秒を争いますよ」
「お、おう!」
さすがはオレの相棒だ!と笑顔全開で答えたら、おじさんは一度言ったらきかないでしょう?と、いつものすまし顔でスゲなく返された。
思わずがっくりと肩を落とした虎徹だったが、すぐにブルーローズに合図して炎の行く手に道を作ってもらった。
たぶん、逆巻く炎を凍らせるのは一瞬だけだろう。
だが、ハンドレットパワーを発動した二人なら、くぐりぬけられる。