見えない真実
かすかな気配を感じて、ロイドはすぅっと目を開いた。一緒に寝ると駄々をこねた少女が深い眠りについている事を確認して、起こさないようにそっとベッドを抜け出す。だが目に入った時計の表示に武器へと伸ばした手は止まり、ロイドは小さく首を傾げた。ドアの向こうにある気配へと視線を向け、そのまま足音を立てないようにそちらへと向かう。
細くドアを開けて廊下の様子を伺うと、そこに立っているのは想像したとおりの人物。静寂と共に佇んでいる男を見上げ、ロイドはほっと息を吐くと同時に廊下へと出た。後ろ手にドアを閉め、目の前の男を見つめる。
「何かあったのか?まだ交代の時間じゃないよな。」
ロイドの問いには答えず、ランディはただじっと彼を見つめていた。その瞳は深い闇色に沈み、普段の明るさは欠片も見えない。表情を消した男の様子に、ロイドの顔にも困惑が浮かぶ。
「ランディ?一体―」
「引いたよな。……軽蔑、しただろ?」
重ねて問おうとした時、ランディが口を開いた。今まで聞いたことのない低く押し殺した声は、怒りを耐えているようにも悲しみに沈んでいるようにも聞こえる。
ロイドは唐突な質問に一瞬目を見開いたが、すぐにその意味を理解して表情を改め、ランディを睨み上げた。
「それ、本気で言ってるのか?」
「……ああ。」
目を伏せて頷く男を暫し睨み、ロイドは深いため息を吐いた。息と共に肩から力が抜け、顔には苦笑が浮かぶ。
「あのなぁ、その話ならさっきもしただろ?皆も言っていた通り、ランディは支援課の仲間だ。過去は関係ない。それ以上言うと本当に怒るぞ。」
目尻を下げ子供に諭すような口調で話すロイドを横目で見て、ランディはすぐに目を逸らした。だらりと下ろされた腕に力がこもり、ぐっと拳が握られる。
「オレが……オレが、お前の兄貴を殺した犯人だとしても、か。」
「っ!」
囁かれた言葉に、どくりと心臓が強く鼓動を刻んだ。頭を殴られたようなショックに、ふらりと一歩、よろけたところで踏みとどまる。一瞬にして顔色と表情を変えたロイドの前でランディは顔を上げた。強ばった表情のロイドの瞳を覗き込み、冷えた視線のまま暗く笑う。
「なぁ、どうなんだよ。」
「……ランディが、兄貴を?……本当に?」
「さぁ?どうかな。」
「ランディ!」
はぐらかすような答えにロイドの視線が剣を帯びる。かっと全身の血が沸騰するような激情に任せて、胸元を掴み上げその勢いのまま壁に押し付けた。抵抗の素振りも見せないランディにロイドの中に怒りを超える悲しみが湧き上がる。
「違うって言ってくれないのか?いつもみたいに冗談だって……言ってくれよ、ランディ!」
「……悪い。」
「ランディ!」
まるで悲鳴のような声が廊下に響く。それを聞きながら、ランディはゆっくりと天を仰ぎ見た。ロイドの視界からランディの表情は見えなくなり、感情のこもらない静かな声だけが、その場に落ちる。
「初めてだよな。お前のそんな……取り乱した顔。」
「…………」
「自分でもわかんねーんだよ。ガルシアのおっさんが言ってた通り、オレは昔猟兵団にいて……人を、殺してた。そうやって生きてきたんだ。……お前の兄貴がその中にいた可能性は、ゼロじゃない。」
喉の奥で嘲い、ランディは細めた目で自分の胸倉を掴むロイドを見下ろした。その瞳は冷たく凍っている。創立祭の初日、旧市街でのレースの後に過去について話していた時と同じ、いやそれ以上に凍えた、この世の全てを諦めたような眼差しに、ロイドの手がわずかに緩む。
次の瞬間、視界が回った。ぐるりと目眩さえ覚える勢いで揺れた世界は背中が固いものに打ちつけられる痛みと共に止まる。先程とは逆に自分が壁に押し付けられたことを悟り、ロイドは眉を寄せて目の前の男を見上げた。
「お前はどうなんだよ。」
「え……?」
「もし、俺が本当にお前の兄貴を殺した犯人だったら……お前はどうする?」
「っ!」
「今まで通り俺の前で笑えるか?……それとも仇を討つか?」
「そ、それは……」
「……なぁ。俺は、お前のそばにいてもいいのか?」
普段は明るいスカイブルーの瞳に暗い影が落ち、苦しげに細められる。その瞳を見つめ、その言葉を聞き、ロイドはようやくランディの真意を悟った。彼が求めているのは支援課リーダーとしての言葉ではない。ロイド・バニングス、個人の言葉なのだ。
自分の鈍感さに内心舌打ちしながら、ロイドはランディを見上げた。
「一つ、聞かせてくれ。……その、昔のターゲットの中で、苦戦した相手はいる?」
「苦戦だって?……そんなやつ、いねーよ。」
「……そう。」
自嘲するように顔を歪めるランディに頷き、ロイドは小さく息を吐いた。自分の喉元を押さえつける腕に手を置き、それを外させながらゆっくりと口を開く。
「もしものことなんてわからない。……でも今の話を聞いて、ランディは犯人じゃないと確信できた。」
「え?」
目の前で、虚を突かれたようにランディの目が見開かれる。どこか幼く見えるその表情を見つめながら、ロイドは笑みを浮かべた。
「前も話した通り、兄貴は弟の俺から見ても凄い男だった。そう簡単に殺されるようなことはなかったと思うんだ。犯人はきっと苦戦しただろうし、もしかしたら傷を負ったかもしれない。……そんな兄貴のこと、犯人が覚えていないなんてありえない。」
「は……そんな理由……」
「身内の欲目が入ってることは否定しないけどね。でも一応、被害者の能力を鑑みての推理だよ。」
「…………」
「兄貴はランディにやられたんじゃない。ランディなんかに簡単に負けるような人じゃないんだ、ガイ・バニングスって男はね。」
きっぱりと言い切って、ロイドは真っ直ぐランディを見つめた。その瞳に乗せた祈りにも似た感情が、非常灯に照らされた薄暗い廊下できらりと輝き、ランディの心に差し込んでいく。それは次第に彼自身を照らす大きな光へと変わり、ランディは困ったように眉を寄せた。
「俺なんかに、か。なんか盛大にノロケられた気分だな。」
「そ、そうかな。」
「ああ。お義兄さんに妬いちゃいそう……でも、サンキュな。」
どこかぎこちなさを残しながらも、口調や表情、全身を覆う空気から張り詰めたものが消えていく。ランディを取り巻く空気がいつものような穏やかなものに戻るのを感じて、ロイドはほっと息をついた。と同時に、壁に追い込まれたままの体勢が急に気恥ずかしくなってくる。
解放を促すために身動ぐと、小さくくすりと笑う声が聞こえ、男の垂れ目気味の目元に苦笑が浮かんだ。絡んだ視線に引き寄せられるようにランディがゆっくりと距離を縮め、ロイドもそれに合わせて瞳を閉じた。