なつかげ
この季節になるといつもそうなんですが、とエステリーゼがユーリの前まで紅茶を運んで来て口を開いた。
帝都ザーフィアスの城のとある広すぎる一室。エステリーゼが纏う色は相も変わらず柔らかなあたたかな色で、着ている服は旅をしている時の戦闘体勢に入れるような服ではなく、ひらひらと長い薄着のドレスだった。
この姿こそエステリーゼのあるべき姿なのだと、そのおっとりとした動作を眺めながら、ユーリは彼女と初めて出会い、この城を抜け出した時のことをふと思い出した。
人々の生活に変化を来たして数年。
今や帝都に来ること自体が久しいユーリは、しばらく会わなかったエステリーゼが少しだけ大人びて見え、あれからどれくらい経ったっけか、と記憶を辿る。もう随分昔のことのようにも思えたが、あの旅の出来事はまるで昨日のことのように思い出せた。
こと、とテーブルの上に置かれた豪華な装飾が施された陶器の音を聞きながら、ユーリは慣れない間取りの部屋の窓へと視線を移した。日差しの強い光を取り込む窓に、彼女に似合う色が散りばめられた部屋は、一言で言ってしまえば恵まれている。
置かれている家具から絵画、ベッドにテーブルなど、下町育ちのユーリの暮らしはけして楽だったわけじゃないから皮肉を交えてしまえば、やはり彼女は”お姫様”だった。
しかし、あの出会った日から比べると彼女は随分好い意味で皇族らしくなったと、柔らかな色彩に包まれた部屋の中でユーリはそう感じる。
エステリーゼは自分の分の紅茶を置いて、ユーリの向かい側に座った。そしてテーブル上に散らばったきらきら光る硝子細工の小さな玉たちを集め、テーブルの真ん中に置かれている花瓶の中に大切そうに落としてゆく。
ぽろぽろとエステリーゼの傷ひとつないきれいな指先からこぼれてゆくいくつもの光のような硝子細工は、同じ硝子で出来た花瓶の底にゆっくりと落ちると不思議な音を奏でた。
エステリーゼはそれを、星がこぼれる音のようです、とひとり楽しそうに笑ったが、残念ながらユーリは星のこぼれる音は聞いたことがない。
不思議そうに首を傾げると、エステリーゼはそんなユーリにいつものように優しく笑って見せた。そして小さく肩をすくめて、だったらいいなあって思いませんか、と微笑んだ。
ユーリはいつもらしからぬエステリーゼの仕種に少しだけ驚き、何度か瞬きを繰り返し、また首をかしげた。エステリーゼはお返しといわんばかりにユーリの仕種を真似て、最後の小さな硝子細工の玉を花瓶に入れ終わると、あの人がそう言ってました、と花瓶に挿してある花をひっそりと撫でた。
「あの人?」
「はい。あの人、です」
開け放した窓からぬるい風が入っていて、長く黒い髪をさらりと揺らす音とユーリの愛刀に付いている鈴の音を聞いたエステリーゼは少しだけ目を細めて、私もつい最近知ったんです、とふわりと揺れたカーテンの向こうへと視線を移して、どこか遠い目をしながらゆっくりと瞑想するように瞼を閉じた。
まるで脈路のない話の切り替わりだったが、ユーリにはちゃんと話は続いているように思えた。
「キルタンサスの花がたくさん、咲き誇っている場所があるんです」
良い香りのする紅茶の匂いがユーリの鼻についた。生ぬるい風が頬を滑り、柔らかな桃色の髪をその風で揺らすエステリーゼを見ながらユーリは浅く息を繰り返す。
キルタンサス。
名前を聞いた瞬間、頭の中に過ぎった姿があった。きっとエステリーゼの言っているあの人のこととはあの人間のことだろうと検討をつけたが、ころん、と水の中で静かに転がった硝子玉を一瞥してユーリは小さく笑みを作った。
「星がこぼれる音って?」
「はい」
「以外に詩人なのな、あのおっさん。でも胡散臭さがすげえする」
そう呆れたようにユーリがため息をつくと、エステリーゼは楽しそうに笑った。
紅茶を一口飲み込み、ゆっくりとそれを美しい刺繍のコースターに置いてから、それから、と物語を語る時の口調でユーリを真っ直ぐ見つめた。
「ユーリのよう、と」
赤く燃えるようなキルタンサスが挿された花瓶の底にたまった硝子玉は、きらきらと窓から薄く差し込んでくる陽の光りに反射していっそう輝く。
ユーリはその眩しく綺麗なそれへと手を伸ばし、花瓶越しに手で触れる。ひやりとした温度が指先に伝わり、その中で眩しく光る硝子たちに苦く笑ってから、オレはそんなきれいなもんじゃねえよ、と空いている手のほうでカップを取り、紅茶を飲んだ。
エステリーゼはそんなユーリに言う。
あの日、ユーリが人を殺したのを知った日のように、やさしく微笑みながら。
「ユーリは、ユーリだから良いんです」
その言葉に花瓶の中の硝子が共鳴するように、不思議な音をこぼした。