なつかげ
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城を出て街に下れば、大橋の下、水路を挟んだ道端に並んでいる露店の売り子たちが客寄せの声を張り上げはじめた。
空を見上げれば、まだ太陽は高い位置にある。
こんな時間でも売り込むんだな、と思いながらユーリは橋の上からそれを眺める。そこには値切りをはじめる客や、どの地方で採れた野菜だのという会話が聞き取りにくいざわめきの中で行われ、穏やかな光景が広がっていた。
「もう、いいのかしら?」
「挨拶もそれとなく終わったし、いいんじゃねぇか」
ほんの少しだけ熱を孕んだ風が肌を滑り、ユーリの隣にいるジュディスの青い髪を揺らした。
ジュディスはユーリのその言葉に納得していないかのように少しだけ目を眇めたが、橋の下に並ぶ露店を眺めていたので気づかない。橋に背を預けるように立っているジュディスは、高く青い空へと視線を上げて、ふうと息を吐いた。そうして突然思い出したかのように、口を開いた。
「そういえば」
「ん?」
「リタが、探していたわ」
「誰を」
「レイヴンを」
「ふーん」
ユーリは気のない返事をしたが、ジュディスはちらりと露店を見ているユーリの横顔を眺め、そして左手に握られている刀へと視線を落とす。そこにはいつからあるのか、小ぶりの鈴がついており、ユーリが刀を扱うたびに澄んだ音を出し鳴り響くようになった。魔物を討伐にするにせよ、人を脅すときに使うにせよ、人を殺すにせよ、鳴り響く。
まるで戒めのよう、とジュディスは人知れず思ったが、あえて口にすることはない。これをユーリに与えた人の真意をジュディスはちゃんと知っていたからだ。
ここに居る、ユーリのためだと。
だから。
「鳴らしてみたら?」
「…なにを」
「それ」
ジュディスが視線で促せば、ユーリは面倒くさそうにそれを辿り、一瞬だけ表情をなくした。
それに気づき、ジュディスは危惧するかのように、ユーリ、と呼びかける。
「気づくかもしれないわ」
「おっさんが、か?」
「そうね。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないけれど」
謎かけのようなジュディスの言葉にユーリは眉を寄せたが、静かにこちらを見つめるジュディスに耐えられなくなって視線を再び橋の下に落とした。ジュディスが云わんとしている事を、ユーリは若干気づいていたのだから。
橋の下に流れる大きな人の波の中を小さな子どもたちが笑いながら通り過ぎてゆく。
その背中を見送り、ユーリは左手に持っていた刀をゆっくりと持ち上げ、少しだけ振ってみた。露店でも客寄せの為になるハンドベルが、からん、とその賑やかな人波から一際大きく鳴り響くが、この音はきっと届かない。
それでも小さくなってゆく子どもたちの背中に向かって鳴らせば、ひとりだけがふと立ち止まり、振り返った。
何かを探すかのように辺りを見回すが、流れるように歩いている大人たちがたくさんいるため子どもの身長ではほとんどなにも見えないだろう。しかし子どもは何かを感じたかのように橋の上から見下ろしているユーリを見つけて、仰いだ。曇りない瞳がユーリを見上げて、不思議そうに瞬きを繰り返している。
ユーリは驚きながら、子どもと同じように瞬きを繰り返した。知らない子どもが、賑やかな騒音に掻き消されたはずの音を拾い、ユーリに気づいたのだ。
だからもう一度、その鈴の音を鳴らしてみせる。りりん、と涼やかな音が広がればユーリを仰いでいた子どもはにこりと笑い、ユーリに向かって手を大きく振った。
ユーリも少し戸惑いながら手を軽く振り返す。子どもはそれを見てまた満足そうに笑い、背中を向けて元気よく駆け出した。
なんとでもない、やりとり。
だけどユーリはそのくだらなさにも似たやりとりに、心が温かくなった。名前も知らない子どもに気づいてもらい、手を振られて、笑った。意味のないやりとりはきっと、将来あの子どもの中に記憶として残ってはいないだろうけれど、ユーリにとって言い知れない何かを救っていた。
「ほら、ね」
ユーリの隣で静かに熱を孕んだ風に身を委ねていたジュディスが、優しく笑う気配がした。
空からはバウルが嘶き、やんわりと上空の大気を震わす。
風に攫われそうな鈴を見つめ、ユーリはそうだな、と震えそうになった声を押し殺して、ちいさく答えた。