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はじめてついた嘘に君は怒らず泣きました

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 その男は

 きっと、今まで、自覚したうえでの嘘など、つく必要もなく、そんなことを口にするなど、考えもせずに、生きてきたはずだ。

 だから

 あのとき、こちらにむけ、軽くほほえんでみせたその口にのせたのは、彼にとって、
  
  ――――初めての嘘だろうと思う。













「 さわだ。おまえは、ここにいろ 」
「 ――――――― 」
 その声は、そのときの状況でひどく静かに、ゆっくりと、頭の中に響くものだった。
 すぐに返事も出せないこちらの顔をのぞきこんだその人は、自分が憧れ続けた女性の兄弟で、この自分の、力となってくれる大切な仲間の一人。
「・・・さ・・さ・・・・」
「しゃべるな。あの爆発の中で、煙だけでなく熱風にも揉まれたんだからな。――― 喉も、やられてるはずだ」
 なんだかひどく優しい顔がすぐそばにあって、硬く冷たい指先で、口元を押さえられた。
「いいか?すぐにみんなが来るはずだ。いや、おれの予想だと、ヒバリが一番に来るはずだ。――― だから、それまで、おまえはここで、ゆっくり呼吸することだけに専念して、待っていろ。いや、しゃべらさんぞ」
 くちびるを、指先で、きゅう、とふさがれる。
 その手を、動くほうの左手でつかんだ。
「はは、なんだ?そんな情けない顔をするな。誰だって、こんなふうに、ダウンを取られることはある。―― ただ、サワダは今回、カウント内に立ったらだめだ。おれがセコンドなら許さないぞ。ここにはドクターもいないし、レフリーもいないから、おまえはまだ行こうと思ってるだろうが、――― それはだめだ」
 めずらしく、言い聞かされるような口調に、その顔を改めて見直す。
 ――― ああ、この人、年上なんだっけ・・・
 学校を卒業してから、そんなこと、考えたこともなかったけれど。
 口を塞ぐ手をつかむ力をゆるめれば、よしいい子だな、なんて、思ってもみない言葉でほめられた。
 男が白く汚れた上着をぬいで丸めると、こちらの身体に被さるように動き、そのままゆっくりと倒される。
 頭の下に、丸まった上着の感触。
 タイはとっくにはずしていたが、ワイシャツのボタンに手をかけられていくつかはずされ、続いてベルトもはずされた。
 身体を軽く横にむかされて、こっちが痛いか?と押された脇に激痛。
「ああ、すまんすまん。いいか?ヒバリが来たらここの内出血がすぐわかるように、シャツをまくっておくからな」
 ボタンがすべてはずされ、撫でるように、脇を、硬い手がすべった。
「 ――― すまんな、サワダ。おれがついていながら・・・」
「 ――――― 」
 いいんです。おにいさんは別室で待たされていたし、一人で大丈夫だと言ったのはおれなんですから、と口にしたいが、できなかった。呼吸が苦しいのと、謝る男の顔が、近すぎたので・・・。
  
 ―――― びっくりだ。

 たしかに、他の守護者や子どもらは、時々こうして、間をつめてくるけれど、この人とこの距離は、今までなかったな、なんて、どうでもいい考えが湧き、少し息が楽になる。

「なんだ?なにかおかしかったか?―― よし、それを思い出しながら、待ってろ」
 いいな?と念押しする男が身を起こそうとしたので、つい、手をのばしてしまった。
 胸のシャツをつかまれた男が、半端な距離でこちらを見下ろし、止まる。
「・・・ま、・・・」 
  ―――― 待っていればあの人が来ると言うならば、あなたも待てばいい。
 そういう意味をこめ、男の顔を見た。
 なにしろ、おれたちは今、二人だけだし、追ってくるのは、手段を選ばない種類の集まりで、そのうえ、むこうの数が、多すぎる。
「――― ・・おお、す、ぎ・・・」
  ―――― あなた、一人で行くのは、だめです。
 いつものように、眉間に力は入れられなかったが、見合った眼で、どうにか伝えたかった。

 その、一見なにも考えていないようなきれいな眼は、実は深い底を持つ同級生のエースとは違い、すぐそこで本当に底につきあたり、こっちのほうがうろたえることが多いのだけれど、今回も、そうだった。
 ただ、いつもとは違う意味で ――――。

 きれいな眼が、ぱちり、と一回瞬き、いつものように、にかっと白い歯をみせた。

「極限まかせろ!おおすぎることはないぞ!あの爆発と火事で、むこうの追っても、十人いるかいないかだ。絶対に、ここには入らせないから、安心して寝ていていいぞ!」

 シャツから、そっと手がはずされたが、その手を男は自分の胸へとつけ、再度、まかせておけ、と微笑んだ。
  
 ――― ・・・極限ずるいです・・・まるで・・・誓うようだ・・・

 嘘をついているのを自覚している男は、そうして、嘘丸だしの眼で、『おれを信じろ』と主張する笑顔をみせ、一人でドアをあけ、出ていったのだ。






「あのときおれ、声出てたら、絶対に大泣きしてました。そんできっと、ヒバリさんに『うるさい』って制裁うけてたと思います・・・」
 静かに泣いていたって、『なに泣いてるの?』と苛立ったように、頬をひねり上げられたのだ。
「そうかあ?なんだ、そんなに脇が痛かったのか?」
「・・・そうじゃなくて・・・」
 病院のベッドの上、見舞いに来てくれた男は、椅子の背もたれに腕と顔をのせ、景気よく笑った。
「サワダの大泣きかあ。それはぜひ、見たかったなあ。牛柄とどっちが大きいか比べてみるか」
「・・・もう、いいです・・・」
 脇の痛みはだいぶ治まっている。男と逆のほうに身体をむけた。
「――― 明日には退院できるらしいな?」
「はい、おかげさまで。・・・・おにいさ・・ササガワさんは、ケガ、どうなんですか?」
 そういえば、誰も教えてくれなかった。
 こうして見たかぎりでは、顔にガーゼ一ヶ所と、右手にテーピング。あとは顔の小さな傷しかないが・・・。
「なに、おれのはケガのうちに、はいらないだろう。通院すれば済むことだ」
「え?・・通院って・・・どこのケガですかっ、いてててて」
「無理するな。―― おれは帰る。頼まれた物も届けたしな」
「あ、ルッスにお礼言っておいてください。って、だから、ケガは?」
 こちらの質問を笑顔で無視した男は椅子を隅にもどすと、再度寄ってきて身をかがめた。
 す、と右手がだされたので、思わず反射で握手。
「お・・・・」
 呼びかけは、相手の真剣なまなざしによって、消されてしまう。
 つながった手が、まるで、あのときのように、男の胸に引き寄せられた。
「――― おれは、おまえの声が好きだぞ、サワダ。治ってよかった。・・・それに、大泣きするのも、たまにはいい。声をころして泣いているところしか、見たことがないからな。おれは、いつか大泣きするおまえも見てみたい」
「・・・・・・・・っそ、・・っず、・・」
 
 にっかり笑った男が、では帰るとするか、と、そっと手を離して置いた。
「・・・っず、・・ず、ずるい!おにいさん!い、いまのっ!そ、それに、身体!!それっ!それって、コルセットじゃないですか!?」