Goodnight
1章 そのあとの現実
ヴォルデモートとの最後の戦いのあと、魔法界は豹変していた。
闇の恐怖から解き放たれて、すべてが希望に満ちあふれ、誰もが帰還した自分を英雄だと持ち上げ、その最上級の扱いにハリーは戸惑う。
別に魔法界を救おうなどと大それた思いなど、最初からなかったからだ。
生まれたときからの逃げられない自身の運命従い、どちらか一方が倒れなければ、生き残れない予言どおりに戦っただけだ。
それがたまたま、自分の運命と、魔法界の未来が重なっていたにすぎない。
―――ただの偶然だ。
それなのに英雄という代名詞で呼ばれると、その言葉の大きさに居心地が悪くなる。
「そんなもの」になりたい訳ではなかった。
ハリーはまわりの他人の厚かましいほどのベッタリとした賛辞に辟易として、あわよくば取り入ろうとする下心たっぷりの好意に、眉を寄せて苛立ちを募らせていく。
闇の恐怖がなくなれば自分の周りの環境は落ち着き、静かで心安らぐ時間が訪れるとばかり思っていた。
盛大な祝賀会も高い地位も、意味のないパーティーも輝かしい勲章も、みんな必要のないものだ。
目のくらむような高価な品物が与えられて、たくさんの屋敷しもべ付きの広大な屋敷も欲しくはなかった。
自分のまわりにたくさんの人が群がり、甘ったるい賛美にあふれかえり、どこへ行ってもハリーは注目の的だった。
たかが道を歩いているだけなのに、誰も彼もがハリーに笑いかけ声をかけてくる。
しかもそれにいちいち愛想よく笑って答えることなど、所詮自分には到底無理だった。
ハリーは1週間とたたない間に、すぐに自分の異常な立場に嫌気が差し、家を出るのすら億劫になってくる。
いつも注目を浴びてその行動の一挙手一投足を観察されると、まるで無言の監視をされているように感じた。
どこにも落ち着ける場所がなくなり、部屋に閉じこもるだけなんて、息が詰まり到底耐えられない。
何度か頭を振るとしばらく考え、すぐに結論を出した。
週が明けるとハリーはかなり切羽詰った顔のまま、闇祓い本部に向かう。
元からここの部署でずっと働いていた彼はすぐに、自分の休暇として与えられた期間を返上して、仕事に復帰したいと願い出た。
ハリーの上司のキングは頷き、片方だけほほを上げて
「やはり君はすぐ音を上げると思っていたよ」
と、年の割りに人懐っこい笑みを浮かべて笑った。
「有名人なんて、冗談じゃない。まったく、うんざりでしたよ」
大げさにため息をつき肩をすくめるポーズに上司は苦笑する。
ひとしきり愚痴を言うと気が済んだのか、少し機嫌が直った顔で自分のデスクに向かい、座りなれた椅子に腰掛けた。
気分を切り替えると、積み重なっている未解決の事件の書類に目を通していく。
魔力が最高位のハリーのランクになれば、厄介で一筋縄ではいかない危険な任務が格段に多かった。
残忍性が強く、秘密裏に進めなければならない事件のみ与えられて、すべての書類の表には【極秘】というスタンプが押されている。
闇の総代が倒れたからといって、すぐに平和など戻ってこないことをまざまざと見せ付けるような書類ばかりだ。
それをひとつひとつを追って、解決していかなければならない。
きっとそれは何年、──いや何十年とかかり、しかも危険性が高くて手間と労力が多い仕事になるにちがいなかった。
陰鬱な事件の書類の山に、「ふぅー……」とため息をつきつつ、それでも「あの英雄扱いよりは、ずっとましなもんだ」と、自分を慰める。
享楽に満ちた嘘っぽいあんな世界なんかより、暗く深く潜って潜伏している者を探し出す、この闇祓いの任務のほうが自分には適任だ。
決して楽しいものではなかったけれど、そのほうがいい。
ハリーはかなりの枚数の束に目を通しながら、どの事件から取り掛かろうかと考える。
やがてデスクに積み上げられていた書類の中に、ホグワーツを卒業したあとのドラコの消息が書かれているものを見つけた。
マルフォイ家の唯一の直系の彼は、両親の死後その部下の謀反に深い傷を負い、現在は療養中と書いてある。
しかしその彼が住んでいる場所は、ハリーですら聞いたことがないほど辺境な場所だった。
合点がいかなくて首をかしげる。
そこは荒れた大地しかなく、彼の屋敷や領地や別荘が到底ある場所ではなかったからだ。
じっくりと読むと『屋敷は取り潰し。称号も地位も剥奪。身内は死別』と、簡潔に書かれていた。
―――すべてを失い、彼はそこにいた。
学生の頃ドラコとは、友好的な関係になったことなど一度もないまま、卒業を迎える前に道を穿った相手だった。
記憶の隅ににじんだ彼の特徴的な何かを思い出そうとして、その瞬間、冴え冴えとしたアイスブルーの瞳が浮かんできて、ハッと顔を上げる。
真っ直ぐな視線は自分の心の中をすべて見透かされ、覗き込んでくるようだ。
鋭い視線は容赦がなくて、薄蒼い瞳がじっとハリーの瞳を強く捕らえていた。
……すべての未来が不確かで不安だった学生時代。
自分はあの瞳に救われていたのかもしれない……。