Hero-ヒーロー-
5章 あの頃のふたり
カップに口を付けて残っているそれを飲み、やっと気付いたことがある。
「へぇー……。おいしい紅茶だな」
ハリーだって一応イギリス人の端くれとして、かなり紅茶の味にはうるさかった。
うるさいというよりも、周りがこの『魔法界の英雄』を放っておかなかったと言うほうが正解だろう。
ハリーは世間に顔が知れ渡っているせいで、外食するレストランでは頼みもしないのに高級な料理が並べたてられ、買い物をしようとするとその店で一番いいものが差し出されるという、VIP待遇ばかりを受けていた。
本人がそれをいくら辞退しても、相手は善意と尊敬と感謝の念をもってそう接してくるので、そう無碍には出来なかった。
そのおかげで高級な食材や美味しい料理ばかり食べ続けた結果が、この立派な出っ張ったおなかと、肥満気味のウエストになってしまったけれど、それは自業自得というものだ。
澄んだ琥珀色の液体を見詰めて、カップを揺らしその匂いを嗅ぐ。
「――んー……。やっぱりいいお茶だ」
口元に満足な笑みが浮かんだ。
「これは本当に君が入れたの?」
不思議そうにハリーは尋ねる。
「当たり前だ。屋敷しもべはいないんだ。わたししか入れる者がないだろ」
おぼつかないブルブルと震える手で、葉っぱをを派手にこぼしていたドラコが入れたお茶とは思えないほどだ。
「本当においしいよ、この紅茶は」
ハリーは1杯目を飲み終えると、お代わりしようとポットを持ち上げ、コポコポと注ぐ。
すると湯気がハリーのめがねを曇らした。
笑ってそれを袖口で拭き、またそれに口をつける。
「やっぱり美味しいよ、ものすごく」
再びハリーが褒めると、目の前のドラコの鼻がヒクリと動いた。
ただでさえ年を取って立派になった鼻先が、よけい高くなったみたいだ。
ゴホンと咳払いをしつつ、なんだかナイショ話をするみたいに、そっとドラコが告げてくる。
「――実は価格が安いのに、いい味の紅茶の銘柄を見つけたんだ」
「ふーん、そうなんだ」
ハリーの声も相手につられて小さくなって、ヒソヒソ声で答えた。
「葉っぱもいいし、それを入れる人もいいのかな」
またヒクリとドラコの鼻が動く。
再び「美味しい」と言うと、ドラコはますます鼻を高くしていった。
ふたりの紅茶を飲む音だけが、静かな部屋に響く。
(ああ、そうなんだ。マルフォイは今みたいに褒められることが、きっと大好きなんだ)
単純な性格だと思いそうになったけれど、単純だからこそマルフォイなんだと、また思った。
褒めるたびに濁ったような薄灰色のドラコの瞳が、血が通ってくるようにやや青みを帯びてくるのを、不思議な感じでハリーは見詰める。
(感情が動くと目の色が変化するのか)
虹彩の加減かもしれないけれど、その薄青い色は見覚えがあり、ひどく懐かしい感じがした。
――あれは遠い昔、荒れ果てた土地で互いの刃がぶつかり接近戦になったとき、剣を合わせたままギリとにらみ合い、顔をつき合わせたことがある。
挑んでくる敵の眼はまるで、嵐の前の落雷のような閃光に満ちた射るような青い色をしていた。
一瞬の隙を突かれ放たれた魔法でハリーの手から剣が弾き飛んだ瞬間、自分のほうに戦いの利はあると確信したドラコはニヤリと嗤った。
鋭く研ぎ澄まされたその青い瞳は、ゾッとするほどの美しさだった。
(あれはいつの話だったろう?)
ここまで長く生きてくると、いろんな思い出がごちゃごちゃになってよく思い出せない。
ただあのとき「自分は殺されるかもしれない」という恐怖と共に、腹の底から湧き上がってくる形容のしがたい満足感があった。
(ああ……、自分が殺されても、マルフォイなら別にいい)と思っていた。
(――どうしてそう思ったのだろう?)
分からなくて首を振る
何もかもが霞んで、みんな霧の彼方にあった。
歳を取るということは、つまりそういうことだ。
体だけではなく頭まで錆び付いて、ろくな思考すらまともにできない。
カップを持つ自分の手はしわしわだ。
ちょっと無理しただけで、古ぼけた体はすぐに悲鳴を上げる。
耳は遠くなり、目は霞んで、ゆっくりとしか動くことが出来ない。
たくさんの友人を見送り、自分と仲がよかった仲間はポロポロと抜け落ちていき、今ではいったい何人が残っているだろうか?
妙な寂しさがいつも心に付きまとっていた。
ハリーは意味もなく、何杯ものお茶をお代わりする。
水分でも取ればこの干からびた頭でも、少しはまともになるかもしれないと思ったからだ。
それに本当にドラコが入れてくれたお茶が美味しかったせいもある。
何度もカップを上げ下げして、せわしなく飲み続ける相手に家主は怪訝そうに尋ねた。
「そんなに喉が渇いていたのか?」
「――えっ?ああ、……うん……」
もぞもぞと答えて、返事が要領を得ない。
ドラコは相手の挙動不審さに眉を寄せた。
「言っておくが、それは水でも酒でもないのだが、分かっているのか?そんなに紅茶を短時間に何杯もお代わりするなんて……」
信じられないと首を振る。
またポットを持ち上げてカップに注ごうとして、もう中身が空っぽになっていることに気付いて、やっと今自分がどこで何していたのか思い出したような真顔に戻った。
ポットを持ったまま動かない相手に、ドラコは尋ねる。
「お代わりが必要なのか?」
ハリーは笑って首を横に振って、それらをテーブルに戻した。
「いや、いい。もう十分だよ。これ以上水分を取りすぎると逆に我慢できなくなるからね。尿意が」
フンとドラコがバカにしたように鼻を鳴らした。
「本当にありがとう。いいお茶だった」
改めて礼をに言うと、相手の機嫌がまた少しだけよくなったような気がする。
「昔からお茶だけは自分の好みがあったから、屋敷しもべにも任したことがなかったんだ。蒸らし時間の調節や、濃さの加減も加味して、いつもそれを飲んでいた。――君が褒めたように、結構わたしの入れた紅茶はまわりから評判がよかったんだ」
「へぇー、どこでその腕前を披露していたの?」
「ホグワーツの頃なら同寮の友人とか、あとデスイーター時代の仲間とか、いろいろだ」
「ああ、惜しかった!それを先に言ってくれよ。そんなことなら僕は、デスイーターに寝返るのもヤブサカじゃなかったのに」
「嘘をつけ」
ハリーの冗談に口元がまた少し緩み、ドラコは視線を下に落として自分の手の中にあるカップをじっと見詰めた。
「――結局、これだけだったな」
「何が?」
「今自分に残っているものといったら、これぐらいだ。あとはみんな失ってしまった」
ぽつりと告げられた言葉に、条件反射のようにハリーは言葉を発した。
「ごめん、マルフォイ!」
その言葉を聞いた途端、ドラコの瞳がみるみる険しくなり、青く鋭い目つきに取って変わる。
「――いったい、それは何に対しての謝罪の言葉なんだ?」
ぞっとするほど冷たくて低い声だった。
ハリーは相手の豹変した態度に、自分の失態に気付く。
「貴様から同情されるほど、わたしは落ちぶれてはいない。さっさと去れ!」
細いからだからは想像も出来ないほど、大声で挑むようにハリーに命令した。
「――出て行け!」
作品名:Hero-ヒーロー- 作家名:sabure