Hero-ヒーロー-
6章 諍い
ハリーが呆気に取られている間に、ドラコのほうが動きは素早かった。
古ぼけたソファーから立ち上がると、玄関へと走っていく。
――まあ、走るというのは少し大げさかもしれない。
ヨロヨロとした足取りのまま、急いで歩いていると言ったほうが近い。
まるで、競歩だ。
あまり広くない部屋だからすぐに玄関まで辿り着くと、おもむろにドラコにしては乱暴な仕草で、ドアを開け放った。
「誰だ!こんなことをするヤツは?!」
鋭くて、どこかヒステリックな声を上げる。
「いったい、どいつだ?」
叫ぶ声は甲高くて、まるで犬が悲鳴を上げているような声色だ。
ハリーも慌てて立ち上がると、玄関のほうへ歩いていく。
「あつつ……」
数歩踏み出すだけで、自分の曲がった腰がギシギシと痛んだけれど、今はそれどころじゃなかった。
ドラコの様子がなんだか少し変だからだ。
背後に追いつくと、いきなり今度は石の塊が外からこちらへと飛んできた。
それはドラコのほほをかすめ、ハリーの肩口のシャツにドロを付けて、背後の床板にポトリと落ちて転がった。
(これは、いったいどういうことだ?)
意味が全く分からなかった。
前へ出ようとするとドラコの手がそれを引きとめ、グイッと体ごとハリーを部屋の中へと押し込む。
そして自分一人だけで戸外へと進んだ。
バタンとドアを後ろ手に閉める。
「これはいったい誰が投げたんだ?」
ドラコがしわがれた声で、叫ぶように問う。
「バーカ!バーカ!」
声変わりもしていない子どもたちの声が聞こえてきた。
急いでハリーは体をずらして、隣のガラスがない窓へと移動する。
のぞき込み外を見ると、彼の前に数人の子どもたちが立っていた。
「石を投げて、ガラスを割ったのは、お前たちか!いったい何をするんだ!」
ドラコが大きな声で怒鳴っている。
「このガキどもめ」
手を大きく動かして殴るジェスチャーまでして、相手を威嚇した。
しかしその怒ったドラコの姿には全く迫力がない。
なにしろヨボヨボでがりがりに痩せたじいさんだ。
振り上げた手だって、リュウマチ気味なのかプルプル小刻みに震えまくっているし、腰は曲がったままだ。
年端のいかない子どもたちが、からかいはやし立てる。
「ばーか!ばーか!」
その声には反省の色すらなくて、ドラコを軽視した声を上げ続けるだけだ。
「いい加減にしろ。いったいガラスを割るのは何回目だと思っているんだ」
ドラコはらしくない乱暴な仕草で相手にこぶしを固めグルグルと振り回したり、精一杯の大声で怒鳴りつけたりしている。
自宅前の少なめの階段をヨタヨタと手すりにつかまりながら、その子どもたちに向かっていこうとすると、子どもらは素早く右に動き逃げた。
リーダーのような赤毛の少年が手に持っていた小袋を向ってきたドラコめがけてぶつけると、それが裂けて中身の小麦粉が胸元で飛び散った。
白煙のような煙に包まれて、ドラコは苦しそうにゲホゲホと咳き込む。
煙にむせながら、目を充血させて、白髪を一層ぐしゃぐしゃにして、相手を怒鳴りつけた。
「止めないか、クソガキ!」
あのドラコにしたら信じられないほど下劣な言葉遣いだ。
小麦粉をめいいっぱい器官に吸い込んだのか、何度も大きく咳を出し続け、ぜえぜえと肩で息をして、また咳き込んで、とうとう最後は大きく「ハクション」とくしゃみをしたついでに、かぱっと派手に入れ歯が外れて飛び出しそうになって、あわてて歯茎を押さえる始末だった。
入れ歯を押さえながら髪を振り乱し、ドラコは怒り続ける。
「なんてことをするんだ、ガキ共め」
子どもたちはドラコの入れ歯を落としそうになったことも目ざとく見つけて、またそれをネタにからかった。
「カッコ悪るー!昔の大悪党と恐れられたのに、今じゃあ、ただのしょぼくれたじーさんだ。ああ、ひどいザマだ」
フンと鼻をならして、ふてぶてしい顔ではやし立てる。
どの子どももスラム特有の品のなさだ。
ドラコは怒り心頭で、「このー!」と言いながら腕をぐるぐる回して相手に向かって行こうとするが、子どものほうが何倍も素早い動きで逃げ続けるだけだ。
「大悪党が今じゃこんなしょぼい爺さんだってさ。カッコ悪い!」
「見ろよ、無様にヨチヨチ歩いてさ。情けないったら。大悪党って聞いて呆れる」
「カッコ悪い!」
「ばーか!」
「バーカ。ばーか!老いぼれの悪党!」
子どもたちにはやし立てられ、それでも子ども相手に真剣になって怒るドラコの姿はどこか滑稽で、ゼーゼーと肩で息をしながら追いかける姿は惨めですらあった。
その不毛な言い合いと、逃げてからかうことにやがて子どもたちは飽きたのか、そのまま一言も謝ることなどせず、「悪党なんか、さっさといなくなっちまえ!」と捨てゼリフを吐くと、走って奥の路地へと消えていく。
子どもたちが散り散りに霧散すると、途端にドラコは追い回すのをやめ肩を落とし、そのままあっさりと踵を返すと、大人しく自宅へと戻っていった。
バタンと扉を閉めて俯き、荒くなった息を整えつつ、深いため息をつく。
プライドを傷つけられてきっと激しく憤っていると思っていたのに、その横顔は少し自嘲気味ではあるけれど、何も不満気な顔はしていなかった。むしろどこか満足そうにすら見える。
ハリーはにわかにその表情が信じられなくて、首を傾げたのだった。
作品名:Hero-ヒーロー- 作家名:sabure