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幼かった、あの頃。

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降り続いた雨が上がった。
 ぴちょん。
 どこかの葉から雫が垂れた。
 地面に出来た水たまりに小さなさざ波が生まれ、濡れた葉は雲の隙間から降り注いだ陽を浴びて青々と光っている。葉の下から小鳥が顔を出す。可愛らしい鳴き声をあげれば、こたえる囀りがどこからともなく聞こえてくる。濡れた木々のまわりには光る羽を持った“彼女たち”が飛んでいる。中には小鳥たちの横で微睡む者もいた。
 雨上がりの静かな森。
 ぱしゃ、ぱしゃっ。
 ぱしゃ、ぱしゃっ。
 突然、幼い足音が森の静けさを破った。
 驚いた鳥たちが羽ばたく。
 ばさっばさっ。
 それに驚いた“彼女たち”の一人が、哀れにも地面の水たまりに落下して、周囲の笑いを誘った。 “彼女”は頬を赤らめ、笑っている仲間たちを睨み付ける。羽についた水を払い、“彼女”は飛んだ。静けさを破ったものは誰だと足音の主を探す。
 雨上がり特有の、土と木の匂い。
 思慮深い、全てを包み込むような空気。
 それを打ち破るように、彼らは走っていた。
 くすんだハニーブロンドの髪を持つ少年と、ショコラの髪を持つ少年が手を取り合い走っている。水たまりの上を気にすることなく、可愛らしい水飛沫を上げながら少年たちは前へ前へと進む。
 水飛沫は陽の光に反射して、きらきらと光っていた。
 前を行くのはハニーブロンドの少年だ。ちらちらと、もう一人の少年のことを気にしている。ショコラの少年は向けられた視線に太陽のような笑顔でこたえる。それを確認すると、ハニーブロンドの少年は恥ずかしそうに、けれどもとても嬉しそうな笑みを口元に浮かべ前へと向き直る。それを懲りずに繰り返す。
 ああ、そんなことしていたら、転んでしまいそう。
 “彼女”がそんなことを思っていた矢先。ハニーブロンドの少年が木の根に躓いた。もちろん、そうなると手を繋いでいたもう一人の少年も巻き添えを食らう。水たまりの中に転がり込んだ二人は盛大な水飛沫を上げ、小さな彼らは体中泥だらけになった。
 ほらね。
 先ほど自分が笑われて機嫌を損ねていたこも忘れて、“彼女”は笑った。
 少年たちは土色の水の中、ゆっくりと起き上がる。ハニーブロンドの少年は情けない顔をして、今にも泣きだしてしまいそうだった。ひく、と唇が歪む。緑の瞳は潤み、雫が今にも零れようとしている。
 それを見て、ショコラの少年が笑い声をあげた。
 ぽろり。
 からからと明るい笑い声にびっくりしたハニーブロンドの少年の瞳から、一つの雫が零れた。それは、少年たちの転んだ水たまりの中に落ちていく。
 ぴちゃん。
 何がそんなに面白いのか、ショコラの少年の笑い声は止まない。呆気にとられたハニーブロンドの少年だったが、いつの間にかつられて笑いだしていた。
 森の中に、少年たちの笑い声が響く。
 ひとしきり笑いあうと、ショコラの少年が立ち上がった。ずい、と手を差し出した。ぽかんとしているハニーブロンドの少年に、もう一度力強く手を差し出す。ハニーブロンドの少年は、おずおずとその手を握る。
 ぎゅっ。
 ショコラの少年の腕が、ハニーブロンドの少年を引き上げる。
 ぐちゃぐちゃになった髪を撫でつけてやりながら、ショコラの少年が何やら言葉を発すると、ハニーブロンドの少年は満面の笑みを浮かべた。
 彼らの足元から、再び水飛沫が生まれる。
 やはり、ハニーブロンドの少年は懲りずにショコラの少年を気にしている。視線を交わし、笑みを交わし、前を見る。それの繰り返し。
 そんなことしていたら、また転んじゃうってば。
 “彼女”が呆れていることなどつゆ知らず、彼らは森の奥へ奥へと進んでいく。
 向こうにあるのはなんだったかしら。
 少年たちの後をこっそりついていく。やがて彼らは、この森で一番大きな木の下へと辿り着いた。ショコラの少年は興味深そうにその木を仰ぎ見ている。そんな少年を急かすように、ハニーブロンドの少年が手を引いた。こっちだ、と少し舌足らずな言葉でショコラの少年を案内する。
 彼らは、森一番の大きな木の横にひっそりと存在する緑のトンネルへと消えていった。
 “彼女”はトンネルの中を覗いた。
 葉と蔦で出来たトンネルの、ぽっかりと開いた口は鮮やかな草木色。しかし、濃くなっていくそれは次第に闇へと変化していく。その中を二人の少年が手を取り合って歩いていく。
 “彼女”は指を鳴らした。羽が纏っていた光が消える。二人の後を追う。
 ショコラの少年は、はじめこそ幼心に冒険心を掻き立てられていたようだったが、長く続く暗闇に不安を覚えているようだった。先を歩く少年の手を強く握る。
 かさかさ。
 時折、トンネルの何処かから物音が聞こえてくる。ショコラの少年は、その度に肩を揺らした。ハニーブロンドの少年は慣れているのか気にする様子もなく歩いていく。というよりも、先を進みたい一心から他の何かを気にする余裕がないようにも見えた。
 どれほど歩いただろうか。
 少年たちの前に、淡い光が現れた。
 ハニーブロンドの少年の表情が、ぱっと輝く。振り返り、ショコラ色の少年に声をかけると駆け出した。
 そこは、小さな森のドームだった。
 木々の葉と蔦で覆われた空間は、ほんのりと薄暗い。その中に小さな薔薇色の光がふわふわと浮かんでいた。まるで本当の薔薇の花のように可愛らしいその光たちが、少年たちを出迎える。
 幻想的なその風景にショコラの少年は歓声をあげる。すごい、すごいと声を上げながら、少年は光に手を伸ばす。虫だろうかと思って捕まえたそれは、少年の予想に反して固い石だった。透かして見れば半透明の石がきらきらと少年の瞳を照らした。両の掌で包み込む。指の合間から淡い光が漏れ、それだけで少年の心を躍らせた。掌の中を覗きこめば、そこには小さな世界が形成された。ゆっくりと、手を開く。すると石はゆっくりと少年の手を離れ、ドームの中を再びふわふわと漂った。不思議な石に、少年の緑の瞳はさらに輝いた。
 二人の後を追っていた“彼女”も、目の前の光景に心躍らせた。そこは“彼女”も知らない場所だった。こんなところがあったなんて。指をぱちんと鳴らし、羽に光を纏った。ふわふわと漂う不思議な石の一つに腰掛ける。座り心地はまあまあといったところだ。
 みれば、ハニーブロンドの少年は何かを熱心に探している。緑の瞳が忙しなく動いていた。きょろきょろと動く様は小動物のようで面白い。
 あんなに口開けちゃって。
 薔薇色に光る石にうつ伏せに寝そべり、“彼女”は地上にいる少年を見て笑った。
 ふいに、少年が声を上げた。
 小さな足で走り出し、宙に向かって短い腕を懸命に伸ばす。それでも目的のものには届かないのか、少年は地面を蹴った。少年の掌が、それを捉えた。少年の指の隙間から、ぼんやりと光が漏れる。
 しかし、それは少年たちの周りに漂うその色とは違った。
 それは、少年たちの輝く瞳のような色。
 スペイン!
 ハニーブロンドの少年が、ショコラの少年の名を呼びながら走り寄った。不思議な石に夢中になっていたショコラの少年が、ハニーブロンドの少年に目を向ける。
 ぎゅっと閉じた両の掌を差し出す。ショコラの少年が見ていることを確認し、ゆっくりとその掌を開いた。
作品名:幼かった、あの頃。 作家名:さつき