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万能を恋と知る

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その男に似ていると言われると、青葉はいつも不愉快な気分になった。



 青葉は自分は己を知っている、と思っている。

 青葉は自分を客観的に見る事ができた。少年期にありがちな『自分はきっと何者にでもなれる』という万能感や、『自分のことを理解できる者などいない』という孤高感。そういう若さからくる根拠のない自信と、青葉は無縁だ。だからといって早熟にすぎるという性質でもない。青葉は自分の中にある感情を知っている。それがまさに少年にしかありえない衝動だということも。『泳ぎたい』その思いは青葉の現在の価値基準の中で最も高い位置を占めている。ほぼその気持ちに従って行動していると言ってもいい。『泳ぎたい』―――それが己の成長と共にいつかはかなく海の泡と消えるだろう少年期の衝動だと理解しているからこそ、今の青葉はその感情のまま翔てみたいのだ。

 泳ぎたいと思うたび、青葉は狭い空間で身をよじらせている鮫を想像する。小さな水場では鮫は心易く生きる事などできない。もっと広い場所が必要なのだ。広ければ広い程いいだろう。まるで本当の海のような。海を自由に泳ぎ回る鮫に思いを馳せながら、青葉はひそかに笑みを零した。大海に比べて、自分が今実際にいる場所のなんと小さなことか。
 改装中のまま見捨てられた廃ビル。新しいブルースクウェアの溜り場だ。もともと大仰な作りの建物ではないうえに、放置されて長い時を経たために人が入れる場所も少ない。贅沢を言うつもりはないが、ゴミと埃が層をなしているところを片付けるようなまめなメンバーがいるわけでなし、使える部屋はモノが少なく奇跡的にそれなりの綺麗さを保った部屋に限られた。
 (でも、先輩は全然気にしてないみたいだからいいけど)
 そう考えてちらりと横にいる帝人に目をやると、環境の不自由さなど関係ないと言った様子でPCに向かっている。帝人にとってはネットにつながりさえすれば、腰を落ち着ける場所がどこであっても本当に構わないのだろう。青葉の言葉で言うなら、帝人の泳ぐ場所はネットの海の中ということだ。

 PCを操る帝人の手元を覗き込む。相変わらず、尋常でないタイピングの早さだ。画面の移り変わりも激しく、横から覗き込む青葉には内容の確認さえおぼつかない。でもそれでもよかった。青葉は別に帝人がPCで何をしているのか知りたかったわけではない。帝人がネットの情報を次々さばいていく手並みを、ちょっと見たかっただけだ。青葉は帝人がPCを扱っているのを見るのが嫌いじゃない。ネットをしているときの帝人は、もっとも彼の可能性を想像させるからだ。帝人の可能性。この人は青葉達の泳ぐ場所をひろげてくれそうだという予感。その予感にひたるときの感覚が、青葉は割と好きだった。
「なに?青葉君。なにか気になる情報あった?」
 横から見てくる視線に気づいたのだろう、帝人が少し手をとめて、青葉の方を見た。
「あ、いえ。別に大した事じゃないです」
「…そう?」
 ことんと細い首を傾げる帝人を見て、青葉は少し気が抜けた。帝人の二面性は身をもって知っているけれど、こういう幼い仕草をするときの彼はちょっとコメントに困る。喧嘩や、粗暴さとは無縁な、普通の…いや、むしろ少し地味なくらいの高校生。
(っていうか、年上の男とは思えない)
 青葉も青葉の仲間達も、こんな可愛らしい仕草はしない。青葉は幼い頃なら大人の機嫌をとるために意識して愛らしく振る舞ったことはあるが、素でこんな素振りはしないし、してもきっと似合わないだろうとも思う。
(あ、ていうか可愛いとか思っちゃった。ふつうに。えええ)
 それはないだろう俺!と青葉は自分で思う。いくら童顔だろうが(童顔については人のことを言えた立場ではないけれど)相手は男子高校生、しかもひとつとはいえ年上である。可愛いなどという表現があてはまるはずはない。ないはずだ。
 黙ってしまった青葉に、帝人はまだ不思議そうな顔をしている。けれど、その表情が突然ふわりと柔らかいものに変わって、青葉は息を飲んだ。
(か…)
 瞬間的に頭の中に浮かびそうになった言葉を青葉は必死で塞き止める。可愛くない。いや、可愛くなくないけど、可愛いとか、ないんだよ!男だから!!
 そんな風に葛藤していた青葉の、どこか浮き立った気分を突き落としたのは、帝人の「やっぱり似てる気がするなあ」という言葉だった。



 その男に似ていると言われると、青葉はいつも不愉快な気分になった。

 一番最近面と向かって言ってきたのは首無しライダーの恋人である闇医者だ。セルティ自身は青葉に気を遣ってか、思っていてもはっきりとは口に出さなかった事を、新羅は屈託なく言い放った。
「ああ、なんだか誰かに似てると思ったら。そうか青葉君は臨也にそっくりなんだなあ!」
 そう言われた青葉は己の口端がひきつるのを感じた。折原臨也。新宿の情報屋。青葉が心の底から気に入らない男。青葉にとって、似ていると言われることがこれほどうれしくない相手は他にいない。
「…そうですか?自分ではそうは思いませんけどね」
「いや、似てると思うよ」
 平静を装ってみたものの、間髪入れずまた似ていると言われて、やはり面白くない。似てるとは言うが、どこそこがこう似ている、という説明はなされなかった。つまり顔立ちや表情の作り方や話す内容などの細かいところが部分的に似ているというのではなく、全体的にどこかしら、青葉には臨也を思わせる雰囲気があるということなのだろう。
 そして、この聡い闇医者にはわかっているのだろう。青葉自身がそれに薄々気づいているということを。他人から臨也に似ていると言われてひどく苛立ってしまうのは、絶対に認めたくないことを指摘されたからだ。誰かに似ていると言われても、例えばそれが親戚から兄の蘭に似てきたなどと言われたのであれば、そんなはずはないと感じても「ああ、兄弟ですからね」等と言って軽く流せたはずである。どうでもいいことならば、言われても大して気に障らないからだ。
 けれど、折原臨也に似ていると評されるのは許せない。



「……誰に似てますって? 俺が」
 聞く前から答えなんて分かっている。きっと一番聞きたくないあの男の名前がでてくるだろうということくらい。それなのに思わず聞いてしまったのは、そう言った帝人の表情がひどく柔らかくて楽しげだったからだ。帝人のそんな表情を、青葉はあまり見たことがなかった。
「うん、あのね、青葉君も知ってるよね。折原臨也さん」
 予想と違わぬ名前が、よりによって帝人の口から出てきたことに気持ちがささくれた。顔そのものが似てるっていうわけじゃないんだけどね、と続く言葉に、より一層ひどい気分になっていく。
(黙ってよ、帝人先輩)
 自分から聞いておいて理不尽だとは思いつつも、そんな風に願ってしまう。帝人が青葉と臨也のどこが似ていると感じたのか、詳しい説明など聞きたくなかった。
 しかし、重ねられた言葉に、思わず青葉は固まった。
「さっき、PCしてた僕を見てた時の感じがね。少し似てたんだ。なんだかちょっと楽しそうな感じ」
 なにか面白かった?と笑顔で尋ねる帝人に、返す言葉を青葉はもたなかった。


作品名:万能を恋と知る 作家名:蜜虫