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 暦の上では残暑も過ぎ、既に白露に入ろうとしているのに一向に暑さは和らぐことが無い。寧ろかえって増しているんじゃなかろうかと、ぎらつく日差しに目を眇めた。
 マンション高層階といえば聞こえはいいし、実際眺めも最高なのだがこんな時ばかりは癪に障る。大きく切り取られた窓は景色が最高だが、降り注ぐ日差しも最高だ。既に暑さを通り越して痛い。地上より暑いんじゃないかこれ、と思いながらのそのそと身を起こす。

「……暑」

 エアコンは効いている。室内温度はいつも通りだ。
 節電節電と謳われる昨今だが、臨也のような職種にとっては好ましくない。なにせパソコンは二十四時間常に稼働している。ともなれば熱も相応だ。冷却装置もあるのだが、やはり熱暴走の危機は回避したいではないか。
 それに俺も暑いの嫌いだしねぇ、と勝手なことを呟きながら髪をかき上げれば、もぞりと隣で動く振動に気がついた。寝室に置かれたベッドは大人二人が寝転がっても余裕で余るサイズだが、ここ最近はその事実を実践する機会は無いはずだった、のに。
「また勝手に入ってきたのかい、君は」
 呆れ顔で見下ろす視線の先にはうっすらと髭を生やした童顔の青年が、くぅくぅと寝息を立てて丸まっていた。
 かれこれ十年、彼が学生のころから知っているが、ここまで幼い寝顔を曝されると年を取っていないのではないかと錯覚してしまう。確かにアジア系の人種は年齢よりも幼く見られることが多く、自分もそれを逆手にとって公の年齢を詐称しているがそれにしてもと考え、自分を起こしてくれた元凶の一つを奥へと押しやった。うう、ともぞもぞと彼が呻く。
「ん、あー……あと、ご、じかん……」
「……分ならまだ考えてやったけど、時間かい」
「だ、って。あけがたまで、さぎょ、う……」
 してた、まで言わずに眠りへと落ちていく青年に子どもかと吐き捨てて、今度こそベッドから降りる。適当にクローゼットから衣服を取り出し、寝室を後にした。まだ頭がぼーっとしているがシャワーでも浴びれば目覚めるだろう。
 二十代のころは無理も無茶もしていたし、三日徹夜なんて普通にしていた。だがこの年になると体は容赦なく不調を突き付け、容赦なく行動へと反映してくる。規則正しい生活は健康の源とはよく言ったものだ。
 少し熱めのシャワーを浴びながら、はぁ、と溜息をつく。
 元来自分はマメなほうではあるものの、あの子のこれは問題じゃなかろうかと思いながらコックを捻った。


 シャワーを終え、タオルで髪を拭いながらリビングを歩く。そのままキッチンへと向かい、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して無造作に口に含んだ。時計の時刻を確認して常時稼働しているパソコンへと向かえば、徐々に集まりつつある情報に満足する。ざっと目を通して今現在差し迫ったものが無いことを確認し、軽く腹に何か入れておくかと思ったところではた、と気づく。
 時計の針はゆうに一周した。しかしこの部屋に臨也以外の気配は、ない。
 波江は今日は休暇を取っている。なんでも学会の発表に出る弟の支度を手伝うのだとか。
 特に矢霧誠二には興味も関心も無いのだが、溺愛する姉がいるために情報の端々は掴んでいる。修士課程を終え、博士課程へと進んだ波江の弟は現在院にいる。ある程度の功績を叩きだした彼は若くして助教授に収まったらしい。今回の学会もそれ関連だと聞いていた。
 美香がいるだろう、と口には出さなかったのは臨也の良心だ。まあそれも建前で実際は過去に口にしたところ、丁度調理中だった波江から包丁を投げられたせいなのだが。
 しん、と臨也とパソコン以外物音が立たない部屋でそっと階上を見上げる。二階へと続く階段の先には寝室があり、そこでは精根尽き果てたように眠る帝人がいる。
「まぁ、無理無いだろうけど」
 明け方まで、と言っていた。どうせまた時間もあるのに根を詰め過ぎたのだろう。
 彼には合鍵を渡している。それをどう利用しようが帝人の自由だ。
 椅子から立ち上がり、キッチンへと戻る。冷蔵庫を開ければ波江が補充しているおかげで食材は十二分にある。適当に見つくろい、食パンとハムとチーズを引っ張り出した。
 ハムとチーズをパンで挟み、バターを引いたフライパンで両面を焼く。軽く焼いたら波江が作り置きしていたらしいペシャメルソースを引っ張り出し、軽くかけた。あとは珈琲を淹れてこれまた適当に冷蔵庫の中に転がっていたフルーツを摘めばいい。
 情報屋は割と体力を使う。どこぞの天敵ほど無敵な体をしていない、普通の人間だと自覚している臨也はこれでもきちんと食事を取っている。
 バターのいい香りが部屋に満ちていおり、丁度好い塩梅にドリップし終わったコーヒーで一息ついている中、ようやっと二階で気配がする。
「ようやっとお目覚め? お寝坊さん」
「…………朝から寒い単語吐かないでくれますか…………」
 ねむいのに、と舌足らずに文句を呟いた帝人は半目の状態で危なっかしい足取りながら階段を降りる。セッティングされたテーブルに勝手知ったる他人の家とばかりに席に着いた。
「わー、おいしそう……」
「言っとくけど、これ、俺の朝食だから」
「え、ぼくのぶんないんですか」
「勝手に家に上がり込んできた不法侵入者が何言うかな」
「いざやさんだって、まえにぼくのうちにかってにはいりこんできたくせにー」
「俺はいいんだよ。ていうかちゃんと喋りな」
「ねむいからむりです」
 もう目を開けてられません、とぐらんぐらん体を揺らしながら夢見心地で笑う帝人は間違いなく眠っている。だがここまで下りてきたということは半分は起きているのだろう。……いや、三分の一程度かもしれないが。
 とりあえず余っていた珈琲をマグカップに注ぎながら臨也は溜息を堪える。
 いいにおいー、と舌足らずに嬉しそうに笑う帝人を見て再び思った。既に成人しているが、本当にこの子二十五歳かと。
 まあ彼が中学生のころから知っているし、ちょっかいも色々出した揚句、いわゆる深い関係でもあるけれども年々幼くなっているように感じてならない。大人びる、という言葉とは無縁に見えるが今眠たげに席に着いた青年が、一歩外に出ればそれなりの企業に勤める会社員だと知っていてもだ。
 折原臨也と竜ヶ峰帝人の関係性は、一言では言い表せない。あえて言うなら腐れ縁。
 切っても切れないどころか、既に腐り落ちているために何をしようが無駄というあたり、名は体を表すとはよく言ったものだと臨也本人は思っている。
 今を遡ること十年前、池袋に上京したばかりの高校生だった帝人を捕まえて、あれやこれやの騒ぎに巻き込み、あまつさえなんの気の迷いか恋人同士だったこともある二人だ。騒ぎの最中、臨也が画策していたあれこれもバレ、帝人も騒ぎのせいで一本ふっきれたように動き回り、結果として池袋中を巻き込んだあの混乱の中でその関係は解消されたように見えた。のだが。
「うー、いざやさん、ぼくのぶん……」
「要求には対価が必要だってこと子どもでも知ってるよね」
「えー」
作品名:名付けない関係 作家名:ひな