名付けない関係
そこは長年の付き合いでプライスレスでお願いします、と強かな内容を寝ぼけながら呟く帝人といやだね、俺そこらへんはきっちり分ける派だからと軽く流す臨也には、あれだけの事をしでかした雰囲気がまるで無い。
結果として過去に臨也によって手酷い傷を受けた紀田正臣のように、帝人が臨也を嫌うと言う事は無かった。口でも行動でも反発し、抗議することもあるのだが、最終的に帝人は元居た位置へと収まっている。
折原臨也と言えば今も昔も悪名高く、池袋最凶の名に恥じていない。悪趣味な人間観察も何一つ変わっちゃいない。だがそこに訪れた十年前には無かった変化は、折原臨也の理解者として、はたまた悪友兼親友めいた関係として竜ヶ峰帝人の名が挙げられることだった。
目の前でうーうー唸る帝人に呆れた息をつき、臨也は予備として用意していた食材で同じメニューを用意してやる。ややあって置かれた皿に嬉しそうに目を輝かせた帝人は、ようやくぱっちり両目を開いていただきます、と両手を合わせた。
「ちょっと家主無視して食べる気」
「ご飯は熱いうちに食べるのが鉄則です」
「作ったの俺だけど」
「ありがとうございます。臨也さんのご飯美味しいから好きです。いつもごちそうさまです」
「心が籠って無い」
「十分籠ってますよ?」
使われた食材に、と笑顔で告げた内容がカチンときたが、臨也は黙って珈琲を啜ってそれに耐えた。俺も寛大になったなぁ、と自画自賛しながら。
「だいたい、なんだって俺のところにいるわけ。君、暫く休暇だったんじゃないの」
「……んむ。それがですね、急に外部からのアタックがあったとかで急遽呼び出されましてそれで此処のところ一週間くらい缶詰めで復旧作業に当たらせられて、そんでもってようやく解放されたのが夜明け前で」
「ああそうよくわかった」
在学中のスキルもあって現在帝人はとある企業の保守部門に勤めている。エンジニアというよりもプログラマの方らしいのだが、ダラーズ管理などをこなしていた帝人だ。そちらの素養はあったらしい。本人は企画とかも好きなんですけどと呟いていたが。
素養はあったらしいのだが、容易に呼びつけられ、缶詰にされて精根尽き果てた彼が池袋の自宅まで辿りつけないと考えた上での避難場所が臨也の事務所だったのだろう。どうせ今起きてきたのも余りの空腹に耐えかねたせいに他ならないのだ。
「俺が言うのもなんだけど、無理もほどほどにしときなよ?」
「僕も出来ればそうしたいですけど……」
ふっ、と遠い目になった眼差しが恐い。情報屋の職種も色々と生死の綱渡りをすることも多いのだが、帝人もある意味では同類らしい。あれは地獄だった、と呟く眼差しが驚くほど凄惨なものになっており、呆れ半分、同情半分で臨也は口を噤む。
「食べたら寝ときな。どうせ夕方まで寝てるんだろ」
「そうさせてもらいます。すみません」
ぺこり、と頭を下げて再度朝食の攻略へと戻る帝人を呆れ交じりで眺める。
無精髭が多少生えたと言え童顔は変わらず、ともすればあの頃とさして変わらないような錯覚を覚える青年。しかし行動はそれまで臨也の接してきた誰とも違い、今や彼の悪友や親友とも言えるような関係になっている、恋人だったこともある彼。
いくら臨也と言えども読心はできず、帝人の考えも察するだけに留まる。だからこそ面白いこともあるのだが、と席を立つ。
「食器はシンクに置いておいて。そのくらいは出来るだろ」
「はい。……ああそれと、」
きらり、と眠たげな中にどこか扇情的な色が入り、意図的な煽りを含んだ笑みが向けられる。
「対価は、何で?」
どこか悪戯めいた問いかけに、応じないわけもない。にやりと口の端を吊り上げながら微笑った。
「それは君が起きてきてから頼むかな。……覚悟してなよ」
俺の代金は、高いよと告げれば、払いきれますかねところころ笑う。そこに先程までの艶めいたものは無く、そのアンバランスの妙にいつも目を奪われる。いいからさっさと行けと寝室に促せば、腹が満たされて眠気が襲って来たらしく目を擦りながら寝室に消えていこうとする。
臨也もまたデスクに戻ろうとした時に、ふと背後からの気配。わざとそのままにしていれば、背後から軽い力で引き寄せられ、首筋に唇を落とされる。
軽く吸われ、僅かに色づいた肌をちろりと舐める。唇が頬が釣りあがって行くのを感じながらわざとそのままでいれば、「一部先払い、ですよ」と幼い声で笑い交じりに告げて、帝人が階段を上って行った。
「やってくれるねぇ」
落とした呟きは、閉まった扉の先へは届かない。今頃ベッドへと潜り込んでいるらしい帝人は早々に眠りに落ちるだろう。だが、臨也はそうはいかない。
にやりと口の端を歪める。遠慮なしにやられた行動に否応なく煽られた。対価は払うと言質を取った以上、臨也も好きにさせてもらう。
年月が経っていないように感じたが、いやいやどうして、面白い未来になったものだと臨也は笑う。望んだものとは些か違うが、その違いさえも愛して臨也は笑った。
誰も残らず、理解しているとも言われてもそれぞれが留まる事は無い。
だが、現実として闇のような男の傍には透明な者もいることを男は知った。
十年、かけた歳月の果てがこれならば案外悪くないと笑いながら、臨也はキーボードを叩きながら眠る帝人を思う。面白く成長してくれたかつての少年であり、今、臨也の隣にいる青年を。
恋人と、定義するには淡い。
友人と決めつけるには甘すぎる。
互いに対しての関係に名をつけないまま、今日も彼らは彼らの日常を謳歌する。