迂回する羽化
それでか、と阿部はようやく腑に落ちた思いだった。秋丸がまるで何かに追われてでもいるかのように、新しい物事に手を出していたのは、何かをしたいからではなく、何をすればいいか分からなかったからなのだ。
そうして、それが分かるのと同時に、秋丸が阿部に会いに来る理由も理解した。
「禁断症状、すね」
「え?」
「オレとだけ会うっての。あんたの中の榛名が足りなくなるから」
高校時代の秋丸にとって、阿部は、ほとんど榛名を通しての存在でしかなかった。阿部のことを考えるときは、いつもそこに、「榛名のタカヤ」というタグがしっかりと縫いつけられていた。
榛名の要素を持ちながら、同時に今では榛名とのやり取りもなく、また秋丸自身との関わりは薄い阿部は、余計な気を使うことなく、乾きを潤すのにうってつけの存在だったのだ。
秋丸は、大きく息を吐いた。
「そうやって聞くと、俺、かなりどうしようもないやつみたいだなあ」
言うだけ言って、多少はすっきりしたのか、いつものおっとりした口調に戻っている。
「でも、そういうの抜きにして、タカヤ君に会いたかったのも本当なんだよ。話してると楽しいし」
「そりゃ、ドーモ。オレもですよ」
阿部の率直な言葉に、秋丸は笑った。
「じゃ、これからも友情続行ってことで、ひとつ」
「はい、よろしくお願いします。あ、でも、これまでのことと、これからのこと、榛名には自分で説明してくださいよ」
「えー」
「もう、あの人からの電話とメールの波状攻撃はごめんです」
「まあね、わかったよ。そのうちにね」
軽い調子で言う秋丸を、疑わしげに阿部は見やった。けれども、これ以上は、阿部にはどうしようもないことは確かだった。あとは、秋丸が自分で消化して、飲み下していくしかないのだろう。
榛名を麻薬だと言った秋丸の気持ちは、以前にその味にどっぷり浸かっていたことのある阿部にとっても、覚えのあるものだった。
離れて見えるものもある、と阿部は思う。
榛名という存在に目もくらむほどに惹きつけられ、焦がれる自分の気持ちばかりでいっぱいだった頃には分からなかったことがあった。榛名が、阿部をどう思っていたか、などということは。
その時、まるで話がひと段落つくのを察したように、テーブルの上に置かれていた秋丸の携帯電話が震えはじめた。青と紫のライトが交互に点滅し、秋丸を呼んでいる。
秋丸は、ちらりと視線をやって、深く息をつく。
「あいつのこういうとこって、怖いよな」
「野生の勘には勝てないでしょ。じゃあ、オレ帰ります」
阿部はそう言い置くと、伝票を持って席を立った。役目は十分に果たしたのだから、そのまま立ち去ってもいいはずだった。けれども、最後にひと言付け加える気になったのは、どうしてだろうか。気が付くと、阿部は秋丸を見おろして、口を開いていた。
「榛名は、多分、あんたのこと、ただ友達だって思ってると思いますよ」
あの頃の阿部のことを、とっくの昔に、ただ捕手だと認めていたように。はじめから、ずっと今まで、榛名にとっては秋丸は何の思惑もなしに、友人なのだ。
秋丸は笑った。どこか諦めたような、肩の荷がおりてほっとしたような、迷いの中の笑みだった。
「タカヤ君てさ、結構、やさしいよね」
「はあ?」
「榛名には、タカヤ君が榛名大好きだったって伝えとく」
「はあああ???」
不本意なことを言われて、阿部は思わず大きな声を出した。その阿部に、秋丸は冗談めかした調子で、追い払うように手を振った。
「ほら、行った、行った。そろそろ電話出ないと、あいつがうるさい」
あいつはいつだってうるさいだろ、と言いかけて、阿部は言葉を引っ込めた。秋丸がようやく榛名と話そうとしているなら、邪魔をする理由はないのだ。
「それじゃ、まー、頑張ってください」
「うん、またね」
秋丸の声を背にして、レジで会計を済ませた阿部が、ちょうど店の扉を開けたところで、後ろから聞き覚えのある声がノイズまじりに聞こえた。