彗クロ 3
第一音素と言われれば、自ずとごく最近の記憶が刺激される。黒い大地、黒い穴、黒いセレニア、――黒い音叉。
「あん時か……!」
「実を言うと、あれ以来、僕も少し調子がおかしくて」
アゲイトが響律符を取り上げて胸元で強く握りしめると、鉱石は再び色とりどりに輝いた。そして今度はホルスターから抜いた譜銃を近づけると、やはり黒色の光だけが鋭く力を増したのだ。
「……この通り。僕の場合、第一と第二に関しては壊滅的に素養がないはずだったんだけど、第一音素のカートリッジはいつの間にか満タン、簡単な譜術まで使えるようになってるんだ。たぶん、あの時の黒い竜巻の影響だと思うんだけど」
あの現場に居合わせた三人のうち、響律符はルークにだけは特殊な反応を示さなかった。銃と金環が、音素を蓄える触媒になっているのだ。
「たぶん、僕の銃とレグルの足環は、同じ時代に似たような技術で造られたものなんじゃないかな。高濃度の音素を吸収したことで、本来の機能を取り戻したか、取り戻しつつあるか……」
「本来の機能……って、足から抜けなくなるのがかよ!?」
「うーん今のところはなんとも。譜を解読できればいいんだけど、ほとんど古文書みたいなことになってるみたいだし」
「んにゃあ? けんども、アゲやんの銃っちゃあ、創世暦時代のたいそーな曰くつきだしょ? グルぴーのその輪っかも、そんだけたいそーなシロモンってこってすかいな?」
「グルぴーいうなっ」
「それなんだよねえ」
レグルの苦情は綺麗に流され、変人と二枚目の商人コンビはレグルの足首をまじまじ検分している。……正直勘弁してほしい。
「創世暦時代の遺物は一般的に、譜業よりも術具の類のほうが希少だし、歴史的価値が高いとされているんだよ。この銃は確かに博物館級の代物だけど、そっちはたぶん比じゃないね。出すところに出せば国宝級――ひょっとしたら世界的な遺産ってことになるかも」
「うひょーい」
商人の鑑とさえ言える神速で金環に伸びたディンの手を、すかさずアゲイトが叩き落とした。
「一介の商人が捌ける代物じゃない。闇ルートに流すならともかく、このまんま市場に出しても値の付けようがないよ」
値が付かないと、ルークもそう言っていた。価値がないから金にならないという意味ではなかったのか。……しかしそうなると、それほど高価な物がどうしてチーグルの小袋に隠されていたのかが気になるが……
「問題は、なんでそれを、レグルくんが持ってるかってことなんだけど」
「いっ!?」
まさに頭の中身を覗かれたかと思うようなタイミングだった。正面からは純粋な疑問符で彩られた視線。悪意や敵意のひとかけらも含まれていないあたりが、本当にたちが悪い。
「ひっ……拾ったんだよ! なんか文句あっか!」
……我ながら、もっとマシな言いようはなかったものか。一応まるっきりの嘘ではないが。
「拾った? これを、どこで?」
案の定、余計に疑念を深めてしまったらしい。
チーグルについて詮索されるのは、絶対にまずい。長老の教えに「一族を守れ」という文言は不思議となかったが、そのぐらいの分別はレグルにだってある。森の外の連中はチーグルの敵だというつもりでいつも接してきた。
こういうときは、下手に嘘を塗り重ねないほうが上手くごまかせる。多弁は墓穴コースだ。
「……辻馬車の中! だよな、ルークっ」
「え? うん」
打ち合わせなしながら、ルークはあっさりとうなずいてくれた。アゲイトは釈然としない顔だが、他の面々は狙い通り勝手に勘ぐってくれたようだ。
「セレブな落し物やんね〜。持ち主涙目」
「いいなーいいなー。売りに出せなくても、落とし主探して届ければ礼金ガッポリじゃん♪ ディンディン、コネとか心当たりないの?」
「ぬぬ。創世暦時代については目下勉強中ナリよ。好事家の顧客どころか、こやつのどこさ価値があるやらさーっぱりわかりましぇん。……んー? でもでもでもォ……」
ディンはレグルの前でしゃがみこむと、唐突にレグルの右足をがっちり掴んで、穴が開くほど金環を凝視し始めた。下から覗き込まれるようなあまりの絵面に、レグルは「ヒィッ!」と本気の悲鳴を上げてしまった。左足で必死に抵抗を試みるも、頑丈な砂防靴で蹴ろうが押し出そうがディンの頭はビクとものけぞらないのがまた凶悪に不気味である。
「……ぬお。めっちゃ見覚えあるじゃないの」
「えっ、マジマジぃ?」
「ほれ、むかーしルー君が連れてたちびちゃいの。チーグルやっけ? アレが同じいのをケツに巻いてたはずのことよ」
一斉に視線がルークに集中する。……激しく嫌な予感だ。
「なっ、なんだよ。ルークがチーグルなんか連れてるわけねーじゃん。しかも昔とかアホかっ」
「そういえばそんなのもいたよーな……でも、『あの』ルークは今バチカルでしょ?」
案の定にもほどがある。『あの』クソ紅い被験者の話ではないか。
そもそも一発でレプリカだと見抜かれていた時点で、なんとなく予測できた流れではある。
被験者の関係者とレプリカを住み分けさせる制度の意味が、ここにきて骨身に沁みたものだ。相互関係など百害あって一利もない。有名人が被験者ともなると、わずらわしさも万倍だ。
「……あのルークだかどのルークだか知らねーけど、ルークはルーク! チーグルとはなんの関係もねーよ」
「それホンマ?」
「あぁ?」
「ホンマに別人なん?」
ディンはようやくレグルの足首を解放して、また妙なことを言い出した。感情の定かならざるルークを見下ろして、腑に落ちない様子でしきりに首を傾げている。
「どーゆー意味だよ。別人に決まってんだろ」
「んー。まあねぇ。第七音素がいくらトンデモエネルギーだからって、まーさかそれはないとは思うんだけんども……なーんか担がれてる気がすんのよね〜」
なにやら自己完結気味に、後半の呟きはブツブツとフェードアウトしていった。意味不明だ。
先ほどまでの懐疑をどの棚に押し上げたやら、話題の舵を切るようにアゲイトが苦笑した。
「バチカルのルーク様といったら、一年も前に成人されたじゃないか。そもそも彼はレプリカじゃないよ」
「ふむむ……なっちゃんもルー君もなんとなーくやんごとない雰囲気はあったけんどもねぇ。その『ルーク様』とやらぁ、ほんまにウチの知っとるルー君なんかいねぇ……」
「……えっ」
ひときわ大きく、心臓が収縮するのを、レグルは自覚した。
おぼろげな記憶――ルークと出会ったあの城で手に入れて、いつの間にかなくしてしまった『記憶』の、脳裏に焼き付いた曖昧な残像が、ふわりと脳漿に飽和していく。
確か……そう、確か、あの被験者はルークの居場所を奪って、今の地位を手に入れたのだ。だとしたら……
「とにかく、その足輪の譜については機会を見て調べることにして、今は下手に触らないでおいたほうがいいね。すぐに害が出るものでもなさそうだし、あまり神経質にならなくても大丈夫だと思うよ」
「お、おう」
アゲイトに生返事を返しながら、レグルは傍らに座るルークを窺った。