ちむろく
事の始めは多分なんでもないいつもの会話。いつもと違ったのは、僕が引かなかったってこと。多分それは、話題が音楽だったからなんだと思う。
「何でお前はギターなんだ!」
ビシィっと僕を指さして問うジャガーさんにたじろがず、僕は、
「じゃあなんでジャガーさんは笛なんですか!」
と、問い返す。
するとジャガーさんは僕の質問を鼻で笑って、余裕の表情で腕を組んだ。
「決まってるだろう、かっこいいからだ」
当然の摂理とばかりにそう答えるジャガーさんに、ガビーンと思わずにいられない。つーかジャガーさん、それは僕の望む答えになってない。音楽性以前の、幼稚な発想だよ……。
僕は溜息をついた。ジャガーさんと語ろうとする発想自体が間違いか。
「そんなんで音楽を語んないでくださいよ……」
脱力感いっぱいで僕はそう呟いた。
「なんだ音楽って! 笛は笛だ! 一緒にするな!」
ぷりぷりとジャガーさんは怒る。ああもう、説明しなきゃダメなんかな。わかってくれると良いけど。
「だからね、ジャガーさん……」
そう思いながらも音楽ってのは、と続けようと口を開いたそのときに。
「ピヨ彦のわからず屋!」
全てを否定する言葉を吐いて、ジャガーさんは部屋から駆け出していった。差し出された手がむなしい。止めるヒマさえありゃしない。
一人残され、急にシンと静かになった部屋で、僕は大きく溜息をついた。
何でこんなに、会話がなりたたないんだろう、あの人とは。
広くもない上に、ごちゃごちゃと物の片付かない部屋の真中でごろりと寝転がると、僕は駆け出していったジャガーさんに対する薄らぼんやりとした憤りを吐き出すように、もう一度溜息をついた。
ふえ。
笛。
どう贔屓目に見てもかっこいいと思えない。将来性だってあるわけないし。宗二郎かっつうの。そりゃオカリナだけど。癒し系とか言って、これからはリコーダーがくるのかな。
………。
………。
むしろあるわけねー。
自分の頭に浮かんだ言葉に笑いが漏れる。縦笛。絶対来ない。想像は膨らんで、縦笛が世間を席巻している様が浮かぶ。バンドメンバーには必ず縦笛。縦笛をサンプリング。ロッキン・オンの評価。
「あの笛のタンギング。彼の音はむやみに僕の胸を叩く。走れと」
それに対する世間の反応はこんな感じだ。
「アイツの笛プレイの真髄は、タンギングじゃないよね。むしろそこに目をつけるのは、浅い。っていうかジジイが笛語るな、山崎洋一郎」
想像すればするほどおかしくて腹がよじれる。何だよそれ。ありえねえー。
一人でゲラゲラ笑っている僕の胸に、奇妙な感覚が去来した。入れ替わるように笑いが消えてゆく。その感覚の理由を捕らえようと、僕は考える。何だろう、この感覚は。僕の根源にかかわるような。今自分が笑っていることが、まるで自分自身を貶めているような。
背中が冷えるような感じがして、僕は寝返りを打った。己の考えをさかのぼってみる。笑いの根源はなんだ。笛、そう笛の将来性。
将来性?
気づいたとき背中の冷えは身震いに代わった。どきりと胸が打つ。手のひらにいやな汗をかいて、僕はそれをジーンズにこすりつけた。
音楽を目指した時点で、将来性を語るのはおかしい。食えるようになるとか、そんなこと考えてるわけじゃないから。僕が望むことは、僕の中にある音を表現するということのはず。将来性を持ち出した時点で、僕はロックじゃなくなる。
じゃあ、僕の音って?
僕の音ってなんだ? 僕はなにが表現できるんだ? ただかっこよくギターが弾けるんじゃんだめなの? ダメだよな。……じゃあ、僕はなにを持って音楽を目指すの?
むしろ僕はなにをしたいんだ? 有名になりたい? 違う、そんな下司と一緒にしないでくれ。 じゃあ、僕は音楽でなにをしたいんだ?
ねえ、僕はなにをしたくてギターを持ったんだっけ?
あれ?
息苦しい感じがして、僕は寝返りを打った。年経て汚れた天上の木目が目につく。普段はそこに感じる、ハマーさんの気配はなかった。いつもはうるさすぎるほどのこの部屋に、奇妙な静寂が宿っていた。誰もいない、シンとした雰囲気が、僕を深い思考へと潜らせる。
僕のなかにある音に対する熱。
エリック・クランプトンの音、ジミ・ヘンドリックスのリフ、ずるりのソウル。
思い出すだけで胸が高鳴る。そう、僕はそういうものになりたくてギターを手に取った。そういうもの。胸踊る音を作れる存在。だから僕はギターを鳴らす。ギターでなくちゃ始まらない。
ギターでなければ。
いけない、と自分の考えをまとめようとして、僕は自分の嘘に気づいた。熱を伝えたいなら、ギターでなくとも構わないはずだ。そう、笛でも。じゃあ笛でなくてギターでなくてはいけない理由というのはなんだ。いや、問題の根源はそこじゃない。僕が伝えようとしている熱というのはなんだ?
社会に対する苛立ち? 胸の痛む恋? 本当のこと? 青い春? 反逆? アナーキズム?
ひとつ思い浮かべるごとに、血が下がってゆく感覚が強くなった。すう、と脳が冷え、心音が奇妙に跳ね上がる。
愕然とする。僕はそれのどれにも、強い熱を感じなかった。
あらゆることに薄い不満を感じながら、僕はそれに表現すべき苛立ちを感じてはいない。僕を含む全ての現状に満足していた。安寧とする心に詠う詩はなく、ただあるのは、模倣と反発と憧憬だけだった。
僕の中には、表現すべきものがない。
歌いたいことなど、なにもないのだ。
ジャガーさんの「お前はなんでギターなのか」という問いが改めて胸に刺さる。ギターである必要性すらない。僕は音楽をやる資格が、僕が音楽をやっている意味は、「ない」。
地雷を踏んだ気がした。いや、僕は今までだって地雷原を歩いていたのだ。ただここに地雷が埋まっているということに気づかなかっただけで。足下にそれを感じた今、僕はもうここから一歩も動けない。アンバランスに地雷の上に立ち続けるか、爆発させて戦線を離脱するか、だ。
表現するものがなにもないなら、爆発させてここから逃げ出せばいいのさ。楽になるぜ。
胸の中の誰かがそう呟いた。
答えは反射的に出た。
それはいやだ。
胸のうちにある焦燥だけは音楽を求めている。この、かきむしられる情動だけは本物だと信じたい。
ニヤニヤと僕の中身が笑った。
ホントかよ。次の地雷原に行くのが恐いだけじゃないのか?
違うよ、僕は音楽が好きなんだ。本当に。だから、それを信じたい。
希望だろ。お前のそれは夢という名の逃避じゃないのか?
本当は「音楽」じゃなくてもいいんじゃないのか?
音楽という魔物に、立ち向かう勇気はあるのか?
それは今お前が踏んだ、歌う意義と才能の限界という足下の地雷を感じながら、それに立ち続ける勇気だぜ?
グルグルと繰り返される煩悶の中で、僕は音楽に取り付かれ、早世した人々の顔を思い出していた。
シド・ヴィシャス、ジミ・ヘンドリクス、ああ、そういや尾崎豊もそうか。
彼らは結局、焦燥し枯渇した。果てのドラッグ。永遠に音楽屋で……ロックであろうとしたがゆえに壊れた。
結局、人は音楽ゆえに死ぬのか?
「何でお前はギターなんだ!」
ビシィっと僕を指さして問うジャガーさんにたじろがず、僕は、
「じゃあなんでジャガーさんは笛なんですか!」
と、問い返す。
するとジャガーさんは僕の質問を鼻で笑って、余裕の表情で腕を組んだ。
「決まってるだろう、かっこいいからだ」
当然の摂理とばかりにそう答えるジャガーさんに、ガビーンと思わずにいられない。つーかジャガーさん、それは僕の望む答えになってない。音楽性以前の、幼稚な発想だよ……。
僕は溜息をついた。ジャガーさんと語ろうとする発想自体が間違いか。
「そんなんで音楽を語んないでくださいよ……」
脱力感いっぱいで僕はそう呟いた。
「なんだ音楽って! 笛は笛だ! 一緒にするな!」
ぷりぷりとジャガーさんは怒る。ああもう、説明しなきゃダメなんかな。わかってくれると良いけど。
「だからね、ジャガーさん……」
そう思いながらも音楽ってのは、と続けようと口を開いたそのときに。
「ピヨ彦のわからず屋!」
全てを否定する言葉を吐いて、ジャガーさんは部屋から駆け出していった。差し出された手がむなしい。止めるヒマさえありゃしない。
一人残され、急にシンと静かになった部屋で、僕は大きく溜息をついた。
何でこんなに、会話がなりたたないんだろう、あの人とは。
広くもない上に、ごちゃごちゃと物の片付かない部屋の真中でごろりと寝転がると、僕は駆け出していったジャガーさんに対する薄らぼんやりとした憤りを吐き出すように、もう一度溜息をついた。
ふえ。
笛。
どう贔屓目に見てもかっこいいと思えない。将来性だってあるわけないし。宗二郎かっつうの。そりゃオカリナだけど。癒し系とか言って、これからはリコーダーがくるのかな。
………。
………。
むしろあるわけねー。
自分の頭に浮かんだ言葉に笑いが漏れる。縦笛。絶対来ない。想像は膨らんで、縦笛が世間を席巻している様が浮かぶ。バンドメンバーには必ず縦笛。縦笛をサンプリング。ロッキン・オンの評価。
「あの笛のタンギング。彼の音はむやみに僕の胸を叩く。走れと」
それに対する世間の反応はこんな感じだ。
「アイツの笛プレイの真髄は、タンギングじゃないよね。むしろそこに目をつけるのは、浅い。っていうかジジイが笛語るな、山崎洋一郎」
想像すればするほどおかしくて腹がよじれる。何だよそれ。ありえねえー。
一人でゲラゲラ笑っている僕の胸に、奇妙な感覚が去来した。入れ替わるように笑いが消えてゆく。その感覚の理由を捕らえようと、僕は考える。何だろう、この感覚は。僕の根源にかかわるような。今自分が笑っていることが、まるで自分自身を貶めているような。
背中が冷えるような感じがして、僕は寝返りを打った。己の考えをさかのぼってみる。笑いの根源はなんだ。笛、そう笛の将来性。
将来性?
気づいたとき背中の冷えは身震いに代わった。どきりと胸が打つ。手のひらにいやな汗をかいて、僕はそれをジーンズにこすりつけた。
音楽を目指した時点で、将来性を語るのはおかしい。食えるようになるとか、そんなこと考えてるわけじゃないから。僕が望むことは、僕の中にある音を表現するということのはず。将来性を持ち出した時点で、僕はロックじゃなくなる。
じゃあ、僕の音って?
僕の音ってなんだ? 僕はなにが表現できるんだ? ただかっこよくギターが弾けるんじゃんだめなの? ダメだよな。……じゃあ、僕はなにを持って音楽を目指すの?
むしろ僕はなにをしたいんだ? 有名になりたい? 違う、そんな下司と一緒にしないでくれ。 じゃあ、僕は音楽でなにをしたいんだ?
ねえ、僕はなにをしたくてギターを持ったんだっけ?
あれ?
息苦しい感じがして、僕は寝返りを打った。年経て汚れた天上の木目が目につく。普段はそこに感じる、ハマーさんの気配はなかった。いつもはうるさすぎるほどのこの部屋に、奇妙な静寂が宿っていた。誰もいない、シンとした雰囲気が、僕を深い思考へと潜らせる。
僕のなかにある音に対する熱。
エリック・クランプトンの音、ジミ・ヘンドリックスのリフ、ずるりのソウル。
思い出すだけで胸が高鳴る。そう、僕はそういうものになりたくてギターを手に取った。そういうもの。胸踊る音を作れる存在。だから僕はギターを鳴らす。ギターでなくちゃ始まらない。
ギターでなければ。
いけない、と自分の考えをまとめようとして、僕は自分の嘘に気づいた。熱を伝えたいなら、ギターでなくとも構わないはずだ。そう、笛でも。じゃあ笛でなくてギターでなくてはいけない理由というのはなんだ。いや、問題の根源はそこじゃない。僕が伝えようとしている熱というのはなんだ?
社会に対する苛立ち? 胸の痛む恋? 本当のこと? 青い春? 反逆? アナーキズム?
ひとつ思い浮かべるごとに、血が下がってゆく感覚が強くなった。すう、と脳が冷え、心音が奇妙に跳ね上がる。
愕然とする。僕はそれのどれにも、強い熱を感じなかった。
あらゆることに薄い不満を感じながら、僕はそれに表現すべき苛立ちを感じてはいない。僕を含む全ての現状に満足していた。安寧とする心に詠う詩はなく、ただあるのは、模倣と反発と憧憬だけだった。
僕の中には、表現すべきものがない。
歌いたいことなど、なにもないのだ。
ジャガーさんの「お前はなんでギターなのか」という問いが改めて胸に刺さる。ギターである必要性すらない。僕は音楽をやる資格が、僕が音楽をやっている意味は、「ない」。
地雷を踏んだ気がした。いや、僕は今までだって地雷原を歩いていたのだ。ただここに地雷が埋まっているということに気づかなかっただけで。足下にそれを感じた今、僕はもうここから一歩も動けない。アンバランスに地雷の上に立ち続けるか、爆発させて戦線を離脱するか、だ。
表現するものがなにもないなら、爆発させてここから逃げ出せばいいのさ。楽になるぜ。
胸の中の誰かがそう呟いた。
答えは反射的に出た。
それはいやだ。
胸のうちにある焦燥だけは音楽を求めている。この、かきむしられる情動だけは本物だと信じたい。
ニヤニヤと僕の中身が笑った。
ホントかよ。次の地雷原に行くのが恐いだけじゃないのか?
違うよ、僕は音楽が好きなんだ。本当に。だから、それを信じたい。
希望だろ。お前のそれは夢という名の逃避じゃないのか?
本当は「音楽」じゃなくてもいいんじゃないのか?
音楽という魔物に、立ち向かう勇気はあるのか?
それは今お前が踏んだ、歌う意義と才能の限界という足下の地雷を感じながら、それに立ち続ける勇気だぜ?
グルグルと繰り返される煩悶の中で、僕は音楽に取り付かれ、早世した人々の顔を思い出していた。
シド・ヴィシャス、ジミ・ヘンドリクス、ああ、そういや尾崎豊もそうか。
彼らは結局、焦燥し枯渇した。果てのドラッグ。永遠に音楽屋で……ロックであろうとしたがゆえに壊れた。
結局、人は音楽ゆえに死ぬのか?