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みっふー♪
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novelistID. 21864
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遠い雨

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雨脚がまた強くなった。傘の群れは皆急ぎ足だ。誰も立ち止まらない、気にも留めない。――ああ、そういや俺のはどこに放り出して来たんだっけな、雨に打たれて少年は天を仰いだ。
叩き付ける雨粒が迂闊な頬の引っ掻き傷に滲みるがそれすらいいざまだ、俺は機嫌がいい、最高の気分だ。
「――君」
唯我独尊、我が身一つに天上天下を背負った背中に誰かの声がした。赤毛の少年は気怠げに振り向いた。――バカな奴だ、今なら間違いなく俺を殺れたのに。
「ずぶぬれじゃないか」
間抜けな声の主はくたびれたおじさんだった。俯き加減だが背は高く、髭面にグラサンをかけている。露骨に突き刺す少年の剣呑な視線にも構わず、着ている半纏と同じくらい擦り切れたおんぼろ傘を差し出しておじさんは言った。
「これを差していきなさい」
天の底をひっくり返して降る雨がおじさんのざんばらの前髪を伝い、滝のようにグラサンを濡らした。剥き出しの脛に水の滲みた草履を突っ掛けて立ったまま、雨を避ける仕草も見せない。少年は噴き出した。詰襟の肩に垂らしたおさげ髪が水滴を撥ねて細かに揺れた。
「……おじさん、」
込み上げる笑いを堪えて少年は言った。「そっちこそ、よれよれの上にびしょぬれだよ」
「私はちっとも構わないんだ」
ゆっくりと頭を振っておじさんは言った。煙る雨を猫背に受けて、少年に話しかけているというより、半分は独り言のようでもあった。
「自分が濡れるかなんかはどうだっていい、ただ、君がずぶぬれになるのを見ていられないんだ」
「――おじさん」
おじさんが差し掛けた傘を斜めに避けて少年は言った。見開いた菫色の瞳が、雷光でも放つかのように奥からギラリと煌めいた。
「俺はさぁ、サイコーに愉快な実験の最中なんだよ、狩って狩って狩りまくって、最後の一人になったとき、俺はどんなに絶望するだろう、ああ、もう誰も俺を殺りに来てはくれないんだって」
――ははは、アハハハハ、少年の乾いた笑いが雨の中灰色の空に吸い込まれる。
「泣きたいときは泣けばいいんだ」
おじさんは、少年が払った傘をなおも差し掛け直した。「泣きたいときに笑うからそうなるんだよ」
「俺は泣きたいなんて思ったことはないよ」
縒れて色褪せた傘の下で少年は呟いた。
「どうやったら、何がかなしいのか教えてもらいたいくらいさ」
少年は俯かせていた顔を上げるとニッと口角を歪めた。
「それは私にはわからない」
――だけど、おじさんは続けた。「ひとりでそんなに雨に濡れて、それがたのしいかさみしいかもわからない、そんな君を見て私はかなしいと思ったんだ」
「お互い相容れないよおじさん」
少年は目を細め、満面の笑みを浮かべてみせた。「何言ってんだこのクソおやじ、としか思えないよ俺は」
幅広の裾を約めた踝丈に薄底靴の足元を翻すと、少年はおじさんの傘を奪い取った。もろい骨組みを裏返して柄ごと真二つに折り、おじさんの喉元に突き付ける。呼吸ひとつ乱さずに、ほとんど一瞬の出来事だった。おじさんは抵抗せず、表情も大して変わらないように見えた。なるほどそのためのグラサンなのさ、別にどーでもイイけどね、少年は思った。
「今は笑える気分じゃないだろ」
静かな声でおじさんが言った。「だからきっと、その反対の気分のときが……」
「ゴチャゴチャうるさいよおじさん」
張り付けた笑みに少年は言った。折られた傘の切っ先がおじさんの張りのない肌にひとすじ朱線を滲ませた。
――……、
早足だった傘の流れが遠巻きに立ち止まり始めた。無論、人の目があろうとなかろうと、少年にとっては何の理由にもなりようがなかったが。
「――マ夕゛オさん!」
と、人垣の奥から若い、――おそらく少年と変わらぬ年端のものと思われる、声が上がった。項垂れていたおじさんの髭面がはっとしたように息を飲んだ。自分の中に燃え盛っていたものが、なぜか急激に火勢を削いでいくのを少年は感じた。
「……マ夕゛オさんっ!」
掻き分けた人群れから押し出されるように、二本の傘を抱えた黒髪の少年がぬかるみの地面に転がり込んだ。はずみで落ちた眼鏡が水溜まりにばしゃんと撥ねた。
赤毛の少年は腕を引き、傘を降ろしておじさんの背を突き飛ばした。バランスを立て直せぬうちに、おじさんはよろよろと膝を着いた。
「マ夕゛オさんっ」
眼鏡の行方を確かめようともせず、少年は目の前に倒れたおじさんの半纏の袖に縋った。
「良かった、心配してたんですよっ」
勢い込んで顔を上げ、涙声を啜って少年は訴えた。
「ああ……」
少年の濡れた前髪をぼんやりと見つめていたおじさんは小さく頷いた。
「早く帰りましょう、姉上がお風呂沸かして待っててくれてます」
袂に涙を拭い、立ち上がると少年はおじさんに手を差し伸べた。目こそ赤く腫らしているが、口元には微笑を湛えている。少年に促され、おじさんは緩慢に身を起こした。野次馬の人垣は解散を始めた。
「――さぁ、」
少年は傘を開いておじさんに差し掛けた。もう一本は脇に抱えたままだった。二人は肩を寄せ合うように歩き始めた。折れた傘を手に、赤毛の少年は遠ざかる彼らを見送った。
おじさんが途中で足を止めた。迎えの少年が何かを話しかける。振り返ることなく、おじさんは再び歩き始めた。
立ち尽くす少年の視界から、やがて二人の姿は消えた。いつの間にか雨は小降りになっていた。少年は息を着いた。ふと目をやった水溜まりの中に、さっきの眼鏡が半分沈んでいた。何の気なしに少年は蔓を摘み上げた。
「……、」
泥に塗れたレンズの縁に連なる雫が伝い落ちる。引き締めた少年の口の端に、くすりと薄い笑みが浮かんだ。


+++

おかしな出会いから数日が過ぎた。
少年はあの日拾った眼鏡を携えて付近の適当な眼鏡屋を回った。数件目ですぐに手掛かりが掴めた。――なんだ案外拍子抜けだな、詰襟の裏地ポケットに布で捲き締めた眼鏡を押し込みながら少年は思った。
すっきりしない曇り空の下、住所を頼りに訪ねて行くと着物姿の若い女が漆喰塀の表を掃いていた。おそらくあの眼鏡坊ちゃんの姉貴だろう、少年は思った。電話口でもハキハキと気が強そうなところはあまり似ていないようだが、思い込みの激しさという点では大差ない気質かもしれない。
「――すみません」
少年はにこやかに声をかけた。前掛けに竹箒を持った姉が振り向いた。へらへら人当たり良く接してみせるのは、少年の最も得意とするところだ。
「もしかして……」
一つ括りに結い上げた黒髪を揺らして姉が言い掛けた。
作品名:遠い雨 作家名:みっふー♪