【aria二次】その、希望への路は
5.救世主は見習いウンディーネ
「ぷいにゅ! ぷいにゅっ!」
工場街の入り組んだ水路を漕いでいると、アリア社長がいきなり騒ぎはじめた。
「どうしたんですか、社長?」
不審そうに尋ねるアイに、アリア社長は前方の町工場の中庭で、こっちに向かって手を振っているおじさんを指差す。
「おおーい、そこのゴンドラの人ーっ!」
呼びかけに応じてゴンドラを寄せると、さきっぽが壊れてるゴンドラや、しょげ返っている漕ぎ手さん、やたらと大きくて重そうな木枠が目に入る。そして、その場に居るひとたちは、なんだか救いを求めるような表情で、こっちを見ていた。
「な、なんでしょうか?」
その場の雰囲気に気おされたアイが尋ねると、呼び寄せたおじさん、電機工場の親方が、拝み込むむような勢いで答えた。
「あんたの、ゴンドラ漕ぎの腕を見込んで頼みがある。あの発電機を山の上の風力発電所、ほら『風車の丘』って呼んでる所まで運んでくれんじゃろうか? 運賃ははずむから」
アイは最初、荷物運ぶくらいなら手伝ってあげてもいいかな、と思っていた。だが「風車の丘」と「運賃」の言葉で態度を変えた。
「私、こう見えても見習い中のウンディーネなんです。無料でお手伝いすることだったら出来るけど、運賃をいただいて人や荷物を運ぶことは出来ないんです」
グローブをはめた両手を示しながら、言葉を続ける。
「それに、私たち見習いのウンディーネには、絶対に一人では行っちゃいけない場所があるんです。風車の丘も、そんな場所のひとつで、勝手に行っちゃいけないんです」
親方も、ネオヴェネツィアの住民として、見習い中のウンディーネが対価を取ってゴンドラを漕げない事や、運行規制がかかっているエリアがある事は知っていた。だけど、私的なお金のやり取りという名目で、アルバイト的に稼いでいる見習いや、規制を潜り抜けて、あっちこっちに顔を出す見習いがいる事も、また知っていた。
ちょっと杓子定規な子だな と見た親方は、お金で釣るのをあきらめ、泣き落としの態度に乗り換える。
「あ、いやいや、気分を悪くしたなら済まなかった。ワシらは、どうしても今日中に、あの発電機を運ばなきゃいけないんだ。だが、並みの漕ぎ手では運びきれん」
そう言いながら、身振りで壊れたゴンドラを示す。
「運送用のエアバイクでも、荷が重い。運賃が受け取れないというのなら、無理に渡すことはせん。だが、どうか、ワシらを助けると思って、荷物を運んでくれまいか?」
脇から電力公社の担当者も訴えた。
「それじゃあ、今日一日、お嬢さんは電力公社の雇い人だ、ってコトにしてもらえませんか? ウンディーネじゃなくって、電力公社の人間なら、そういう制限にもひっかからないはずです!」
「え? え!」
「ユニフォームも、ほ、ほら、この通り」
傍らの荷物から、予備のユニフォームを引っ張り出してくる担当者に、アイが何と答えようかと迷っている隙に、アリア社長が前脚(うで)を伸ばして、ユニフォームの帽子をひょいっと持ち去った。
「ぷいにゅっ!」
ご機嫌な様子で、勝手に持ち去った帽子をかぶって見せるアリア社長の様子に、断りきれなくなってきたアイが、ぼやくように言う。
「運賃を払わずに済ましてくれるんでしたら、ちょっとぐらいお手伝いしたっていいですけどぉ」
それでは普通と逆だ、という親方たちの無言のツッコミに気付かないまま、アイは尋ねた。
「でも、おじさん達って、初対面ですよね、私とは?」
うんうん、と頷いてみせる親方以下一同。
「それなのに、なんで、『ゴンドラ漕ぎの腕を見込む』なんて言うんですか? 私は、ただの見習いウンディーネですよ?」
ここぞとばかりに、親方が声を張り上げた。
「いや、ワシには分かる! この面倒くさい曲がりくねった路地裏の水路を、あんなにすいすいと漕げるヤツは、そうはおらん。今はまだ見習いかもしらんが、あんたは相当な漕ぎ手じゃよ」
やたらと褒め上げてくる親方を、やや白けたジト目で見やったアイは、諦めたように言った。
「分かりました。お手伝いさせていただきます」
その傍らで、電力公社の作業帽をかぶったアリア社長が、嬉しそうに、ゴンドラの中のクッションや補助いすを片付けはじめた。
地上では、エアバイクが木枠を吊り上げる。ネオヴェネツィアで暮らしていれば、シルフの操るエアバイクが飛んでいるのを見かけることは、よくあった。しかし、よほど荷物が重たいのだろうか。アイは、これほどエンジン音を轟かせながら飛ぶエアバイクを見たことがなかった。
私服の上から作業服を着込んだアイのゴンドラに、ゆっくりと木枠が降りてくる。荷物が載ると、じわっ とゴンドラが沈み込んだ。だが、エアバイクから伸びるロープは、ぴん と伸びたままだ。まだ、重さのほとんどはエアバイクが支えているらしい。アイは不安そうに木枠を見つめた。
エアバイクが微妙に高度を下げる度に、ゴンドラはどんどん沈み込む。それほどの高さの無いゴンドラの乾舷が普段の半分近くにまで沈みこんだ時、アイがもう「止めてください」と叫ぼうとした寸前に、ゴンドラの沈降が止まった。エアバイクと木枠をつなぐロープは、力なく垂れ下がっている。
エアバイクは、ロープをつないだまま、位置を水路側に寄せた。再度ぶつけたときに、すばやく木枠を回収するためなのか、エンジンは轟音を立てたままだ。アイとは木枠を挟んだゴンドラのへさきに、電力公社の担当者がおっかなびっくりと乗り込んできた。恐らく、さっきのゴンドラがぶつかった時にも、その同じ位置に乗っていたのだろう。態度がちょっとびびっている。
「あわてなくてもいいので、安全運航でお願いします」
返事を返したアイは、アリア社長が木枠の上にちゃんと座っていることと、水路に他のゴンドラがいないことを素早く確認すると、凛とした声で言った。
「アリアカンパニー、臨時貨物便。行きます」
同時に、オールで桟橋をこつん と押すと、ゴンドラはゆっくりと前進を始める。
地上では、電機工場の親方を初めとした面々が心配そうに見ている。親方もずいぶん勝手に持ち上げていたものの、実際に運航するとなると、不安を隠せないようだ。相変わらず轟音を立てているエアバイクは、アイのゴンドラにつかず離れずの位置を保ってついてくる。なにかあったら、すぐに木枠を吊り上げるために、ドライバーは自分の進路とゴンドラを、かわるがわる真剣な表情で見ていた。
アイは、普段と様子の違うゴンドラを操るのに苦労していた。周りの様子を気遣う余裕は無い。なんといっても、重い。普通に漕いでも、ちっとも前に進まない。ちょっと気を抜くと、船足はどんどん落ちていく。それなのに、減速したいときには停まらない。慣性が付いているので、どんどん前に進んでしまう。
作品名:【aria二次】その、希望への路は 作家名:立早 文