さよならメモリーズ
「あーそういやもうそろそろ桜の季節か」
店のウインドウのいたるところに桜の飾り付けがされているのを見て、そんなことを思った。
「そっか。もうそんな季節なんだね」
「いやー寂しくなるよ」
「え、なんで?まさか、正臣どっか行くの?」
「いんや。俺じゃなくてよ、三年の麗しい先輩方にもう毎日お会いできないと思うと…この紀田正臣、心が張り裂けそうです!!」
「…あっそ」
「ツッコミもなし?!なんか今日は冷たいぜ、帝人くぅん」
「いつもこんなもんだよ」
「そういやさ、今年は例年より開花が早くなるってよ」
「へぇ、じゃあ早く見られるね、桜」
「そうだな」
嬉しそうに笑う帝人に、俺もなんとなく幸せな気分になって笑い返した。
「あ、でもそしたら早く散っちゃうね」
「…そうだな」
早速終わりを考えるなよな。たとえ考えたとしても口にするな。
なんの悪意もなくこういうことをさらっと言ってしまう帝人は嫌いじゃないが、俺だって閉口することもある。
帝人って子供の頃からそうだったよな。失言的なものをぽろっと零す。
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当時小学生だった俺には、東京なんて途方もなく遠い地のように思えて、もしかしたらもう二度と帝人に会えないんじゃないか、なんて、思ったもんだ。
それでも、だからといって引越しをやめて残ることなんてできなくて。俺は両親と乗り込んだ新幹線の窓から、遠ざかっていく町を見つめて呟いたんだ。
「…じゃあな、帝人」
その日の空は、腹が立つくらいに、青かった。
*
ま、結局数年後にこうして再会できたわけだが。
チャットで数年間帝人を誘い続けた俺すげぇ。素晴らしい。俺の努力は賞賛に値するぜ。
「ねぇ、正臣。どこか行くの?」
「ん?なんでだ?」
紀田正臣の紀田正臣による紀田正臣のための自画自賛タイムは帝人の質問で強制終了させられた。
まあいいけどな。飽きてきたところだったし。
「いつも帰る道と違うみたいだし」
「ん…、あ~…わりぃ、帝人!間違えちまった」
「ええ~?紀田君僕より池袋長いでしょ?!」
「いかにスーパーでエクセレントな天才である俺、紀田正臣といえど人間だかんな!間違いもするって」
「……もう、まったく。…言っとくけど、僕、紀田君の前についてた形容詞には一切同意してないからね」
ツッコむ台詞の割には、柔らかい口調で帝人が言う。後ろからついてくる帝人をくるりと回りながら振り返ると、仕方ないなあ、といったふうに帝人が笑っていた。
今日の夕日か帝人の笑顔か、どっちがまぶしかったのか、わからないけど、俺は目を逸らした。
少しでも長く一緒に歩いていたくて、勇気を出すための時間がほしくて、間違えたふりしてわざと遠回りしたって知ったら、帝人は怒るだろうか。
いや、帝人はそんなことで怒ったりしないよな。優しいやつだから。
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「おわぁ、すげぇっ!」
「ほんとだ、すごいね、紀田君!」
小二の春、初めて帝人と一緒に満開の桜を見た。その年は桜がとても綺麗に咲いて、今でも引き合いに出されるほどだったらしい。
「あっ、あっち!『さくらなみき』だ!行こうぜ、帝人!」
「えっ!ま、待ってよ、紀田君!寄り道はよくないよ?!」
「ちょっとくらいへーきだって!」
風が吹くと薄桃色の花びらが、光の雨みたいにひらひら、きらきらして、降り積もっていくのが物珍しくて面白くて、意味もなく桜のトンネルの間を駆け抜けた。
桜の根元に積もった花びらを腕いっぱいにすくって、後ろから走ってきた帝人にかけた。
「うりゃっ!」
「わっ!やめてよ、砂かかるって…!」
「でも、綺麗だろ?花びらのシャワー!」
帝人は少し嫌そうな顔をして、目に砂が入らないように顔をしかめた。でもそう聞くと、一瞬きょとんとして、すぐにっこり笑ったんだ。
「うん!」
その後、ランドセルを背負ったまま、帝人と一緒にたくさん走った。なにを話したか、なにが面白かったのか、忘れてしまったけれど、とにかくたくさん笑った。
ふと見上げた桜が入り日に照らされてて、すごく綺麗で、息が止まった。
「…ん…くん、…正臣っ!」
「へ?」
気がつくと、目の前に必死な顔をした帝人がいて、俺の腕を掴んでいた。
「もうっ!危ないって言ってるのに…!」
「う、おっ?!」
はっと気づくと、俺の重心は傾いてて、帝人が捕まえてくれなかったら、たんぼに水を引く用水路にダイブするところで、結構びっくりした。
「ははっ、わりぃわりぃ」
「もう…反省の色がみえない。…そろそろ帰ろう」
「ん」
それから、あぜ道を一緒に並んで帰った。
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そういやあの時、初めて帝人が“紀田君”じゃなくて、“正臣”って呼んでくれたんだっけ。なんにも言わなかったけど、本当はちょっと嬉しかったんだ。
あの日一緒に帰った道は俺にとって特別な思い出だった。ずっと忘れてなんかない。
初めて帝人と一緒に見た満開の桜。
あの時俺は子供だったから、自分の想いを言葉じゃうまく言えないまま、あの道を歩いてた。
俺は、あれからどれくらい変われたかな。
「なぁ、帝人、」
言葉じゃうまく言えない想いをお前に打ち明けるとしたら、なんて伝えよう。
「ん?」
いつもと同じように俺の話に耳を傾ける姿勢になって、帝人は微笑む。たとえそれがどんなにくだらない話でも、何度そんなことがあっても、帝人は懲りずに、いつも俺の言葉に耳を傾けてくれるんだ。
本当に、言うのか?
心の中の卑怯な俺が、俺に意地の悪い質問をずっと投げかけ続けている。
言ってしまったら、もうここには戻れないぞ?
もうこんなふうに一緒にいられなくなるぞ?
それでも、いいのか?
って。
俺は帝人と出会えた事に感謝してる。だから、出会えて今まで友達やってこられて、それはすごい奇跡だ。
こいつのこと好きだって、一目見た時に思ったんだ。いいやつだ、って。
何でかは、わかんないけど。
だから、そんなやつとずっと一緒にいられること、それだけで満足しておけば、よかったのかな。
でも、それじゃもう嫌なんだって、心の中で軋む音がするのも本当なんだ。
「帝人、」
「だからなに?」
さっき話しかけておいてスルーしたというのに、特に機嫌を損ねた様子もなく首を傾げる帝人は、きっと元来の性格に上乗せされて、多大に俺の影響があるに違いない。
そんなことを考えて、気を紛らわした。
「俺、お前のこと大好きだ。お前が友達でよかった。お前とダチになれてよかった」
「どうしたの、いきなり?え、なんかシリアスモード突入なの?」
「まあ聞いてくれって。小学校で会ってさ、お前とつるむようになったろ?」
「うん」
真面目に聞いてくれる帝人が相槌をうつ。
「で、一度別れて、今またつるむようになった」
「うん…?」
「そうなってさ、それからの毎日がとても楽しくって仕方なかったんだよ。俺。だけど…同じくらいに辛かったんだ」
「え…?」
「…わりぃ、なんかうまく言えねぇわ。だから、俺はさ、帝人。お前と、…なんていうか…今のままさよならしたくないんだよ。
…友達のままじゃもう嫌なんだ。
俺、帝人の事、ずっと、ずっと前から…好きだったんだ」