バラ色デイズ
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金銭的理由と精神的理由で飲み食いをセーブした結果、翌朝の目覚めは快適だった。
リビングに顔を出すと、長椅子の上にはきちんと畳まれた毛布と、新聞が乗っている。余白にハンガリーの字でメモがあった。
『泊めてくれたお礼に朝ご飯作ってあげるから、ちょっと待ってて』だそうだ。
じゃあ、コーヒーの支度をしておくかとキッチンで湯をわかしだしたところで、けたたましい着信音が鳴った。
「なんだ?」
俺の携帯の音ではない。音源を耳で探っていくと、毛布と新聞の間にハンガリーの携帯が挟まっていた。オーストリアの名前が点滅しているのを見てげんなりするが、せっかくだからからかってやってもいいような気がする。昨夜あれだけ見せつけられたんだから、ちょっとくらい。
「よう坊ちゃん、ハンガリーなら外出中だぜ」
電話に出るなり鼻先で笑ってやると、答えがない。
俺の家にハンガリーが泊まったという事実におののいたか。なにもしてないけど。
「俺に朝飯を作るためにな!」
だめ押しをしてみる。どうだ仲良しだろう。少なくとも事実だけ並べるとものすごくラブラブだろう。なにもしてないけど!!
電話の向こうで息をのむ気配がある。
ほらみろ、いつも堂々と構えてたって、坊ちゃんだって揺らぐんだ。もうあんな女二度と泊めてやらねえから、一回くらいヤキモチ焼いて喧嘩しやがれ、と俺は自棄になった。
「あいつ俺に誕生日祝われなかったのがよっぽど寂しかったらしくてな、わざわざこっちの町うろついて俺に声かけてきたんだぜ!」
そういえばなんでこっちに来てたんだろうかと言いながら思い出す。仕事ならドイツの方へ行けばいいものを、わざわざ俺の家の近くでうろうろする理由がわからない。
「土産物屋で買ってやったバングルもずっと着けてたし、あれは相当俺に惚れてるな!」
センサーがおもしろいという理由で身に着けてただけですけどねー!
内心ではツッコミが止まらないながらも、事実を粉飾して伝達する分にはずいぶん仲良しなカップルのように思えてきて楽しくなってきた。こじつければこじつけられるものだ。
「夜中に寝ぼけて写メでもしてただろ、あいつ。バングル自慢されたんじゃねーの?」
ケセセと高笑いしたところで、背後から外気が吹き込んできた。
ハンガリーが帰ってきたのか、と体をすくめる。どこから聞かれていたかによってはフライパン確定だ。防御の姿勢で振り返る。
「その通りですよ、お馬鹿さん」
どさりと紙袋をテーブルに下ろしたのは、オーストリアだった。
「ん?」
俺がハンガリーの携帯で話している相手はまだ通話中なのに、オーストリアの両手は買い出しの食料でふさがっていた。
「夜中に、初めてもらったプレゼントだとメールを送ってきました。朝ご飯を作ってあげても嫌がられないだろうかと聞かれたので、買い出しなら荷物持ちを手伝おうと思って」
オーストリアは手早く牛乳と卵を冷蔵庫にしまうと、背後で黒い携帯を握りしめたまま呆然としているハンガリーを振り返った。
ハンガリーのピンクの携帯を握りしめたまま、俺も固まる。
「あんな嬉しそうな顔は、結婚式で『プロイセンにドレスを誉められた』と報告に来た時以来でしたね」
顔色ひとつ変えずに言いながら食パンをカウンターに置き、ヨーグルトとジャムのラベルを確認して冷蔵庫に入れ、ぱたんと扉を閉める。オーストリアはハンガリーと俺の顔を見比べた。
「私は用がありますので、これで。ハンガリー、連絡も付いたでしょうから携帯を返してください」
硬直するハンガリーから携帯を抜き取ると、オーストリアはスタスタと出ていく。
そうか、携帯を忘れたからオーストリアの携帯を借りて、覚えてるから自分の番号にかけて、ハンガリーが電話していたわけで、電話してたというか、俺の自慢話を聞いてたわけで、ツッコミがないということはそれはつまり。
まさか、と思う気持ちはハンガリーの顔を見て吹き飛んだ。
ハンガリーは緑の瞳をまんまるにしたままだ。携帯を耳に当てようとしていたポーズのままだった左手がゆっくり降りて、それから両手で口元を覆う。
俺はウェディングドレスのハンガリーのこぼれるような笑顔を思い出す。
バングルを腕に通した時の得意げな顔を思い出す。
「…って、たの」
立ち尽くした女が消え入りそうな声で言う。
「いやその、当てずっぽうで」
じろりと緑の瞳ににらまれる。
「知ってるかどうかと言われれば、答え合わせ待ちというか」
この件についてはどうにも、勝手に正解を導けないのだから、煮え切らないのは仕方ない。
ハンガリーはバラ色に頬を染めたまま、深呼吸をした。若葉色の目にまっすぐ見つめられて、背筋にさざ波が走る。
「じゃあ、正解を教えてあげる」
ハンガリーがそろりと両手をさしのべる。
左手首のバングルなんかより、ハンガリーを彩るバラ色のほうがずっと雄弁だ。
俺はハンガリーの背中に両手を回して、唇をかぶせた。
ただまあ、あいつらへのレポートには役に立つと書いてやろう。
〔終〕