前に進む勇気
* * * * *
「《赤い星座》の可能性……か。」
話を聞き終えてロイドはぽつりと呟き、ランディも硬い表情を崩すこともなく頷いた。
猟兵団《赤い星座》。大陸西部最強の猟兵団の一つで、かつてランディが属していた場所。そして現団長は彼の父親でもある。
その《赤い星座》に名を連ねる者がロイドの兄の命を奪ったのではないか。或いは自分こそが、ロイドの家族を奪ったのではないか。そう考えたらどうしようもなく身体が震えるのだと、ランディは瞳に暗い闇を宿して自嘲した。
「お前は俺が犯人じゃないって言ってくれたけどさ。それでも俺は、俺自身である可能性を消すことができない。そして俺の親父……《赤い星座》が関わっていないなんて簡単には思えないんだ。もしかしたら俺や、俺の身内がお前の兄貴の仇なのかもしれない。そんな俺がお前を抱くなんて……お前とお前の兄貴に申し訳なくてできないんだよ。」
そう言って両手で顔を覆い天を仰ぐランディを前にして、ロイドは項垂れた。
「ごめん。俺、勝手に誤解して……」
「いや、ちゃんと説明しなかった俺が悪いんだ。不安、だったんだろ?」
「ん……」
顔を上げられないままこくりと頷く。視界に映るのはテーブルに置かれている雑誌。つい先ほどまでランディが見ていたそれには、柔らかそうな白い肌と丸みを帯びた身体、胸を強調するようなポージングで媚びるような笑顔を浮かべた女性の姿が写っている。ロイドにはないものばかりを兼ね備えたその女性に嫉妬したなど到底言えるわけもないが、彼はもう気付いているかもしれない。
じっと雑誌を睨みながらそんなことを思っていると、小さな笑い声が耳朶をくすぐり、ふわりと頭が撫でられた。そのまま抱き寄せられて視界が塞がれ、すぐに解放されたロイドの目に、もうあの女性の姿は映らなかった。代わりに見えるのは導力車の広告が掲載された雑誌の裏表紙。
……やはり、お見通しだったようだ。
無性に照れくさくなって自分の頬をランディの胸に押し付けると、また男が小さく笑うのがわかった。だが今度のそれは苦みを含んでいて、ロイドの胸を締め付ける。
「お前を傷つけたくなくて、お前の兄貴を殺ったのが誰なのかはっきりするまでこれ以上は近づかないって、そう決めたはずだったんだ。なのに、ロイドの顔見たらそんな決意どっかにいっちまって。……余計に傷つけちまったら意味ないよな。悪かった。」
「そんなのことない……俺こそ、ひどい事言った。」
「いや、俺はうれしかったけどな?」
「え?」
顔を上げると、優しげな笑みを浮かべるランディと目が合う。その瞳が悪戯っぽく細められた。
「『それでも俺はランディが好き』、なんだろ?」
「う……」
返す言葉もなく、かあっと火照っていく顔の熱を感じながら睨みつける。垂れ目がちの瞳がさらにやにさがっていくのを見るうち、その笑顔が小さく引きつっているのに気付いてロイドは顔を曇らせた。そっと手を伸ばし、口端の小さな噛み傷に触れる。
「……痛い?」
「平気だって。こんなの、舐めときゃ治る。」
「……うん。」
「悪いと思うなら、お嬢たちへの言い訳を考えっ……」
ランディの声が途切れ、瞳が驚きに見開かれる。
だがそれに構わず、ロイドは目の前に晒されている傷に舌先で触れた。僅かに血の味がするそこをぺろりと舐め上げ、改めてランディの唇に自分のそれを重ねる。
何度も触れるだけのキスを繰り返し、薄く開かれた中に舌を差し入れる。傷に障らないようにと緩慢になる動きに焦れたのか、されるがままだったランディが攻勢に出ると室内に小さな水音が響いた。
「ん……っ、ふ……」
ランディの右手は撫でるようにロイドの髪を混ぜ、左手は宥めるように背に回される。拘束はどこまでも優しく、ロイドを捕らえて離さない。
そしてランディも、ロイドの縋るような手に、甘えるような声に、彼が与える蜜の味に囚われていく。
「っ……んん……は、ぁ……」
あえかな吐息が水音と共に零れ落ち、二人を繋ぐ銀糸が光を反射して切れる。視線が宙で絡み合い、閉ざされ、そしてまた唇が触れ合う。
「……ロイド……」
自分の名を呼ぶランディの声が、自分を見つめるランディの瞳が、情欲で濡れている。その全てに煽られて、ロイドの身体が熱くなる。そしてそれはきっと、ランディも同じなのだろう。ロイド自身も同じ様に彼を見つめているのだから。
それでも―
「俺、頑張るから。」
離れがたいと訴える本能を理性でねじ伏せ、ゆっくりと立ち上がる。抱き止めるランディの腕に、一瞬、離すまいと力が込められたが、すぐにするりとロイドの身体を滑り落ちた。
ランディの決意を聞いていながらそれを寂しいと思ってしまう、この気持ちは罪だろうかと自問し、ロイドは小さくその顔に笑みを浮かべた。
「兄貴を殺した犯人は、俺が必ず逮捕する。」
罪であるはずがない。それこそ、ロイドがランディを想っている証なのだから。そして、ランディが見せてくれたロイドに対する想いに応える方法は、ただ一つしかない。
「ランディが兄貴の事件には無関係だって、絶対に証明してみせるから。」
「……ああ。」
困ったように眉を寄せるランディの表情を見つめ、ロイドは小さく笑ってみせた。彼が何を考えているのか、手に取るようにわかる。だから伝えなくてはいけない。……今。
「例えランディが無関係でなくても、俺の気持ちは変わらない。……それが、あの夜の質問に対する俺の答えだ。」
「っ?!」
「兄貴の事件の犯人が誰であっても、俺はランディのそばにいたい。ランディにも俺のそばにいて欲しい。だから、事件が解決したら……その時は……」
そこまで言ってロイドははっと息を飲み、勢いよく頭を振るとくるりとランディに背を向けた。
「な、なんでもない。……それじゃ、報告書はもらっていくから。おやすみ!」
普段よりも早口に告げ、普段よりも早足でランディの部屋を飛び出す。バクバクと早鐘のように脈打つ心臓を服の上から押さえたロイドの顔は、これ以上ないほどに赤く染まっていた。
羞恥に耐えられずランディの部屋を飛び出してしまったロイドは知る由もない。
「~~~っ、しないって言ったのは俺だけどよ、だからって煽るだけ煽って帰るか普通?!……どうしてくれんだよコレ。」
一人部屋に取り残されたランディが、先程より一層元気に存在を主張する自身を見下ろして深く長いため息を零していたことを。
ランディはソファに深く身体を沈め、目の前の壁を隔てた向こう側にいる恋人を想って、深く長いため息をついたのだった。