煙を燻らす男達
SIDE C
館内は全室禁煙だから、タバコは、外の、非常階段で吸う。
地上23階、空中に突き出た階段の踊り場から空に向かって煙を吐くと、なんともいえない開放感に包まれていい気分だ。ダイノボットは、この場所が割と気に入っていた。
正義の味方に寝返ってから、周りに度々禁煙を勧められているが、その度に、クソくらえだぜ、と、ダイノボットは思う。
(この気分を手放すって手はねえよな)
それに、今の仲間には喫煙者がいないので、タバコを吸う間は完全に一人になれる。そのことも、ダイノボットの気に入るところであった。
ところが、今日は、いつもと様子が違った。
丁度タバコに火を付けたところで、カコン、と非常扉が開く音がした。
振り返っても誰も居ない……と思いきや、視線を下げた先に、グレイだかブラウンだか分からないボサボサ頭が目に入る。
「……テメエか。何しに来やがった」
ダイノボットの肩にも届かないくらいの背丈の男が、トレードマークのにやにや笑いを浮かべて、ダイノボットを見上げていた。ラットルだ。
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃな~い。ね、灰皿使ってるでしょ? ちょっーと貸してくんない?」
「灰皿だあ? そんなモン何に使うってーんだ、あ~ン?」
「まあまあ、いいじゃない」
不審に思いながら携帯の灰皿を貸すと、ラットルはそこからタバコの吸い止しを二、三本取り出して中身をほぐし、立ったまま、器用に新しい紙を巻いて、フィルターを取り付けた。
「……しみったれてんな。タバコぐらいケチケチせずに買いやがれ」
「いいのいいの。買うほどじゃないんだよ、ただの気分転換なんだからさー」
ラットルはちょっと自分の体を探ってから、もう一度ダイノボットを見上げた。
「火、貸して?」
「厚かましい野郎だ」
ライターを出すのも面倒くさいので、吸いかけのタバコをラットルの目線まで下げてやる。ラットルは自身の指に挟まったヨレヨレのタバコをくわえると、先を合わせて、火を移した。
「さんきゅー」
礼の言葉と一緒に、ふうっと煙を吐く。ダイノボットはその慣れた仕草を、奇妙な違和感を持って眺めた。
「……テメエ、吸ってやがったのかよ」
手すりから下を覗いて大袈裟に体を震わせ「おー、こわ」と一言呟いてから、非常扉まで戻って座り込んだラットルに、ダイノボットは問い質した。なんとなく、騙されたような気分だ。
「普段は吸わないよ?たまーにね、ちょっと入れたくなる時が、あるんだよねー」
「ダー……それで、シケモク専門か?」
「一本貰っても、全部吸い切れないんだよ」
見ていると、確かにラットルは、殆ど煙を肺に入れていないようだった。時々、ちょっと口を付けるだけ。空にそのまま昇っていく煙の方がはるかに多いように思える。
「まったく、シケた吸い方だな。お似合いだぜ」
「……アンタみたいに始終プカプカやらかしてるよか、ずーっといいと思うけどね!」
鼻に皺を寄せて、ラットルは反論した。
「あーあ、久々の一服タイムなのに、相棒はサイアク~。でも、タバコ吸うの、アンタしかいないからなあ。さすがのおいらも、司令官室に行ってまで、吸い殻チョーダイ! とは言えないしー」
「……ちょっと待った、司令官室だと!?」
顔色を変えたダイノボットを確認して、ラットルはにやーっと笑った。
「そ。ここのフロアで、唯一喫煙が許されてる場所なの」
「……そんなこと聞いてねーぞ! ちくしょう、誰も吸わねーんなら、俺に解放してくれたっていーじゃねーか、あ~ン!?……いや、待てよ? ラットル、テメエさっき『吸い殻貰いにいく』って言ったよな……? ということは、もしかして……」
「ああ、コンボイがね」
「なっにいいいい!?」
ダイノボットは、今度こそ、激高した。
「コンボイの野郎、俺の顔見りゃあ、澄ました顔で『タバコは止めたらどうだ?』とか言ってやがんだぞ! テメーも吸ってりゃ世話ねーじゃねーか!」
「待った待った、おいらに怒ったってしかたないだろ!? あの無茶ゴリラだっていつも吸ってるって訳じゃないらしいし。ただ、ストレスが溜まると、時々手が出ちゃうってさ。たぶん、本人も止めたいんじゃないの? なのに目の前で楽しそーに吸われたら、ねえ……ダーダ恐竜ちゃん?」
「ダー、そんなのァ、ただの八つ当たりじゃねーか! 俺ァ断じて認めねーからなあ、こうなったら、やっぱり司令官の座を奪ってやる。他人に隠れてこそこそタバコ吸うような奴に、司令官の器なんざ、あるわけねえ!」
「あーはいはい。まあ、他人に隠れて時々吸う奴と堂々としょっちゅうふかしてる奴と、どっちに司令官の器があるかなんて、分かったもんじゃないけどー」
「テメエ、勝手なこといいやがって! 止めんなよ!?」
「……勝手なこと言ってるのはどっちだよ」
ラットルは、最後、浅く一吸いすると、潔く灰皿にシケモクを押し付けた。もちろん、ダイノボットの携帯灰皿に、である。
ダイノボットの指の間のタバコは、まだ半分ほどしか減っていない。
「そりゃ~、アンタと司令官様の60分一本勝負は見たいけど。……でもさー、どうでもいいことで面倒は起こさないでよ? アンタなら、コンボイがどーしてタバコに手を出しちゃうかっていうのも、分かんだろ?」
「……ダー…」
痛いところをつかれて、ダイノボットは勢いを削がれた。
全く個人的な都合で正義の軍団に加入したダイノボットだが、入ってみると、戦況の厳しさは想像以上だった。
コンボイは時折無茶ゴリラなどと揶揄されるが、おそらく、本人の元々の性質ではない。無茶を通さなければ、活路が開けないような状況なのだ。上部機関にも頼れない、極秘の寄せ集め遊軍の指揮が、生真面目な司令官を日々悩ませているのは、手に取るように、理解できた。
「……だが、納得はいかねえ! チッ、俺ァ、どうすりゃいいんだ?」
「もー、おいらが知るわけないでしょ! とにかく! ごたごたは御免だからね!……まあったく、ただでさえややっこしいのに……」
ラットルは立ち上がると、携帯灰皿をダイノボットのポケットに押し込んだ。踵を返して非常扉を開ける。
「おい、ラットル!」
呼び止めると、ラットルはドアの向こうに消える直前に、ひょいと顔だけを覗かせた。
「……どーしても司令官室で吸いたいんなら、コンボイにお願いしてみたら?『ボクちゃんと一緒にタバコ吸ってえ~ん♡』ってね!」
「テメエ!」
怒鳴った時には、もうドアの向こうの気配も遠のいている。まさにネズミの逃げ足の早さである。
「……チッ」
一人残されたダイノボットは、もう一服、肺に煙を満たしてから、だいぶ短くなった手元のタバコをじっと見つめた。
(……さて、どうするか)