はじまる一週間 (金曜日)
静雄はそういう細かい事を今まで気にした事はない。しかし、頷く少年の眉のつり上がった表情を見てそれもそうかと考え直した。確かに、言われてみれば野菜は足りないのかもしれないなと思って口を噤んだ。目の前の少年がその静雄の心中を知れば、「野菜以前の問題ですよ」と更に口を尖らせただろう。
「ご実家じゃないんですか?」
「俺は一人暮らしだ。俺以外いないし、家に帰る時間もまちまちだからいつも外食ばっかしてるな」
「じゃあ、」
そこで少年は今までの剣幕が嘘のように黙り込んだ。俯いた顔に不思議に思い(何か作ってくれるのか)と浅はかな考えが浮かぶ。
(そんなばかな)とも思う。
今まで静雄が付き合った女には、そういう殊勝な事を言ってくれる者はいなかった。例え静雄の食事が外食ばかりだと知ってもである。特に静雄に興味を示してはいなかったのかもしれない、と静雄は考えて俯いた少年の口元を見た。半開きになったそこからは小さく「ええと」とか「あの」といった迷う様な言葉にならない声が漏れている。
「お前、俺が食費出したら作りに来てくれるか?」
それは決して少年のその顔を見て、同情心や哀れみから出た言葉では無い。静雄の心に芽生えた保護欲から、いつの間にか自然と口から出ていた言葉だった。気持ち悪がられるかと怯えたところで、少年が嬉しそうな笑顔を自分に向けてくれて静雄は胸を撫で下ろした。
「いいんですか?」
「お前がいいならいいけど」
言葉尻の窄んでいく静雄に、嬉しそうに少年が礼を述べてくる。ぺこりと小さく下げられた短い髪のはね具合を見ながら、静雄は自分の手元にあるシェイクを飲み始めた。
「じゃあ、明日伺ってもいいでしょうか」
「明日か」
明日といえば、平時通り午後から集金である。午前中に来てもらえれば大丈夫だと伝えると笑顔で頷かれてしまい、既にほとんどなくなったシェイクを飲んで恥ずかしさを隠す事しか静雄には出来なかった。
「じゃあ午前中、今日と同じ場所で待っててもいいでしょうか」
「ああ、分かった」
時間と場所をもう一度確認し、少年が携帯に何やら予定を記したところで二人の会話は一度終了する。
静雄が店内の時計に目をやると、既に七時を回ろうかという時間だった事に驚いた。店内に入った時点ではまだ明るかったというのに、外はすっかり暗くなってしまっていたようである。
一体自分はどれ位の時間話し込んでいたのだろうか。
「送ってく」
「え、大丈夫ですよ?」
トレーを手に持って静雄が席を立つと、慌てたような仕草で少年も立ち上がった。
「大丈夫じゃねえだろ」
池袋は既に夜に覆われている。日が高い時間帯ですら、危ない場所の多い池袋で夜の帳が降りれば、そこは既に別世界である。特に今日は休日前の金曜日だ。童顔の高校生がふらふらとうろついていれば、間違いなく補導されるかからまれるのは必至だった。
店内を出て帰り道はどちらの方向か聞けば、おずおずと場所を言われてそちらの方へ離れないように歩いて行く。
「静雄さん、何だかごめんなさい、今日は付き合って頂いたのに家まで送って頂いて…」
「別にいい」
付き合っているんだろうとは、静雄は言えなかった。
まるで知人のような遠慮する言葉を崩さない少年に、本当に付き合ってくれと言われたかどうかすら怪しく思えてきてしまったのだ。もしかしたら自分の妄想なのかもしれない。静雄の心中で経験した事のないざわざわとした感情が渦巻いている事から、余計にその考えは現実味を帯びているように静雄には思えてならなかった。
「竜ヶ峰」
「え」
隣を歩く少年が夜の池袋に不釣り合いな程に弱々しく思えて、静雄は名前を呼んでその存在を確かめる。隣にいる事を確認出来た事に安心して信号を渡ると、そこで煙草に火を付けた。
「静雄さん、煙草吸わなかったですよね」
ありがとうございます、と続けられた言葉に静雄も(そうだったかな)と思い立つ。隣を歩く少年と一緒にいると、それが高校生であるせいかどうも煙草を吸おうという気持ちがなくなってしまうようである。
初めて公園で会った時もそうだったな、と静雄はぼんやりと思い出す先日の件を頭で回想し、歩幅を合わせるようにゆっくりと歩いて行く。
その後、少年の家の前で何度も礼を言われたところで、静雄は改めてその古いという言葉すらおこがましいアパートと少年の顔を見比べて(守ってやらなければ)と感じる事となる。
既に一週間と言う期間を前提にした付き合いで有るという事はすっかり頭から抜け落ちてしまう。
新しく知る金曜日
作品名:はじまる一週間 (金曜日) 作家名:でんいち