たいばに 兎虎 抱擁
「本当にやめちまうのか? 」
ベッドから声がしたので、そちらに視線を向けた。かなり重傷と思われた虎徹さんは、ヤケドとアバラを何本か折っていたが、生命の危険はなかった。とはいうものの、検査や治療と続いて鎮静剤も投与されていたから、そのまんまぐっすり眠っていたのだ。僕のほうは、打撲はあったものの大したことはなかったので、経過確認のための入院で済んだ。病室はとなり同士だったから、ここまで来て見守っていたのだ。
「もう決めました。」
「まあ、おまえの人生だから、おまえが決めりゃいいんだけどな。・・・・・楓は? 」
「あなたのお兄さんが迎えに来られて帰りました。」
事件の後で、僕と虎徹さんは、そのまま病院へ運ばれた。娘さんも付き添っていたのだが、そこへ虎徹さんのお兄さんが駆けつけてくれた。騒ぎが収まるまでは、いくら引退といっても、すぐには開放されないだろうし怪我のこともあったから、一足先に帰ってもらうことになったそうだ。その辺りは、僕も後から聞いた。僕たちコンビは、ボロボロで、そんな対応が出来る状況ではなかったからだ。
「そりゃ助かった。兄貴に、借りができたな。」
はあーと大きく息を吐いて、虎徹さんも苦笑している。まさか、娘が事件に飛び込んでくるなんて想像もしていなかったのだろう。そして、娘さんのお陰で、僕以外の関係者の記憶が戻せたことも幸いだった。あの段階で、みんなの記憶が戻らなければ、虎徹さんは確実に犯罪者として逮捕されていた。そうなったら、無事では済まなかっただろう。事実は闇から闇へ消されて、虎徹さんは殺されていたはずだ。
「・・・・あなたが生きててよかった。」
「あれぐらいで死んでられるかよ。・・・・おまえ、怪我は? 」
「打撲だけで済みました。あなたほどの無茶はしてませんから。・・・・広範囲のヤケドとアバラが何本か折れているそうなので、しばらくは入院することになると思いますよ。」
「まあなあ、死ぬほど痛かったもんなあ。」
「僕は死んだと思いました。」
「だからぁー脈ぐらい測れよ? 人間ってーのは、そうそう死ぬもんでもないんだぞ。」
「だって、あなた・・・・・僕に・・・・あんなこと言ったら、誰だって。」
「単に礼を述べたんだけどさ。おかしかったか? 」
「『今までありがとう』ってなんですか? 」
「いや、俺、引退するつもりだったし・・・もう、おまえと組むこともないだろうから。」
「引退したら終わりなんですか? 」
僕らの関係は、それだけではない。最初は、どちらも酔っ払いのアクシデントで始まってしまったものだったが、僕には、この人が必要で、今では離れることなんて考えられないほど深く愛している。だというのに、この人は、飄々とそんなことを言うので、腹が立った。
「終わりにしとけ。これから、違う人生を歩いてみたいんだろ? それなら、こんなおじさんを相手にしてることもないさ。もっとぴったりした相性の良いのと出会うだろうからな。」
「僕は、あなたをセフレだと思ってません。むしろ、プロポーズして結婚して欲しいんですが? 」
何度か口の端に乗せたのだが、この人は、それをジョークとして受け流した。それで喧嘩したこともある。セフレという認識なんですか? と、僕が怒鳴ったら、「そんなもんで、男に足を開けるかっっ。」 と、この人も怒鳴り返した。一人で生きているわけじやないんだぞ、と、娘さんのことを持ち出した。だから、僕も、いつか、娘さんが手を離れたら、その時に、と、考えを改めたのだが、また同じ事を言う。
「バニーちゃん、ほんと、いい男なのに、その点では残念だよな? 」
「どこがですか? 」
「セックスの相手を選ぶ趣味が悪い。なんで、俺なんだ? 」
「あなたじゃないと、僕はダメなんです。」
「それは、今までの状況だと、そうなっちまったってだけだろ? これから、違う生活を始めたら、おまえの周りは、もっと広がる。広がれば、いい女もいい男も選びたい放題だぞ? 」
「それでも、僕の領域へ踏み込んでこじ開けて、僕という人間を受け入れてくれるような人なんていません。」
「だからさ、経験してみないとわかんないって。どうせ、俺、田舎に帰っちまうから、会えなくなるんだし。」
「会いに行きますよ。ヒーローじゃなくなったら、時間の都合はつく。」
「・・うん・・・まあ、それでもいいんだけどさ。」
どうせ、この人は、僕の言葉なんて信じていない。残念な子だ、と、僕の頬を撫でて笑っている。どれだけ、僕が本気なのか、これから理解してもらわなければならないんだろう。
「退院したら、あなたを監禁して僕の身体なしではいられないようにしてみるといいんでしょうか? 」
「やりたきゃやればいいさ。それで、バニーちゃんの気が済むなら付き合うよ。」
「あなたは、どうなんですか? セフレじゃないとおっしゃいましたよね? 」
「セフレじゃないけどなあ。遠距離恋愛を楽しむってほど若くはない。そんなとこだろうな。」
「意味がわかりません。」
「まあ、しばらくは付き合うさ。だから、そんな悲しそうな顔をするな。・・・・・俺の言ってる意味も、そのうち解る。」
僕の大切な人は大人で、僕には理解できないことを言う。いつか意味が解ると言われても、歯痒いだけだ。一時の盛り上がりだと思われているのだとは理解している。そういうものではないのだと、説明しても、僕の大切な人は笑うばかりで頷いてはくれない。僕にとって、虎徹さんは、初めての相棒で、初めて信頼できる人で、初めて全部を独占したいと思わせた人だ。そんな人の代わりなんて、できることはないだろう。
・
・
・
一年を、いろいろと模索して過ごした。その間、何度か虎徹さんと会った。相変わらず、僕の大切な人は僕と身体を重ねてくれたけど、それだけだった。別の人生は見つかったか? と、聞かれても、僕は答えられなかった。虎徹さんと出会うまでは、ひとりで生きてきた。虎徹さんとコンビを組んでから、誰かに頼ったり頼られたりすることに慣れた。虎徹さんが傍にいてくれたら、他の興味のある人生も進めそうな気がするのに、ひとりで進めるのは気が進まなかった。
そして、一年して、僕の元に飛び込んできた情報に、驚いて、それから歓喜した。何より僕の欲しいものが揃った情報だったからだ。
・
・
・
「どうして、一言の相談もなしに再就職してるんですか? 」
「いや、だって、おまえ、違う人生を歩きたいって言っただろ? 」
とりあえず仕事を終えて、虎徹さんを僕の部屋に引き摺ってきた。ふたりきりになってから、僕は口を開いた。まったく僕には知らされていなかった。僕が知ったのは、別の人からの情報だ。なぜ、コンビである僕に、一言の説明もなく再就職しているのか、問い質しにかかった。能力がなくなっても仕事は続けようと思う、と、この人は言うのだが、それこそ、相棒が、僕が必要だと思わないのか、と、言い募った。
「思わないって言ったら嘘になるけどさ。おまえのやりたいことを止めてまですることじゃないだろ? これは俺の都合だ。」
「でも、話ぐらいしてくれもいいじゃないですか。」
ベッドから声がしたので、そちらに視線を向けた。かなり重傷と思われた虎徹さんは、ヤケドとアバラを何本か折っていたが、生命の危険はなかった。とはいうものの、検査や治療と続いて鎮静剤も投与されていたから、そのまんまぐっすり眠っていたのだ。僕のほうは、打撲はあったものの大したことはなかったので、経過確認のための入院で済んだ。病室はとなり同士だったから、ここまで来て見守っていたのだ。
「もう決めました。」
「まあ、おまえの人生だから、おまえが決めりゃいいんだけどな。・・・・・楓は? 」
「あなたのお兄さんが迎えに来られて帰りました。」
事件の後で、僕と虎徹さんは、そのまま病院へ運ばれた。娘さんも付き添っていたのだが、そこへ虎徹さんのお兄さんが駆けつけてくれた。騒ぎが収まるまでは、いくら引退といっても、すぐには開放されないだろうし怪我のこともあったから、一足先に帰ってもらうことになったそうだ。その辺りは、僕も後から聞いた。僕たちコンビは、ボロボロで、そんな対応が出来る状況ではなかったからだ。
「そりゃ助かった。兄貴に、借りができたな。」
はあーと大きく息を吐いて、虎徹さんも苦笑している。まさか、娘が事件に飛び込んでくるなんて想像もしていなかったのだろう。そして、娘さんのお陰で、僕以外の関係者の記憶が戻せたことも幸いだった。あの段階で、みんなの記憶が戻らなければ、虎徹さんは確実に犯罪者として逮捕されていた。そうなったら、無事では済まなかっただろう。事実は闇から闇へ消されて、虎徹さんは殺されていたはずだ。
「・・・・あなたが生きててよかった。」
「あれぐらいで死んでられるかよ。・・・・おまえ、怪我は? 」
「打撲だけで済みました。あなたほどの無茶はしてませんから。・・・・広範囲のヤケドとアバラが何本か折れているそうなので、しばらくは入院することになると思いますよ。」
「まあなあ、死ぬほど痛かったもんなあ。」
「僕は死んだと思いました。」
「だからぁー脈ぐらい測れよ? 人間ってーのは、そうそう死ぬもんでもないんだぞ。」
「だって、あなた・・・・・僕に・・・・あんなこと言ったら、誰だって。」
「単に礼を述べたんだけどさ。おかしかったか? 」
「『今までありがとう』ってなんですか? 」
「いや、俺、引退するつもりだったし・・・もう、おまえと組むこともないだろうから。」
「引退したら終わりなんですか? 」
僕らの関係は、それだけではない。最初は、どちらも酔っ払いのアクシデントで始まってしまったものだったが、僕には、この人が必要で、今では離れることなんて考えられないほど深く愛している。だというのに、この人は、飄々とそんなことを言うので、腹が立った。
「終わりにしとけ。これから、違う人生を歩いてみたいんだろ? それなら、こんなおじさんを相手にしてることもないさ。もっとぴったりした相性の良いのと出会うだろうからな。」
「僕は、あなたをセフレだと思ってません。むしろ、プロポーズして結婚して欲しいんですが? 」
何度か口の端に乗せたのだが、この人は、それをジョークとして受け流した。それで喧嘩したこともある。セフレという認識なんですか? と、僕が怒鳴ったら、「そんなもんで、男に足を開けるかっっ。」 と、この人も怒鳴り返した。一人で生きているわけじやないんだぞ、と、娘さんのことを持ち出した。だから、僕も、いつか、娘さんが手を離れたら、その時に、と、考えを改めたのだが、また同じ事を言う。
「バニーちゃん、ほんと、いい男なのに、その点では残念だよな? 」
「どこがですか? 」
「セックスの相手を選ぶ趣味が悪い。なんで、俺なんだ? 」
「あなたじゃないと、僕はダメなんです。」
「それは、今までの状況だと、そうなっちまったってだけだろ? これから、違う生活を始めたら、おまえの周りは、もっと広がる。広がれば、いい女もいい男も選びたい放題だぞ? 」
「それでも、僕の領域へ踏み込んでこじ開けて、僕という人間を受け入れてくれるような人なんていません。」
「だからさ、経験してみないとわかんないって。どうせ、俺、田舎に帰っちまうから、会えなくなるんだし。」
「会いに行きますよ。ヒーローじゃなくなったら、時間の都合はつく。」
「・・うん・・・まあ、それでもいいんだけどさ。」
どうせ、この人は、僕の言葉なんて信じていない。残念な子だ、と、僕の頬を撫でて笑っている。どれだけ、僕が本気なのか、これから理解してもらわなければならないんだろう。
「退院したら、あなたを監禁して僕の身体なしではいられないようにしてみるといいんでしょうか? 」
「やりたきゃやればいいさ。それで、バニーちゃんの気が済むなら付き合うよ。」
「あなたは、どうなんですか? セフレじゃないとおっしゃいましたよね? 」
「セフレじゃないけどなあ。遠距離恋愛を楽しむってほど若くはない。そんなとこだろうな。」
「意味がわかりません。」
「まあ、しばらくは付き合うさ。だから、そんな悲しそうな顔をするな。・・・・・俺の言ってる意味も、そのうち解る。」
僕の大切な人は大人で、僕には理解できないことを言う。いつか意味が解ると言われても、歯痒いだけだ。一時の盛り上がりだと思われているのだとは理解している。そういうものではないのだと、説明しても、僕の大切な人は笑うばかりで頷いてはくれない。僕にとって、虎徹さんは、初めての相棒で、初めて信頼できる人で、初めて全部を独占したいと思わせた人だ。そんな人の代わりなんて、できることはないだろう。
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一年を、いろいろと模索して過ごした。その間、何度か虎徹さんと会った。相変わらず、僕の大切な人は僕と身体を重ねてくれたけど、それだけだった。別の人生は見つかったか? と、聞かれても、僕は答えられなかった。虎徹さんと出会うまでは、ひとりで生きてきた。虎徹さんとコンビを組んでから、誰かに頼ったり頼られたりすることに慣れた。虎徹さんが傍にいてくれたら、他の興味のある人生も進めそうな気がするのに、ひとりで進めるのは気が進まなかった。
そして、一年して、僕の元に飛び込んできた情報に、驚いて、それから歓喜した。何より僕の欲しいものが揃った情報だったからだ。
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「どうして、一言の相談もなしに再就職してるんですか? 」
「いや、だって、おまえ、違う人生を歩きたいって言っただろ? 」
とりあえず仕事を終えて、虎徹さんを僕の部屋に引き摺ってきた。ふたりきりになってから、僕は口を開いた。まったく僕には知らされていなかった。僕が知ったのは、別の人からの情報だ。なぜ、コンビである僕に、一言の説明もなく再就職しているのか、問い質しにかかった。能力がなくなっても仕事は続けようと思う、と、この人は言うのだが、それこそ、相棒が、僕が必要だと思わないのか、と、言い募った。
「思わないって言ったら嘘になるけどさ。おまえのやりたいことを止めてまですることじゃないだろ? これは俺の都合だ。」
「でも、話ぐらいしてくれもいいじゃないですか。」
作品名:たいばに 兎虎 抱擁 作家名:篠義