no one is here
俺は自分の特性や性質なんてものをある程度以上理解してると思ってるし、その自覚もしっかり存在する。例えば常にSPに守られているような重要な人間でもないし、地べたに這いつくばって小銭を探すような人間でもない。つまりは普通に道を歩ける人間だってことで、時間帯は夕方から夜が好きなただの情報屋だ。
しかし今回はそのノーマルな状況からちょっと逸脱していて、俺は妙に人気がない池袋をひたすら散歩していた。平日の昼間だってここまで人がいないなんてことはありえない。しかし今は夕方で、外灯もポツポツ点灯し始めている。俺は妙だねえなんて感想を持ちながら、それでもかたくなに散歩を続行していた。
そしてある瞬間唐突に思い付いた。「これは夢だ!」
思い付くともうその結論しか出てこないもので、俺はこの状況を楽しもうとさえ思うようになっていた。半分沈んだまま一向に消えない太陽や、半袖だったりコートだったり服装がちぐはぐな通行人、行く当てもなくひたすら歩いている俺なんて存在も、夢だからこそ許容されるものだ。
夢は自覚すると見ている人間の思い通りに動くという話を聞いたことがあるが、この夢はそうはならないらしい。俺はコントロールをするつもりは更々なかったけど、それにしたって俺の想像を上回るものが出てきた。
静ちゃん。
静ちゃんはゆらっと踊るように滑らかに俺の前方十メートルに現れた。声もなし自販機が飛んでくるでなし、俺の中の静ちゃん像ってこんなもんなの?ってくらいに、まさに名前の通り静かに平和に、その場に存在していた。俺と目を合わせないが、そこから移動もしない。俺の方もすぐにそこから動くわけでもなく、何故か静ちゃんが動き出すのを待っていた。正確に言うと、静ちゃんが俺に向けて何か喋り出すのを、ひたすら待っていた。
時間的には三十秒くらいだ。周囲の通行人はモブ役そのままに、誰も道路の真ん中で突っ立ったまま固まっている俺と静ちゃんに注意を払わなかった。むしろ人はどんどん減っていた。世界が灰色になる中で、静ちゃんの金髪は実に浮いていた。
する、と音もなく静ちゃんは近くの一方通行標識を捩り切る。そしてノーモーションで俺に投げ付けた。標識の先端が風を切り、俺の横を通り過ぎて再び道路に突き刺さる。俺は口の端がにやりと上がるのを感じた。こんなの、笑う以外にどうすればいいんだ?俺は夢の中でさえしょうもない追いかけっこをしたいのか?自分の年を考えてみろ、こんなに動いたら、確実に明日に響くっていうのに。
「臨也」
笑う俺を見て、静ちゃんは一切表情を変えずに、空の上から俺を見下すような声音で俺の名前を呼んだ。その声はあまりに静かすぎて、俺は一瞬誰が名前を呼んだのか分からなくなったくらいだった。
「臨也、お前さ」
静ちゃんは繰り返した。一息ごとに一歩ずつこちらに近寄ってくる。俺は例によって全く動けなかった。それでもよく分からない笑みが俺の顔には張り付いていて、瞼をひくつかせながら俺は続きを待った。
「自分のことを特別な人間だと思ってねえ?」
沈黙。
俺は予想外に長く口をつぐんでしまう。何を言ってるのか分からないというのがひとつ目で、どうして静ちゃんがそんなことを言うのかってのが二つ目の理由。とにかく全く予想外の指摘すぎて、俺はどう答えたらいいものやらその判断に一分の時間を使ってしまったのだ。
静ちゃんは手を真っすぐに下ろしたまま微動だにせず、俺の直前に立っていた。サングラスの奥の目が妙によく見えて、そこにも変わらず表情はない。サングラスに一瞬俺の顔が写り込み、無様に沈黙している姿がぼんやりと見えた。
「……思ってるわけ、ないじゃないか」
ぼそりと、笑顔でひくつく口が答えた。静ちゃんは無表情でそれを聞くと、ふうとため息なんてしてみせる。
「俺は普通の人間じゃない。こんなのは思い込みでもなんでもねえ、会う奴会う奴全員が言うことだ。だから俺は普通の人間じゃねえんだろう。力が強いってのは、それだけで異常性が際立つから」
ギリギリ。これは誰の歯ぎしりだろうか。
「だがよ、お前はそうじゃねえだろ?普通の人間だろ?頭がいいとか、趣味が悪いってのは誰にでもある特典みたいなもんで、そいつが普通か特別かってのを示す決定的な証拠じゃない。しかしお前はそれが欲しいんだ。どうしても、欲しいんだ、よッ!」
ごばっと空中が反転する。いや、俺が地面に叩き付けられたのか。足が折れたみたいに目茶苦茶に痛んだ。実際折れたかもしれない。スローモーションで再生される倒れる直前の映像。静ちゃんが無表情で俺の足を払っている映像。静ちゃんは払った足でそのまま俺の頭を踏み付けた。彼にしては柔らかく踏んだ方だ。俺は久々に地面のにおいをかいだ。自分の顔に砂利が食い込むなんていつぶりだろう。静ちゃんは一瞬の激昂をすぐに冷まし、また静かな声に戻る。
「だからお前は他人を使うわけだ。他人と歪に関わることで、自分はそいつらを利用しているという証が欲しい。関わる人間が異常であればあるほど自分の特異性も際立つから」
キリキリ。ザラザラ。静ちゃんはミリ単位の正確さで俺の頭を踏んでいく。ああああああああああ。聞こえる不快音は一体何なんだろうと思ったら、驚いたことに俺の悲鳴だった。頭が潰されそうだ。悲鳴は出るもんだ。ただしまともな反論が出ない。いや、わざと出さないのか。
「俺は本当にうんざりしてんだ。お前のランク付けやキャラクター性保持に付き合うのがほとほと嫌になってんだよ。分かってんだろ?お前が何もしなきゃ俺はお前なんか三秒で忘れんだよ。お前はそれをどうにかして引き伸ばそうとしてごたごたごたごた七面倒なことをやる。お前は俺に殺されることより俺がお前を殺さなくなることの方がよっぽど怖いんだ。俺という異常な人間に関われない自分が存在することが自分が死ぬことより怖いんだ」
「……ち、が、うって」
「何度も言うけどよ、本当にうんざりしてんだよ。ネタの分かってる話を聞くような、でかいこどもの年をわきまえないままごと遊びに付き合ってるみたいな、ああよく分かんねえけど苛々すんだ、自分の時間を潰されてんのが腹立つんだよ。お前の都合なんて知りたくねえ、言い訳もいらねえ、だから」
急に呼吸が軽くなる。頭の痛みも消えた。は、と起き上がるより先に、平和島静雄の、どこまでも平和な、無色の声。
「とりあえず死んどけや」
暗転。
いや、画面は全く暗転しない。何故ならこれは夢で、夢である以上俺には完璧な主体性と客観性が保証されている。
だから俺はぐちゃぐちゃに潰れた俺の頭部だったものと、痙攣してぴくぴく動く体と、それを見て足を振って血を落とす静ちゃんの姿を、これ以上ないくらい鮮明に捉えていた。俺はどうして抵抗しなかったんだろう。死んでもいいとは思えなかったし、起き上がって足の直撃を避けるくらいの反応はできたはずだ。どうして何もしなかった?静ちゃんの話に思うところがあったから?そんなはずはない。
そんなことくらい分かっている。
分かっていないことを分かっている。つまり、俺はこうまで呆気なく圧倒的な何かに惨めに容赦なく完璧に抵抗の余地もなく、殺されたいのだ。
「あら、凄い顔ね。平和島静雄に殺される夢でも見たような顔してるわよ」
しかし今回はそのノーマルな状況からちょっと逸脱していて、俺は妙に人気がない池袋をひたすら散歩していた。平日の昼間だってここまで人がいないなんてことはありえない。しかし今は夕方で、外灯もポツポツ点灯し始めている。俺は妙だねえなんて感想を持ちながら、それでもかたくなに散歩を続行していた。
そしてある瞬間唐突に思い付いた。「これは夢だ!」
思い付くともうその結論しか出てこないもので、俺はこの状況を楽しもうとさえ思うようになっていた。半分沈んだまま一向に消えない太陽や、半袖だったりコートだったり服装がちぐはぐな通行人、行く当てもなくひたすら歩いている俺なんて存在も、夢だからこそ許容されるものだ。
夢は自覚すると見ている人間の思い通りに動くという話を聞いたことがあるが、この夢はそうはならないらしい。俺はコントロールをするつもりは更々なかったけど、それにしたって俺の想像を上回るものが出てきた。
静ちゃん。
静ちゃんはゆらっと踊るように滑らかに俺の前方十メートルに現れた。声もなし自販機が飛んでくるでなし、俺の中の静ちゃん像ってこんなもんなの?ってくらいに、まさに名前の通り静かに平和に、その場に存在していた。俺と目を合わせないが、そこから移動もしない。俺の方もすぐにそこから動くわけでもなく、何故か静ちゃんが動き出すのを待っていた。正確に言うと、静ちゃんが俺に向けて何か喋り出すのを、ひたすら待っていた。
時間的には三十秒くらいだ。周囲の通行人はモブ役そのままに、誰も道路の真ん中で突っ立ったまま固まっている俺と静ちゃんに注意を払わなかった。むしろ人はどんどん減っていた。世界が灰色になる中で、静ちゃんの金髪は実に浮いていた。
する、と音もなく静ちゃんは近くの一方通行標識を捩り切る。そしてノーモーションで俺に投げ付けた。標識の先端が風を切り、俺の横を通り過ぎて再び道路に突き刺さる。俺は口の端がにやりと上がるのを感じた。こんなの、笑う以外にどうすればいいんだ?俺は夢の中でさえしょうもない追いかけっこをしたいのか?自分の年を考えてみろ、こんなに動いたら、確実に明日に響くっていうのに。
「臨也」
笑う俺を見て、静ちゃんは一切表情を変えずに、空の上から俺を見下すような声音で俺の名前を呼んだ。その声はあまりに静かすぎて、俺は一瞬誰が名前を呼んだのか分からなくなったくらいだった。
「臨也、お前さ」
静ちゃんは繰り返した。一息ごとに一歩ずつこちらに近寄ってくる。俺は例によって全く動けなかった。それでもよく分からない笑みが俺の顔には張り付いていて、瞼をひくつかせながら俺は続きを待った。
「自分のことを特別な人間だと思ってねえ?」
沈黙。
俺は予想外に長く口をつぐんでしまう。何を言ってるのか分からないというのがひとつ目で、どうして静ちゃんがそんなことを言うのかってのが二つ目の理由。とにかく全く予想外の指摘すぎて、俺はどう答えたらいいものやらその判断に一分の時間を使ってしまったのだ。
静ちゃんは手を真っすぐに下ろしたまま微動だにせず、俺の直前に立っていた。サングラスの奥の目が妙によく見えて、そこにも変わらず表情はない。サングラスに一瞬俺の顔が写り込み、無様に沈黙している姿がぼんやりと見えた。
「……思ってるわけ、ないじゃないか」
ぼそりと、笑顔でひくつく口が答えた。静ちゃんは無表情でそれを聞くと、ふうとため息なんてしてみせる。
「俺は普通の人間じゃない。こんなのは思い込みでもなんでもねえ、会う奴会う奴全員が言うことだ。だから俺は普通の人間じゃねえんだろう。力が強いってのは、それだけで異常性が際立つから」
ギリギリ。これは誰の歯ぎしりだろうか。
「だがよ、お前はそうじゃねえだろ?普通の人間だろ?頭がいいとか、趣味が悪いってのは誰にでもある特典みたいなもんで、そいつが普通か特別かってのを示す決定的な証拠じゃない。しかしお前はそれが欲しいんだ。どうしても、欲しいんだ、よッ!」
ごばっと空中が反転する。いや、俺が地面に叩き付けられたのか。足が折れたみたいに目茶苦茶に痛んだ。実際折れたかもしれない。スローモーションで再生される倒れる直前の映像。静ちゃんが無表情で俺の足を払っている映像。静ちゃんは払った足でそのまま俺の頭を踏み付けた。彼にしては柔らかく踏んだ方だ。俺は久々に地面のにおいをかいだ。自分の顔に砂利が食い込むなんていつぶりだろう。静ちゃんは一瞬の激昂をすぐに冷まし、また静かな声に戻る。
「だからお前は他人を使うわけだ。他人と歪に関わることで、自分はそいつらを利用しているという証が欲しい。関わる人間が異常であればあるほど自分の特異性も際立つから」
キリキリ。ザラザラ。静ちゃんはミリ単位の正確さで俺の頭を踏んでいく。ああああああああああ。聞こえる不快音は一体何なんだろうと思ったら、驚いたことに俺の悲鳴だった。頭が潰されそうだ。悲鳴は出るもんだ。ただしまともな反論が出ない。いや、わざと出さないのか。
「俺は本当にうんざりしてんだ。お前のランク付けやキャラクター性保持に付き合うのがほとほと嫌になってんだよ。分かってんだろ?お前が何もしなきゃ俺はお前なんか三秒で忘れんだよ。お前はそれをどうにかして引き伸ばそうとしてごたごたごたごた七面倒なことをやる。お前は俺に殺されることより俺がお前を殺さなくなることの方がよっぽど怖いんだ。俺という異常な人間に関われない自分が存在することが自分が死ぬことより怖いんだ」
「……ち、が、うって」
「何度も言うけどよ、本当にうんざりしてんだよ。ネタの分かってる話を聞くような、でかいこどもの年をわきまえないままごと遊びに付き合ってるみたいな、ああよく分かんねえけど苛々すんだ、自分の時間を潰されてんのが腹立つんだよ。お前の都合なんて知りたくねえ、言い訳もいらねえ、だから」
急に呼吸が軽くなる。頭の痛みも消えた。は、と起き上がるより先に、平和島静雄の、どこまでも平和な、無色の声。
「とりあえず死んどけや」
暗転。
いや、画面は全く暗転しない。何故ならこれは夢で、夢である以上俺には完璧な主体性と客観性が保証されている。
だから俺はぐちゃぐちゃに潰れた俺の頭部だったものと、痙攣してぴくぴく動く体と、それを見て足を振って血を落とす静ちゃんの姿を、これ以上ないくらい鮮明に捉えていた。俺はどうして抵抗しなかったんだろう。死んでもいいとは思えなかったし、起き上がって足の直撃を避けるくらいの反応はできたはずだ。どうして何もしなかった?静ちゃんの話に思うところがあったから?そんなはずはない。
そんなことくらい分かっている。
分かっていないことを分かっている。つまり、俺はこうまで呆気なく圧倒的な何かに惨めに容赦なく完璧に抵抗の余地もなく、殺されたいのだ。
「あら、凄い顔ね。平和島静雄に殺される夢でも見たような顔してるわよ」
作品名:no one is here 作家名:すずきたなか