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水底にて君を想う 細波【3】

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細波【3】

 賢木はベッド脇の時計を見る。
 夜の1時を過ぎた所だ。
「最悪……」
 重い息を吐き出す。
 どうやらインフルエンザにやられたようだ。
 患者から貰ったものらしい。
(まあ、あの人数じゃあ仕方ないか?)
 朝から晩まで三日間、インフルエンザ患者をひたすら診続けた。
 ある一地域で爆発的にウイルスが蔓延。
 時期はずれだったこともあり、さながらバイオハザード状態だった。
 実際ウイルステロも疑われたようだが、検査の結果、新種でも何でもなかった。
 普通の薬で済んだが、とにかく手が足りない。
 重症化してしまった患者には生体コントロールを使って凌いだ。
 医者としての本分だが、さすがにヘトヘトだ。
 ようやく沈静化して、三日ぶりの我が家だが、どうも体調がおかしい。
 とにかく寝ようと、ベッドに潜り込んだ。
 あまりの息苦しさに目を覚ましてみれば、発熱していた。
 自分で自分の様子を診ようと、胸に手を当てる。
 が、グラリと視界が揺れた。
 縁に手をつけて、何とか体を支える。
(ま、そうか)
 生体コントロールは消費も大きい。
 使い過ぎだ。
 ふと、時計の横に置かれた写真に目が行く。
 結婚式の写真だ。
 姉が新郎と共に笑っている。
 幸せそうだ、と思う。
(……皆本に礼を言わないとな)
 結局、母親とは挨拶もしなかったが。
 皆本に言われなければ出席しなかっただろう結婚式。
 賢木の口元が自然と緩んだ。
(救急車って訳にもいかねえし、どうすっかな)
 まだ医療機関は患者で手一杯だろう。
 とにかく水分を取ろうと、立ち上がるとそのまま床に倒れた。
(あー、こりゃぁマジまずい)
 頭がユラユラと揺れているようだ。
 視界がゆっくりと狭まっていく。
(まるで……)
 思考が沈んでいく。
 止めようもない。
(海の底……)
 賢木は自分が海の底に沈んでいくような気がした。


-5年前
 コメリカ合衆国某大学医学部

「シュージ」
 明るい声でそう呼ばれた賢木は振り返った。
「ジョディ」
 その声同様、明るい金髪と見事なボディが目を惹く。
 これで顔が及第点なのだから、校内でもかなりの人気だ。
 賢木のガールフレンドの一人でもある。
「あら、今日はコーイチとは別なの?」
「おいおい、別にいっつも一緒て訳じゃないぜ」
「でも、シュージ、コーイチと会ってから優しくなったわ」
 言われて、よせよ、と応えたが賢木も自覚はあった。
「それより、ランチは?」
「ごめん、すませちゃった。でも、夜は空いてるわよ」
 さすがにコメリカ人、女性でも積極的だ。
 賢木は当然、笑顔でそれに応じる。
「あ、そうだシュージ」
「ん?」
 ジョディは声を潜める。
「エリックと何かあった?」
「エリック?」
 頭を捻る。
「ほら、おなじ医学部の」
「あ、ああ」
 ポンと手を打つ。
 何かと賢木をライバル視してくる男で、妙にプライドの高い奴だ。
 確か、どこかの貴族の血を引いてると聞いたこともある。
「ヤローの名前なんで、忘れてたよ」
「気をつけてね。何かシュージが気に食わないとか息巻いてたから」
「はは、大丈夫だって」
 喧嘩を売られたところで返り討ちにするだけだ。
 賢木にはその自信があった。
 だが、この忠告に耳を傾けるべきだったと、後悔することになる。


「簡単だろ、奴に電話してくれるだけでいい」
 金髪の男は、そう言いながら皆本の目の前で携帯を振る。
 脇には五人ほど取り巻きのように、男達がいる。
 その内の一人がその金髪の男を『エリック』と呼んでいた。
 手を後ろで縛られた皆本はエリックを睨み付ける。
「何のつもりだ!」
 噛み付くように叫ぶ皆本。
 しかし、エリックを含め男達はせせら笑うばかりだ。
 皆本はすばやく周囲を見回す。
 大学の使われていない物置。
 物が殆ど入っていないせいで、ガランと広い。
 出入り口は閉まっていて、男が一人その前に立っている。
 窓は換気用のものが天上付近についているが、逃げる役には立ちそうにない。
 学生も教授も近くを通る事は殆どない場所。
 賢木が呼んでいると言われてノコノコついてきたのが間違いだった。
 携帯が差し出される。
「ほら、かけろよ」
「断る!」
 間髪入れず皆本が答える。
 エリックは不快そうに眉を寄せると、大仰に肩を竦めた。
 そして、おもむろに隣の男を見る。
「ぐっ……!」
 皆本は床に叩きつけられた。
 口の中に血の味が広がるのを感じた。
 殴られたのだ。
「おまえ、あいつとデキてんのか」
「尻でも貸してんだろ」
 下卑た声で周りの男達が笑う。
(なんなんだ、こいつら!) 
 皆本は恐怖よりも怒りで身が震える。
「あいつはな、あの恥知らずの能力で論文を盗んだんだよ。あげく教授達のお気に入りときた。ひどい話だろ」
 エリックは周りの男達に同意を求める。
「どうせ、人の弱みに付け込んでるんだ。なんせ化物だからな」
「ちがう!」
 皆本は身を起こす。
「彼はそんなんじゃない。誰よりも誠実に医者になろうとしてるんだ!!」
「黙れ!」
 鈍い音を立て、今度は腹を蹴り上げられる。
「!!」
 体を折り曲げる皆本。
 昼に食べた物を戻しそうだ。
「お前はサカキに電話してくれりゃあ、それでいいんだ」
「……断るっ!」
 苦しい息の下、それでも皆本はエリックを睨み付けた。
 エリックのこめかみにはっきりと青筋が浮かぶ。
 振り上げられる拳に皆本は歯を食いしばった。
 が、その拳は空中で止る。
 けたたましい音を上げて扉が蹴り開けられたからだ。
「……賢木さん!?」
 皆本はその姿を認めて、思わず叫んでいた。
 なぜ彼がここにいるのか。
 確か、ジョディという女性とデート中のはずではなかったか。
 皆本は目を何度も瞬かせる。
「よお、皆本。悪いな、遅くなって」
 賢木はそう言うと、ゆっくりと物置の中に入ってくる。
 皆本は思わず喉を鳴らした。
 怒っている。
 体中から怒気というのか、何かそんな物が噴出しているようだ。
 と、体が乱暴に床に押さえつけられる。
「っ……!」
 息を詰める皆本。
 こめかみに何か堅いものが押し付けられる。
 銃だ。
 皆本の背中に冷たいものが伝う。
「動くなサカキ!」
「おーエリックじゃねえか。んだよ、悪役でも三流かよ」
 賢木は入り口を背にしたまま足を止める。
 口調ほどには余裕が無い。
 まさか銃を持ち出すとは思わなかった。
 他の男達もそう思っていたのか、動きが止まる。
「友達は大切だろ?」
 エリックは引きつった笑みを見せる。
「……何をさせてーんだ。殴りたきゃ俺を殴ればいいだろうがっ!」
 怒鳴る賢木にエリックの周りの男達がビクつく。
「お前が、自分の恥知らずな行動を告白してくれればいいんだよ」
「あぁ?」
 先ほど、皆本を殴った男が懐から何か取り出し、賢木に向かって投げる。
 パシと右手で受け取る。
「録音装置?」
 片手にスッポリ納まるそれは、確かに録音装置のようだった。
「それに、お前の論文がすべて盗作であることを証言しろ。超能力で盗んだってな」
「くだらねぇ、そんなことの為に皆本を」