仇
流石の面持ちで着物に手を忍ばせた所で顔色ひとつ変えない。気高く、凛としたまま。この色町で普通ならどんどんかすんで行く色がお前のだけははっきりと濃くなっていくのかも知れないなと耳元で呟くと弦一郎は俺に身を任せるようにして目を瞑った。
あくる朝、何事もなく朝食を済ませると三歩に出ようと柳が誘った。霧解けの山道は難儀だからと柳は自分の持ってきたコートを俺によこした。
柳の顔を見た時、全身の血が引いていくのがわかった。自分を苦しめた柳の息子、背格好から見て自分と同年代だろう。
賢そうで品があり、細くはあるが男の色気がある。そしてどうやらこの俺を気に入ったらしくとにかく機嫌をとろうとしてくる。
肌寒いと感じつつ、柳の横を歩く。鼻をすすると「寒いか」とこちらをきにかけ身を寄せてきた。肩を抱かれるが振り払いたい気持ちをおさえ俺も柳の裾を掴み甘えたふりをした。
「柳、」
「蓮二だ、そう呼んでくれ。」
「・・・ああ」
蓮二は終始黙りながらただ俺の横を歩いた。少し見晴らしの良い所まで歩くと大きな岩に腰を下ろす。
「俺はお前に惚れたようだ」
「はあ」
手を握られたまま、俺は笑い出しそうになるのを必至に押さえた。これで俺は真田を取り戻す事が出来ると確信したからだ。
心などない、俺はこの男をいいように使い復讐を果たすのだから。
「こんなに人に興味を持つのは初めての事だ。正直戸惑いもある。」
「・・・」
「お前を見た時、色町にふさわしくないと思った。」
「・・・」
「お前が身売りをする理由はなんだ?」
舌打ちをしたくなる気持ちを押し殺し、「言いたくない」とさも悲しむように言うと「すまん」と柳は俺の頭を自分の肩口に抱き何度も謝った。
「家族はいるか?」
「兄がひとり。」
「そうか、兄上が。」
俺はそこではっとした、兄上が風邪である事をすっかり忘れていたのだ。丸井に任せてきたとはいい、こんな時間まで兄をほったらかしにしてしまった自分に腹が立つ。
俺は立ち上がりあたりをきょろきょろと見渡した。
「どうした弦一郎」
「兄は、風邪なのだ。帰らなくては」
切羽詰まる声を聞き、事態を察した柳は俺の腕をひっぱり走った。
店で寝ている柳生と仁王を放って走るどんどん着崩れていく着物の襟を抑えひっぱられるがまま走るまっすぐ前を向きながら「家は」と聞く蓮二の顔をしばらく見つめる。返事の無い俺を心配したのか手を強く握りなおされる。
とんでいってしまった意識を取り戻し今度は俺が蓮二の手をひっぱって走りだした。
「兄上!!!」
「でっかい声だすなよぃ!!」
玄関から大声で呼ぶと奥の部屋から腹をかきながら出てくる丸井。畳のあとがついた顔は少し赤い。
「兄上は・・・」
「少し熱が長引いてるが、飯は食えるし大丈夫だと思うぜ。」
「上がってもいいか、弦一郎。」
握っていた手をほどき、蓮二は真剣な顔をして俺に訪ねた。その真剣な顔が「あげろ」といっていって居るようでただうなずくのみだった。
柳は兄上の寝室に入り、兄の体を何カ所か触ると神妙な顔をして「高熱だな、咳も酷い。」と静かに懐に入っている手帳の一枚を切るとそこに何か書いて丸井に渡した。
「ここにいって、柳生と言う男を呼んできてくれないか。」
「やぎゅー?誰だぃそりゃ。」
「まさはると一緒にいるだろうからすぐ解るだろう。一刻も早い方がいい。いってくれるな。」
また使いっぱしりかよ、と文句を垂れながらどうやら兄の容態がおかしい事に気付いたのだろう。自分より学のありそうな蓮二の言う事を聞いて丸井は走っていった。
「蓮二」
「大丈夫だ、それより。病院に兄上をつれていくぞ。着替えておいで。」
足も腕も肩もはだけた着物のまま、兄上を見ると苦しげで俺は考えたくもない悲惨な結末を思ってしまった。
「弦一郎、大丈夫だ。」
ぎゅっと抱きしめられ俺は泣きたいのをこらえた。
前に跡部に貰ったのを着て俺は兄上をおぶろうと寝室に行くとそこにはもうたたまれた布団が奇麗に隅にあるだけだった。玄関から蓮二の呼ぶ声が聞こえる。
「蓮二!!」
「俺がおぶっていく。お前は先に言って病室の手配をしてくれ。柳生や俺の名前を出せば通してくれる。」
「解った。」
どんな思いも兄の命に比べれば軽いものだ。とにかく今は、この男を利用する他ないだろう。
俺は蓮二に向かってぺこりとお辞儀をした。
続く。