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そのいち秒スローモーション

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 隣を歩いているはずの彼が、少し早足のせいか一歩先に、まばゆい物欲が巻かれた街を切り抜けていく。置いていかれまいと、本田も歩調をやや速くし彼に追随した。
 彼がこの街の活気の理由を、お前の誕生日のせいか、と問い、その答えとして本田が多少の恥ずかしさも含んでと婉曲な表現で答えた。
 「バレンタインが近いからですよ」
 そう言うと隣の彼は、お前の家ではお菓子の祭りだったな、と言い放つ。少々語弊のある理解に、修正もせず会話を泳がせておく。無粋な指摘で会話を途切れさせてしまうことが馬鹿らしく思えたのだ。
 往来の中彼はせわしなく目線を動かしていて、羽織っている黒のロングコートに堅めの金髪が一際栄える。視線があちこちに飛んでいるのをいいことに、それを眺めている。
 丁度街は騒がしく、たくさんの人間が思い思いの目線を飛ばしているところだ。不躾な視線は人混みの中に紛れてしまう。紛れておける。

 今回の彼の来訪は、仕事、しかも停滞気味の経済に関する事柄によるもので、切迫した事態に、個人的な理由の割合は恐ろしく低い。
それでも、こうして僅かな休日を彼と分けあっているのは、フランシスの家の古い映画が偶然、近くでリバイバル上映をされる、それだけのことだった。
 本田は元からその映画を数年に一度見返すほどには好いていたし、彼も初めての上映で見ただけでもう一度は見てみたい、と言い出したことから目的は合致して、こうして奇しくも誕生日の街に繰り出すことになったのだ。

 二人きりで映画という事項だけ並べれば、恋人同士の休日とも誤解できる。でも事実は沿うことはなく、その緩やかでぬるい関係に本田は随分苦しめられ、また転んで泥にはまる時には随分救われてきた。

 二人が入り込んだ映画館は、重厚なテーマとそもそも遅い回であったせいか、上映時間が迫っても座る席には困らず、後ろの座席も気にせず小さな声で相談しながら一等の席を選び座り込んだ。
 ブザーが鳴る前の、この人のざわめきが発言権を失う様が日常とゆっくり切り離されていくようで心地よい。
 映画館のいいところは、こうして物語に入る心構えを用意する時間をくれることである。最近十数年は無精が過ぎてもっぱら自宅鑑賞に落ち着いてしまった。そう横の彼に囁くと、彼は本当に不精だな、と笑った。
 薄暗い闇の中で、僅かな照明さえ落とされて、浮かび上がるのは緑色の非常口のランプぐらいだ。
 鞄の中の携帯電話も電源を落とした。全て映画の世界へと没頭するための作業だ。

 やがて見慣れた物語が、自宅で見るより随分と大きなスケールで紡がれていく。

 物語は銀塩のフィルムから、電気信号のデータに変換され、当時の美しさを鮮やかに取り出されている。なるほど、リマスターとはよく言ったもので、ノイズも混じらずスクリーンに映る風景も人々の像も、心なしかはっきりと映る。
 補修されたとはいっても、それは映像の際と役者たちの声であるので、当たり前だが、太陽の光も、それに照らされ煌めく海も、スープの色も、女優の金髪に至るまで、スクリーンの中のすべての事象はそのままの白黒で表されていた。
 白黒の濃淡だけですべての事象が語られていくこの世界に、本田はほんの少しの懐かしさをおぼえ、邪魔にならぬよう小さく小さくため息を吐いた。
 古めかしい言葉のやりとりと、あの頃を匂わせる情景が静かに本田の胸の内側を削る。
 自宅の画面で見る限りには、当時の洒落た言い回しとロマンスばかりに目が行って、こういった心地は一切起こらなかったが、いまの本田の不思議なメンタリティに視覚から支配されつつあった。
 普段より、はっきり届く彼らの声に何かの違和感を覚えているだけなのか、それとも。

 映画の製作年をふと思い返し、心の中のみで年数をゆっくりと遡らせてみる。
 話の筋はもう頭の中に入りきっているものだから、台詞を追うことをしないその隙に、自らの培った過去をゆっくりと両の手で掘り出していく。 
 この頃の自分は何をして何を考えていただろうか。

 前の座席に座る若い二人は、このモノクロの風景が珍しくなにもかも新鮮に映るだろうが、それでも、本田にとっては、いや、おそらく隣の彼にとっても紛れもなく過ごしてきた時間である。

 思いつきでもなく、隣の彼を見やる。
 見つめる、という行動を余りにも特別にしてしまう性格のせいか、こうした隙にしか大好きなものをじっくりと眺めることしかできない。
 スクリーンに目線を張り付かせている彼の、横顔を盗み見た。人間とごくごく似た形を取った自分たちは、この程度の年数で(大きな政局の変動がない限りは、)姿形を簡単に変えたりしない。
 一瞬を映画として焼付け、映像の中にいつまでも居られる彼らとは根本的に違う。
 変わらないことによく安堵をするが、時たまそれが恐ろしくなったりもする。
 長く生きていても、毎日過ぎ去る時間の途方もなさは変わっていくことはなかった。
 その気が狂いそうになる時間の過ごし方として、自分たちが選んできた最もよい方法が質量を少なくさせること、だった。
 要するに、過去は形骸だけ残しておき付随する感情は出来るだけ薄めていくことだ。それこそ、捩れた記憶は喜怒哀楽に単純変換され、ほのかな心地のみしか残さぬほどに、徹底してだ。

 そうした処世術、いやむしろ生き残る術のおかげか、今こうして彼と過ごす時間さえ、いずれは時の積み重なりで圧縮されていき、希薄な一秒になってしまうだろう。

 それに人間と同じく、精神に関わることはどんなに誓いを立てても、堅く塗り固めたつもりでもちょっとのことでぼろが出て解れやがて破綻していく。いまスクリーンの中で世情と互いを責める二人のように、だ。いくら大切だと互いに囁きあっても、何かの拍子で価値観も情も全て反転することが往々にして起こり得る。

 そう、たとえば使い古された言葉で言うなら裏切りだとか。

 逃避行と抑圧と、すべての果てに、スクリーンに映された二人が、慟哭し互いの別離を嘆く。本田はもう何回も踏襲した物語であるため、このカタルシスも予定調和の内だ。
 だが、映画のテーマ自体は、激動の時代に翻弄される愛、らしいから、遠からずとも自らの思い出ともつながっていく。
 画面の向こう側の虚構の世界として処理してきた様相が、今は自らの体験とすべてオーバーラップし、まるで記憶がそのまま銀幕に写し取られているように錯覚する。もっとも、自分の姿は金髪で長身のヒーローにもヒロインにも似通うことはなく、小さくベロア生地の椅子におさまりながらストーリーの機微と関係のないところで苦笑いを浮かべる。
 四角い部屋の真ん中で、こうして外界との接触も断ち、過去ばかりを目に映している。映画館はまるでタイムマシンのようだ、と本田は思った。
 やがて紡がれた物語が収束するまで、本田は目を張り付かせていた。バラバラになった二人は感情の端を傷つけられお互いの胸に疑念の種を植え付けながらも、一応ハッピーエンドということでまとまりを見せる。
 白い太陽の光がこれまた白く引かれた二人の歩む道を照らして、黒い二つの影が寄り添う。
 現実は、すべてが暗い過ちから漂白されたように幸せになることなど、あり得ない。