SOUVENIR II 郷愁の星
◆1
ランディは遠くのほうから自分を呼ぶ声で目覚めた。低くぶぅんと唸る機械音がその後ろから聞こえる。ゆっくり起き上がって彼はその部屋の窓の外を見た。
「本当に半円みたいだ」
小さく彼は呟く。彼の目の前にはまるでゴムボールをすっぱり半分に切ったような星がその姿を見せている。だが実際は半分ではない。この星は丸い。ただ半分が真っ黒な土地なので、この漆黒の宇宙空間においては緑の木々と青い海らしきあたりしか見えない。
あれが、惑星d−13916018a。ランディが初めて単独で視察に訪れる、記念すべき星だ。けれども、ランディは不機嫌な表情のままドア越しに星の到着を告げた声に対し「起きたから」とだけ言って、シャワールームに向かう。
この星は聖地のある主星からはずいぶん離れている。次元回廊も途中まではあったが、そのあとはこの宇宙船に乗って移動している。宇宙船の他の乗員は王立派遣軍の軍人か王立研究院の研究員たち。あるいはランディの館の側仕えたち。つまり、彼ひとりのためにこの船にはどっさりと『保護者』たちが付き添っているのである。
少し長くなった栗毛の髪が首筋にまといつく。それを鬱陶しげに払うと彼は寝間着を脱ぎ、シャワーを浴びようとして、ふと鏡に映る自分を見る。左の腰骨の上あたりに少し皮膚が盛り上がっている傷がある。それは、いまだに少し引きつれるような痛みをランディに与える。
癒しの力も司る水の守護聖リュミエールが、傷痕を消そうと言ってくれた。彼の力をもってすれば、このような痕はすぐにでも消せる。だが、ランディはその申し出を断った。ランディはその痕を消したくなかった。これは戒めとして残しておくべきもの。いや……それともあてつけか。
思いを払うようにランディはシャワーの栓を開く。快適な温度に設定された湯が吹き出す。さすがに傷にはもう滲みない。目に入るのも構わずランディは頭から湯を浴びながら、それなのに思い出したくもないことを思い出してしまう。あれは一ヶ月前、やはり彼は視察に出ていた。ただしこのときは炎の守護聖オスカーと一緒にだ。
隠密裡に行われることの多い守護聖直々の視察は、たいていはオスカーの役目だった。彼は派遣軍の軍人たちはもちろんのこと、彼らの側仕え等の供もなしで行く。上空から見渡すこともあれば、まるで旅人のようにその星の道を歩くこともある。そして、彼が直接見て、聞いて、知ったことを、首座の守護聖に報告する。しかし、一年前までオスカーが報告していた相手はもういない。その相手−−光の守護聖ジュリアスは、その力を失い、聖地を去ったから。
ランディがオスカーに付き添うようになったのはそのころからだ。このような視察の方法では守護聖自身に危険が伴う。彼らが視察に行くような星は何か問題を抱えている場合が多い。それゆえにトラブルに巻き込まれ、暴漢に襲われることにもなりかねない。だから、自分の身は自分で守れなければならない。ランディは徐々にではあるが武術を身につけ、ジュリアスの後押しもあってオスカーが連れていくようになった。
そしてそのときも、そのような問題を抱えた星のひとつへ二人は訪れていた。ここで待っているようにと建物の影を指定して、オスカーが別のところへ行った間にそれは起こった。
子どもがこちらに向かって走ってきた。後ろから執拗に銃のようなものを持って追いかけてくる男がいた。ランディは放っておけず、持っていた矢を弓につがえるとそれを放った。矢は男の手に命中して銃を落とした。その隙にランディは子どもを救おうと手を差し出したが、恐慌を来していた子どもはランディの手を払い、持っていたナイフで彼の横腹あたりを傷つけると、走って逃げてしまった。
一瞬、ランディは何が起こったのかわからなかった。何故、自分が切られなければならないのか? 惨めな気持ちを抱えたまま酷い痛みで彼は傷つけられたあたりを手でおさえてみると、掌が真っ赤に染まっていた。思った以上に血が出ており、彼は気が動転した。そして、その背後で件の男が迫ってきていることを失念していた。
振り返ったとき、すでに男はランディの目の前に迫っていた。矢はもちろんのこと、腰の剣を取ろうにも切られたところが痛んで遅れを取った。男は銃を構え、うすら笑いを浮かべていた。
死ぬんだ。
初めてランディはそう思った。これは遊びや訓練ではない。ひどく緩やかな動きで、男の銃がランディの目の前に据えられた。恐怖でランディは目を瞑った。
だが、彼の身には何も起こらなかった。ただ、ガシンッという音がした。恐る恐る目を開けてみると、男は倒れていた。そして、その後ろに両手で拳を組んで仁王立ちしている炎の守護聖がいた。あれは彼が男を殴った音だったのだ。
今まで静かだったのに、遠くから騒ぐ声がした。
「行くぞ、ランディ!」
聞き慣れたオスカーの声に、ランディはやっと我に返り、何か言おうとしたが声にならない。動こうとしたが、傷が痛む。オスカーがそれに気づき、ランディを抱きかかえるとその場を急いで立ち去った。
その星は次元回廊が通っていた。オスカーはランディを抱きかかえたまま回廊の中に入ると、その星の扉を固く閉ざした。聖地に着くまで、オスカーは一言も口を利かなかった。こんな真っ青な顔をしたオスカーを見たことがない、とランディはまるで他人事のように思って見ていた。
そして聖地に着いて、知らせを聞いて駆けつけたリュミエールがランディの傷を癒したのを確認するや否や、オスカーはいきなりランディの頬を殴り飛ばした。
「オスカー、ランディは負傷しているのですよ! 乱暴なことはやめてください」
リュミエールの厳しい声にもオスカーは聞く耳を持たなかった。
「この大馬鹿野郎にはこれぐらいでちょうどいい! 怪我も天罰だ!」
彼はそう言うと、なおも殴ろうとランディの胸ぐらを掴んだ。後から来た夢の守護聖オリヴィエが抑えなければ、もう一発喰らったに違いない。
実際、傷は血は出たもののそれほど酷くなかった。だが、オスカーの拳のほうがランディには物理的にも精神的にも堪えた。何故殴られるのかわからなかった。
「守護聖が死んでどうする!」オスカーが叫んだ。「この宇宙で、おまえの力が消えたらどう責任を取るつもりだ。思い上がるな!」
思い上がった気はなかった。子どもが危険だったので助けようとしただけだ。まさかその助けた子どもに切りつけられるとは思わなかったが。
作品名:SOUVENIR II 郷愁の星 作家名:飛空都市の八月