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飛空都市の八月
飛空都市の八月
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SOUVENIR II 郷愁の星

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 酒場がしん、とした。
 「もうやめろ、エノルム! おまえ、殺されるぞ!」
 年輩の兵士が立ち上がって叫んだ。だがランディは兵士をそのままにしてエノルムに声をかけた。
 「俺が尋ねたからということにしておくよ、エノルムさん。話を続けて」
 これはきちんと聞かねばならない。ランディは気を引き締めた。神官に天使、つまり女王の姿が見えないということは、星の望みを伝えることができず、女王からの言葉も受け取れないということになる。それはまるで灯台もレーダーもなく嵐の海を進む船のようなものだ。リディアの、あの恐怖に怯えた表情もそれなら納得できる。−−天使の見えない神官は、神官ではないのだから。
 「星が半分しかないのに、あの親父はまた炎と鋼の力ばかりを祈った。ジュリアスが止めなきゃ、この星は半分どころか……」
 エノルムの言葉が止まった。
 「……そこまでにしろ、エノルム」
 ランディが声のしたほうを見ると、そこに、鎧を外してきっちりとプレスされたシャツを着たジュリアスがいた。やはり相変わらず細身なんだな、とランディは思った。
 「やめねえぞ、ジュリアス! こんなチャンスは滅多にないんだ。巫女さんはあんたに逆恨みしてるんだ、親父が死んだのはあんたのせいだと」
 「……止さないか」
 「聞く、聞かないは守護聖である俺が判断します。あなたは口出ししないでください」
 ランディがジュリアスを見据えて言った。ジュリアスは少し目を見開き、ランディを睨んだ。相変わらず厳しいまなざしだ。だがランディはここで怯むわけにはいかなかった。ランディもジュリアスを睨み返した。
 「……ランディ様の仰せのままに」
 すっと視線を外すとジュリアスはそう言って、年輩の兵士から譲られた席に座った。
 「話を続けて、エノルムさん」
 厳しい表情のままランディが言った。毒気を抜かれたようにエノルムは呆然としていたが、やがてぼそぼそと話し始めた。
 「炎と鋼の力を望んだ親父をジュリアスが引き留めたとたん、キラキラと光るものがジュリアスのまわりを覆った。あれは間違いなく天使様がジュリアスのことを認めたんだ。で、親父が怒り狂ってジュリアスを斬り殺そうとした」
 ランディは思わずジュリアスのほうを見た。ジュリアスは瞼を閉じている。
 「だが、あんなよろよろした親父にジュリアスが斬られるわけがない。ジュリアスから当て身を喰らったぐらいで済んで良かったのさ」
 エノルムはそこまで言うと、おかわりでなみなみと注がれた酒をぐいっとあおった。
 「で、その夜親父は死んだ。巫女さんが斬り殺したのさ。狂った親父に愛想尽かしてね」
 ジュリアスの目がぱっと開かれた。すさまじいほどの冷たい蒼に周囲はしん、と静まる。
 「だからそれは違うと言っているだろう、エノルム。リディアは神官殿を殺してなどいない。神官殿はすでに」一呼吸置くとジュリアスは続けた。「事切れていたのだ」
 「何人も巫女さんがあの鎧姿に剣の抜き身を手に持ったまま親父さんの寝室から出てくるのを見てるんだぜ、ジュリアス。いくらあんたが巫女さんの後見で庇ったって、こればかりはどうしようもない」エノルムは赤ら顔で、しかししっかりと言い放った。
 「祖先よろしく、巫女さんも血まみれというわけさ」
 言ったと同時に、すさまじい音を立ててエノルムは椅子ごと後ろに倒れた。ジュリアスがその顔に思いきり拳を突っ込んだのだ。もう一度殴ろうとしているのを咄嗟にランディがジュリアスの腕を抑えて叫んだ。
 「ジュリアス様!」
 我に返ったようにジュリアスはランディのほうを見た。幸い、エノルムの倒れる音と、酒場にいた女や兵士の騒ぐ声でその敬意を含んだ呼びかけは他の者には聞こえなかったようだった。
 エノルムの鼻から血が吹き出ていた。口にも来た血をぺっと吐きながらそれでもエノルムは叫んだ。
 「あんたがいくら庇っても無駄だ、ジュリアス! あの巫女さんはあんたを恨むことで自分を可愛がってるだけだ! 第一、あの巫女さんにだって天使様が見えていな……」
 ランディでも止められなかった。ジュリアスはランディを押しのけ、屈むとエノルムの服の襟首を掴み、押し殺した声で言った。
 「それ以上言うと本当に容赦しないぞ、エノルム」
 だがエノルムも負けてはいなかった。
 「容赦しなくったっていいさ、前から言いたかったんだ。だがなかなか言えなかった……。ランディ様と話しているうちに言わなければと思ったんだ」
 ランディはエノルムが本当にジュリアスのことを心配しているのだなと思った。それにしても自分と話しているうちに、とは……。
 「……勇気を司る風の守護聖……」
 掴んでいたエノルムの襟首をふっと手放し、ジュリアスは立ち上がってランディを見た。
 「私が招いたこと……か」
 ジュリアスは呟くように言った。
 「私の望みと私の恐れ。風の守護聖ランディ……様。そなたが引導を渡されるのか、この星に」
 意味がわからず、ランディはただジュリアスを見つめ返した。