朱金の王花
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エドワードは「あ、まただ」と思った。
少年には見合わぬ、重苦しく厳つい銘と職責と権力とを負う彼には、年齢に見合ってというべきか後見人のようなものがいて、まあ食えない男だが嫌いではないその相手は、時折エドワードを見てなんともいえない顔をするのだ。
最初に気づいたのはそんなに前ではない気がするのだが、ここの所顔を合わせると頻繁にそんな顔をしている気がする。
そんな時、あ、まただ、と思う。
何かを言いたそうな、けれどもいまひとつ自信がないような、そんな。
たとえば、知り合いに声をかけようとして戸惑うようなそんな顔に似ていた。その表情を向けられる度エドワードも何か問い質したい気持ちになるのだが、何となくそうできずに終わっている。
けれどもなるべくして事は起こる。機が熟すれば実はひとりでに落ちるのだ。
目があった。一瞬瞠った後に幾分慌てた様子で彼は黒目をそらす。その瞬間の動きをエドワードは見ていた。初めから最後まで。気づかぬ振りをするには不自然なほどに、正面から見てしまっていた。
「なに」
ぶっきらぼうに問えば、何が、ととぼけたような答え。だが彼は失策を犯した。エドワードを見返すまでに、いささか時間を空けすぎてしまった。本来の彼であれば、すぐにも取り繕って見せただろうに、今日の彼はそれに失敗した。
「…あんたさ」
エドワードは持っていた申請書類をロイのデスクで折り畳みながら、彼がこちらを見やすいように目を伏せる。だがそれは思いやりとは少し違う。どちらかといえば罠だ。
「よく、そういう顔してるよな」
二つにたたんだ紙をさらに折る。ロイがこちらを向く。視線はエドワードの指先ではなく横顔に向かっている。少年には、わかる。
だからすい、と視線を上げればすぐにもそれを絡めることが出来る。隙を作るのは、狩のための罠を仕掛けるのと大差ない。
「…変な顔をしているかね? 君にはさすがにご婦人方のように受けを期待するわけに行かないか」
やはり空とぼけたことを言うのに、エドワードは怒りもしなければ機嫌を損ねもしなかった。それくらいでやりすごせるとロイが思っているのだとしたら、もう少し理解させてやってもいいかもしれないと、ある意味で傲慢にエドワードは考えた。
「別にオレはあんたの顔見ても特になんも思わないけど。造作って意味なら」
淡々と切り返せば、ロイが少し眉根を寄せる。予想外のエドワードの冷静さに戸惑っているのが解った。
焦ればいい、と不意に少年は思う。いつまでも子供だと思っていると彼だって痛い目を見るのだ。舐められるのは性に合わない。
「そうじゃなくて、…あんた、なんか言いたそうていうか…、なあ、誰かと間違えてないか。なんかいつも人違いかなあみたいな顔してる」
思ったままを口にしたら、ロイはまた目を瞠った。そしてその後瞬きを繰り返す。瞬きは動揺の証だ。こんな風に揺さぶられるロイも珍しいと思う。そして同時に小気味よいものを覚えたのは、エドワードから彼に向かう興味の証だろう。
「そんな顔をしているか」
「してる。勘違いじゃなければ。でもオレは間違ってないと思うけど」
自信満々に言ってやれば、まいったな、というように彼は肩をすくめた。そして顎を押さえて視線を伏せたのは、話すことの是非を身のうちで問うているようだった。問いかける相手が良心なのか良識なのか、それとも打算なのかまではエドワードにもわからなかったが。
「…君の観察眼には恐れ入る。降参だ」
両手を上げたおどけた仕種に、エドワードの胸はおかしな風に鼓動の速度を上げた。
だがロイはそんなことはおかまいなしで、恐らく気づいていないのだろうけれど、実は、と話し出す。
「君と会うより昔、そうだな、国家錬金術師の資格をとって間もない頃だろうか」
「…結構前か?」
「そうだな。結構前、だね」
彼が資格を取ったのは、少なくともイシュヴァールに国家錬金術師が投入されるより前なのは確かだ。ということはやはりそれなりに昔である。年数を問うことはエドワードはしなかった。
「君と似ている人と一瞬会ったことがあるんだ」
「オレと?」
エドワードは眉をひそめた。自分では会ったことはないが、世の中にはよく似た人間が三人いると俗に言うのは知っている。
「まあ、そうだな…、今の君よりいくつか年上だったと思う。二十歳になるかならないか…いや、もう少し下かな?」
ロイは思い出そうとするように目を伏せた。力を弱めた視線に、エドワードの胸が勝手に衝撃を覚えた。
「白い服を着ていたな。長くて…、随分昔の服のように思えたが、儀礼用のものなのかもしれない」
「儀礼用? どこで見たんだよ」
「…それが」
ロイは歯切れ悪く言いよどんだ後、結局瞬きもせずじっと見つめてくる金目に負けて口を開いた。
「大総統府の、奥の方だ」
「……」
エドワードはさらに眉をひそめた。なんともまあ胡散臭い場所が出てきたものだと。
「それが、おかしいんだな」
「あんたの頭がか」
「…傷つくことを言うんじゃない。そうじゃなくて、大総統府の奥を確かに私は歩いていたはずなんだが、近道しようと思って入り込んだら、建物の雰囲気が違う…中庭のような場所に出てね」
エドワードは目を細めた。その顔には「本当かよ」と書いてある。ロイもエドワードの気持ちはわかるのであえて触れないでおいた。
「鉄の柱が何本も立っていて、牢獄のようだった」
物騒でない単語に、さすがの少年も無意識のようではあったが息を呑んだ。
「だが、その奥はまるで花園だった。たくさんの鮮やかな花が咲いていて。…その時期に咲くはずもないような花まで」
台詞の後半、ロイはトーンを下げた。エドワードも呑まれたままに瞬きする。
「そこに、君と似た人がいたんだ」
ロイは頬杖を付いて、じっとエドワードの顔を凝視してきた。その、エドワードのすべてを見透かしてしまいそうな視線に、少年は肩を揺らす。自分から仕掛けたはずが、いつのまにかペースを奪われている。
「…君と最初に会った時は、それどころじゃなかったが。…段々、似ているな、と思うようになってきたんだ。年が近づいていくにつれて、ますます似てきて」
「…その、オレと似た奴となんかあったのか」
エドワードは硬い声で慎重に問いかける。自分と似た人間と会ったことがある、というだけで、ロイはあんなふうに戸惑うものなのだろうか。そこが気になった。昔君と似た人と会ったことがある、親戚かい、とか、そういった軽い調子で聞いてくるならまだわからなくもないのだが。
ロイは肩をすくめ、少し困ったような顔で苦笑した。
「何もないよ」
「じゃあなんで気になるんだ」
「何もなかったら、気にしたらおかしいのか?」
ロイはさらりと言ってエドワードの顔を覗き込む。
「大総統府の奥にそんな中庭があるなんて誰からも聞いたことはない。少なくとも地図には載っていない。誰の噂に上ったこともない。これは夢でも見たかと思うところだが、夢でない証拠があった」
「証拠?」
エドワードは首を傾げた。
「花びらがついていた」
「花びら?」
ロイは手を組んでそこに顎をのせた。