どうか、どうか。
日差しに滲む青色は醜い我が儘さえ受け入れて、約束だぞと笑ってみせた。
綺麗な青空が広がる日だった。ちょうど桜がその花を咲かせ、これからが盛りだろうという頃。
前明陀宗座主、勝呂竜士の葬儀が執り行われた。
多くの弔問者が訪れる中、参列者の列から外れた桜の木の下に袈裟を纏った見覚えがある姿を見つけ、しえみは声をかけた。
「志摩くん? 久しぶりだね」
「杜山さん、久しぶりやねぇ」
皺が浮かんでも、その人好きのする笑顔は変わらない。それに眦を下げながら本当に久しぶりだと言葉をかわす。
「相変わらずやねぇ、杜山さんは。やっぱりかあいらしいわ」
「こんなおばあちゃんに可愛いはないよ」
「いやいや。杜山さんはいくつになってもかあいらしいよ。さっき神木さんにも会うたけど、神木さんも相変わらず別嬪さんやったわぁ」
「ふふ、志摩も変わらないね」
気の張らない会話も久しぶりだ。たとえ、お互いの顔に浮かぶ笑顔が寂しいものでも。志摩は背筋を伸ばすと丁寧に頭を下げた。
「本日は来てくださってありがとうございます。坊……いや、前明陀宗座主、勝呂竜士になり代わりお礼申し上げます」
「……いえ、お悔やみ申しあげます」
互いに頭を下げる。
「……やっぱり慣れへんわぁ」
「……そうだね」
顔をあげても、浮かぶのは苦い苦い笑み。どんなに年を重ねても、たくさんのことに慣れない。慣れることはない。
涙は彼の死を志摩から知らされた時にたくさん流した。彼の家族と共に最期を看取ったという志摩もきっとその時にたくさん涙を流したのだろう。
強面な顔の彼は、その実面倒見が良く仲間が泣くのを見ていられない人だ。いつまでも涙を流している姿を見れば心配でいつまでもいけないだろう。
だから、泣かない。彼を想うからこそ、泣かない。
「憎まれっ子世にはばかるてあながち嘘とは言えへんね。俺みたいな煩悩まみれの生臭坊主が残ってどないせぇって話や」
子猫さんも坊もほんまにいけずで困るわと、志摩は困った風に笑ってみせる。それに少し笑う。
「せやけど、まぁ、こうやって長生きできてるおかげで、ずっと気になってたことがわかったんよ」
「何がわかったの?」
他の人には内緒やで? と人差し指で秘密の仕草。そして、こっそりひっそり耳打ちするのは、寂しさと嬉しさがないまぜの、とっておきの秘密。
「坊の初恋の行方」
勝呂の初恋。
それを聞いて浮かぶのは、どんなに時を経ても絶対に色あせない青。
いつから始まったのかは知らない。本人たちは秘密にしていたようだが、仲間は二人のことを知っていた。本当に隠す気があるのかと、いつも穏やかだった彼の弟が珍しくもどこか拗ねた口調で、その目はいつものように呆れながらも優しいものだったが、そう言うくらいの二人だった。
自分にとってもあの青は特別で、いつだってその優しさに救われた。憧れで、目標で、大切な、彼。
卒業して数年経ち二人が別れたと聞いたとき、真っ先に彼の心配をした。
勝呂を責めたかったができなかった。二人の間で起こったことは二人で解決しなければ、他者が入れば余計にこじれることになると、冷たいながらも誰よりも曇りのない目で人を見ていた、大切な友達の女の子が言っていた。
それに何より彼を失った勝呂を見て、責める気持ちはなくなった。そのくらいその時の勝呂は酷かった。そして、しばらくして勝呂が結婚した。
彼と会うことはなく、時折風の噂でその活躍を知るのみとなった。
そんな彼との、恋の行方。
「坊な、どうやらちょっと前に会ったらしいねん。ちょっと前にそれ知らんと坊に会ったんやけど、そらもう嬉しそうな顔して、せやけどそれを必死になって隠そうとわざと眉間に皺寄せてはるからみょうちきりんな顔になっててな。気になって問い詰めたら、一言会ったんやって言いはったんよ」
誰になんて聞かんでも解ったわと、志摩は呆れたように笑う。志摩は気付いているのだろうか、頬を伝う小さな雫に。
「そん時の坊、杜山さんにも見せたかったわぁ。あの鬼瓦みたいな顔でどこの純情少年やってくらいに、嬉しそうに笑ってん。奥さんにすらその惚気っぷりをどうにかしてくれて言われてはったわ」
勝呂の妻の事は知っていた。二人の間にあるものの事も。彼女は彼の事を知らないはずなのに、女性の洞察力はいくつになっても健在なようだと志摩は笑う。
「坊がいくつになっても色恋沙汰が下手やってこともあるけどな」
志摩は笑いながら肩をすくめ、それにつられて自分も笑う。風がそよいで、頬が濡れているのに気がつくが、それには知らんふりをした。
「見たかったなぁ、その時の勝呂くんの顔」
長い時間がかかった。
二人が、二人で、幸せになればと願っていた。
自分たちが知らないところで始まり、終わったと思っていた二人の恋。
どうやらそれは自分たちのなかだけのことだったようだ。
「まったく、いつか奥村君に会ったらとっちめてやらんと。ああ、その前に神木さんにもこの事教えんとなぁ。別嬪さん怒らせたら怖い怖い」
「そうだね」
恋は本人たちのばかりのものではない。それを見守る者たちだってあれこれ思っているのだから。
「坊の置き土産の顛末聞くまで、まだまだ往生できんわ」
どうか、幸せに。
寂しさも、悲しさも、全部全部詰め込んで。
ただそれだけを願っている。