燃しちゃってくれないか
「いいえ。…でも、見ての通りたいした物じゃないですよ?」
「どうして?可愛いじゃない」
「はあ…」
「代わりに帝人君にはこれあげる」
コートのポケットにつぶれないように慎重にネズミを入れると、臨也は孔雀の箸置きを指で弾いて帝人の下へ送った。
「あ、ありがとうございます」
「俺だと思って大切にしてね」
「……折原さん、酔ってます?」
臨也の女性をたらしこむ笑顔から逃げるように、帝人は臨也のビールジョッキをじっと見た。
「まさか」
「…………」
爽やかな笑顔を浮かべる臨也に、帝人はどうにも口先で上手い事転がされているような気がしてならなかった。
親友曰く、彼の信念は五秒毎に変わるそうだが、それはつまり気分屋、と言う事なのだろうかと思案する。
喜怒哀楽のスイッチの解り難い人だな、と帝人は胸中で独りごちた。
臨也が会計を終えて店から出ると、外で待たせていた帝人が酔っぱらいに絡まれていた。
全く外見の期待を裏切らない子どもだ。
夜に濡れた池袋は昼とは違った人種が活動し始める。
「いってーなあっ余所見してんじゃねーよ」
「っすみません」
「気をつけろよ糞ガキが」
二件目なのか酔いの回ったサラリーマンは怒鳴り散らすと帝人の肩を突き飛ばして、臨也と入れ違いに居酒屋へ入って行った。
臨也は店の扉に消えた男を一瞥すると、帝人に近づいてその肩に触れた。
「大丈夫だった?」
「はい。あの、僕がぼーっとしてて」
「そう。災難だったね」
「っはい」
臨也は怒鳴られて萎縮した帝人の背中になだめるように手を置いたが、掌から他意を気取られそうで、気まずくなってすぐに離した。
「本当に大丈夫?」
勤めて、からかうような声音で問う。
「大丈夫ですっ」
鞄の紐を握りしめて表情筋を硬直させながら帝人は答えた。言葉の端が湿って、引きつった息継ぎが少年の唇から零れる。
「……そう」
その虚勢を全部、叩き壊してしまいたくなった。竜ヶ峰帝人は、酷く暴力的な気持ちにさせる人間だ。
「君、隙が有りすぎる」
「え?」
見上げてくる瞳に疑心は微塵も感じられなくて、自然と眉間に皺が寄る。
適応能力が高いとか、そんなんじゃないだろ。
差し込める場所が多すぎて、その全てを自分が塞いでしまいたくなるような錯覚をする。
「気をつけて」
容易く手に入るのではないかと誘惑する見知らぬ誰かの声が聞こえた。それは自分の声ととても似ていて、頭の中で二重三重と重なって眩めく。
「もう遅いから、送るよ。補導されたら困るだろ?」
自然な動作を装ってとった腕が、細すぎてぞっとした。
暗い部屋の明かりを付けると、温度の無い水に飛び込んだ様な気になる。
いつもと変わらない事務所の照明が何故か今日は冷たく感じた。
無意識に左の腕をさする。つい先程まで、そこには確かに温かな温度があった。
椅子へと腰掛け、仕事机のPCのスリープを解除する。
居酒屋ですれ違った男から失敬した財布と、ビニールのネズミをコートから出して、財布はゴミ箱に投げた。ネズミは緩やかな放物線を描いて、ぽそ、と安い音をたてて机を滑って縁で止まる。
臨也は椅子に背を預けて悪態を付いた。それは嘆声にも聞こえた。悲鳴にも。
閉じた瞼の裏に、少年の面影が揺れている。
何処かがさざめく感覚に目を開けば、視線は卓上のネズミへ引き寄せられた。
臨也は机に伏すと、もう一度目を瞑った。
『折原さんは手先が器用ですね』
無防備に晒された急所。
『おしぼりの袋ネズミです』
笑うと童顔が一層際立った。
『大丈夫ですっ』
睫毛に乗った涙の粒。
長い事顔を埋めていた腕から顔を上げると、指の先でネズミをつついて臨也は深く息を吐いた。
誰でも良い。捨ててくれないか。俺には到底、出来そうに無いから。
作品名:燃しちゃってくれないか 作家名:東山