燃しちゃってくれないか
男に手を握られてたよね。
「……あ、遊馬崎さんの事ですか?」
「仲良いの?」
平気なの?
「ええと、どうでしょう。門田さんたちにはとてもお世話になっていて、仲良くさせてもらってると思います。ダラーズのメンバーでもありますし……。あの時は、流れで何か面白い本がないかと言う話になって。……沢山、お勧めの本の紹介をしてもらいました」
「ああ、そういえば帝人君ちょっと疲れたね」
「あ、そう言えばどこから見てたんですか?」
「……偶然向かいの道を通った時に、話し込んでるのをちょっとね」
「助けてくれても良かったと思います」
「ごめんね」
「でも、貸していただいた本、とても面白かったです。ああ言う風に自分の好きな物事に対してプロフェッショナルな所凄いですよね」
遊馬崎さんて、と帝人は眉尻を下げながらどこか嬉しそうに笑った。
本の貸し借り。そんな些細な事すら、いや、そんな些細な事こそ、彼の大切なつながりなのだろう。
遊馬崎、遊馬崎、いつか殺してやる。……いや、違う。どうしてそうなる。そうじゃない。
頭の、常に冷静な部分とは反対に臨也はこめかみが熱くなるのを感じた。
「ねえ帝人君」
語尾に怒気が孕むのを抑えられず、口を付いて言葉が転がり出る。
野生動物のような勘が働いたのか、帝人は固い表情をした。
「はい」
「本当に彼女の事、気にならない?」
「はい?」
「だから、さっき会ったでしょ」
「あ、ああ。はい」
「彼女と俺がどういう関係か、とか」
「え?仕事関係の人なんですよね?」
「……何でそう思うの?」
「……すみません。聞き間違いだったら申し訳ないですが、折原さんが自分で仕事関係だ、と」
「……………………」
「……………………」
「お待たせいたしましたー!」
重い沈黙を店員の陽気な居酒屋接客マニュアルが吹き飛ばしていった。
「食べようか」
「は、はい。いただきます」
「……いただきます」
テーブルに並ぶ料理からサラダに手を付けながら、臨也は帝人の箸の行方を目で追った。
「……玉子焼き好きなの?」
「硬いものが苦手なので」
「…………」
答えになっていないんじゃないか?
「そう言えば、向こうの焼き鳥とこっちの焼き鳥だと随分違うそうだね」
「ああ、そうですね。向こうは鳥肉じゃないですし」
驚きましたと笑った帝人を見て、臨也は安堵した。そしてすぐに表情を硬くする。一瞬、自分の表情筋がみっともなく緩んだ気がしたのだ。
「でもこの前、紀田君が家に遊びに来た時埼玉の焼き鳥をお土産に持ってきてくれたんですよ。こっちでも埼玉の焼き鳥売っているお店があるみたいで、園原さんはまだ食べた事ないって言ってたので、今度三人で食べに行こうって」
「そう…………」
はにかんだ笑みで友人の話を始めた帝人に臨也は自分の機嫌が急降下していくのがわかった。話題を変えようと試みる。
「ところで帝人君は寿司ネタだと何が好き?」
「ええ…と、そうですね……生魚平気ですし、巻物も軍艦も好きですから、これと言って特別好きと言うのは無いと思います」
「ふうん。俺は大トロが好き」
「……そう言えば、ロシア寿司って、やっぱりロシアで新しい発展を遂げた寿司とかも握るんでしょうか?」
「ああ、カリフォルニアロールみたいなやつ?」
「はい。あまり行ったことないので、どんなものが置いてあるのかわからなくて。あ、門田さんたちは良く行くお店なのか、サイモンさんと仲良さそうですよね。……聞けばわかるかな?ああでも、それを言ったら紀田君も」
最後の方は独り言のようになっていた帝人の言葉を遮るように、臨也は声を上げた。
「それ、止めて」
「……?」
「他の人の事聞きたくない」
「え?あ、はい。……すみません」
「…………」
「…………」
再び重い沈黙が訪れて、臨也は眉間に皺が寄っているのを自覚した。
言葉と行動と意識と感情が、体の全てが細胞単位でてんでばらばらに動いているかの様な気分だ。一言で言えばままならない。
帝人君は俺がどこの誰といても気にもかけないのに、どうして俺が彼の交友関係にこんなに不愉快にならないといけないのか。
腹の底を何か得体の知れないものが暴れているような錯覚に囚われて、臨也は頭を振った。そしてそっと帝人を窺う。
彼は困惑に近い表情でウーロン茶のグラスを持ったまま黙っていた。
俯く彼の目許に蛍光灯が落とす濃い睫毛の影を見て、自然に洩れた溜息に臨也は苛立ちを募らせる。
先程まで頭を占めていた感情とはまた違う激情に苛まれた現金な臓器に眩暈すら覚えた。
向かいの少年を見ないように、臨也は手元の箸袋をいじって平静を求める。
落ち着け、俺。
何時かどこかで得た知識で、順序を持ってゆっくり紙を折り重ねる。
形を整えて指を離すと気が休まった気がした。
「それ、何ですか?」
「箸袋で作れる孔雀の箸置きだよ」
顔を上げると手元を覗き込んできた帝人の黒い髪が近くて、臨也は息を止めた。短い髪は細い首を隠しもしない。
反射的に触って良いかと聞きそうになって、慌てて口を噤んだ。そんな事を、彼に確認した事はない。
いつだって好きに触れてきたじゃないか。
臨也は自分が今どんな顔をしているのか見当がつかなかった。
何時ものように振舞おうとするが、腕は固まったように動かず、喉が渇いた。掌にいつか彼の肩を抱いた時の感触を甦らそうと努力してみる。神経を指の先から手首へと辿ると、少しだけ気が紛れた。
「折原さんは手先が器用ですね」
帝人は好奇の瞳で箸置きを注視しながら、折原さんって折り紙で悪魔とか折れそうですよね、と呟いた。
「悪魔を折れるかはわからないけど、こういうのは酒の席でやると喜ばれたりするね」
「流行りましたよね。おしぼりとかでペンギン作ったり、お札折ったりするの。……そうだ」
帝人は臨也の手元にあったおしぼりの袋を指差した。
「それ、貰って良いですか?」
半透明なビニールに青い文字で定型文の書かれた良く見るリユース型のものだ。
「これ?いいけど、何に使うの?」
「ちょっと待って下さいね」
臨也から袋を受け取ると、帝人はその中に自分のおしぼりの袋を詰めた。そして片側を片結びし、もう片方は端を二つに裂いたものを本結びにした。
「おしぼりの袋ネズミです」
帝人は小さな子どもの様に笑って半透明の丸い塊を臨也に向かって弾いた。
掌から飛び出したそれは直角にテーブルへ落ちる。
「上手な人がやるとぴゅって、ネズミっぽく動かせるんですけどね」
「へえ、これは見た事ないな」
「小さい頃よく家族に作ってもらってたんです。外食した時とか、子ども会の時とか」
「そうなんだ」
臨也は帝人に向かってネズミを弾いた。
素早い動きでネズミは帝人の胸元へ当たる。
「わ、折原さん上手ですね」
帝人はビニールのネズミを生き物のように撫でながら言った。
臨也は、かさかさとビニールを滑る桃色の爪を追う。
「それ、貰える?」
「え、これですか?」
「うん。それ。だめ?」
作品名:燃しちゃってくれないか 作家名:東山