鏡像舞踏会【臨帝】
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臨也は帝人とのことを思い出す。
単純だった。あっさりとしたものだ。帝人がダラーズの創始者であると矢霧製薬の件で確信して以降、臨也は頻繁にコンタクトを取った。そして、告白された。
(あれを告白と言うべきなのか?)
未だに臨也の頭を悩ませるあの日のこと。
『臨也さんと付き合う人は毎日楽しいんでしょうね』
何が帝人に引っかかったのか楽しそうに、嬉しそうに、興味深そうにはにかんで告げられた。
あの時は味わうであろう痛みも苦しみも苛立ちも何もなかった。思いもしなかった。だから臨也は簡単に「付き合ってみる?」と持ちかけたのだ。間違いの始まり。
(俺が弄ばれるなんて、そんなことあっていいはずない)
後ろに体重をかければ椅子がわずかに軋む。少し椅子ごと回ってみて気持ちが悪くなった。この程度で三半規管がやられるなどありえない。帝人に関わってからありえないことだらけで気分が悪かった。別れたというのにまだ続いているらしい。
うっとおしいと思う前に空虚感に苛まれる。
胸に空いた穴。
空腹が行き過ぎて吐いてしまうような、そんな足りなさ。
これも全て竜ヶ峰帝人の仕業なのだ。
もっと早く気付くべきだったと臨也は自分を笑う。
無駄な時間を過ごし過ぎた。帝人と付き合っていた日々は停滞というべき無為な時。
「軌道修正できるかなあ」
盤上の王将をとり、握りしめる。
(罪歌の騒動を事前に潰したのは不味かった)
那須島隆志を焚き付けて園原杏里の元へ誘導する。
臨也はそれをしなかった。折角、園原杏里という本体ともいえる存在が臨也の情報網に引っかかった来たというのに何もリアクションを起こさなかった。
(ちがう)
踏みつぶしたのだ。
これから劫火になる火種を消した。
何もしなかったのではなく水をかけたのだ。
考えられない自分の行動に臨也の苛立ちは募った。
全部帝人のせいだ。帝人が怖がったからいけない。
明確なものではなかったが罪歌がダラーズの掲示板を荒し、いつものチャットでログを流していく。
甘楽が臨也だと知っている帝人は二人で会った時にその話題を出してきた。堪らなく不快だった。一過性のことだと分かりながらも帝人から出てくる疑問と不安。
どうして自分と一緒にいるときに別の存在の名前が出てくるのか、どうして自分と一緒にいるときに心配事など抱えるのか、臨也には耐えられなかった。
帝人は携帯電話を気にして、ダラーズを気にして、園原杏里を気にした。腹が立って気持ちが悪かった。
そんな自分の気持ちをおさめるために臨也はさっさと手を打った。原因は分かっているのだから対応などすぐ出来る。それで問題はないはずだった。
贄川春奈に那須島隆志を宛がい、通り魔として贄川周二を逮捕させる。贄川周二は精神病院へ連行されたが臨也の知ったことではない。無理やりな収束だが表面上はすべて元通り。帝人の友人は誰も怪我をせず日常は流れ行く。
(つまらない)
そう断言しようとして臨也は乱暴に手の中の王将を投げる。どこかへ転がったが探そうとも思わない。
つまらなかったわけではない。何もかもが不愉快だった。
何一つ自分の思い通りにならず通り過ぎていく錯覚。
(俺が勝手にやったことだ。礼なんて求めちゃいないけどさ)
園原杏里がいじめっ子たちと通り魔に出くわした一件以来、帝人はなるべく三人で登下校をしていた。
なるべく遅くに帰らないようにしながらも交友を深める学生三人組が臨也にはたまらなく気持ちが悪かった。
よくある風景だと納得するには余裕が足りなかったのかもしれない。どうして自分の気持ちが掻き回されるのか理解が出来ずに苛立ちだけが積もっていった。
帝人と付き合うというのがそもそもの間違いだったのだ。
今では臨也は納得している。
軽口で付き合おうなどといったのは失敗だった。
帝人が頷くと思わなかったなど後付の言い訳。
それでも別れたのだから問題ない。
(俺は俺を取り戻した。やっと)
後ろ髪をひかれるような感覚もいつか笑い飛ばせる。
味わったことのない息苦しさも時期に消える。
(消えてもらわないと困る。そうじゃなきゃ俺が何のために――)
続く言葉を脳内で打ち消して臨也は盤上の駒へと視線を戻す。仕切り直して始められるはずだ。火種はどこにでもある。飛んでいった王将は初めからなかったの。
臨也の手の中にないものはない。
(もっと今度は面白く)
火の手が上がらないというのなら一カ所に集めて自分の手で引火させてもいい。燃え上がる世界で人々がどんな動きをするのか見つめるのは楽しいに決まっている。
空元気のような、不完全な自分。自棄酒を飲んで喉を焼くような痛みは何処から来るのか。心が痛いなどそんなことは口にしたくない。思い浮かべるのすら屈辱的。
目を反らし続けたことは意識に上り続ける。
「――後悔、してるのか」
何のために別れたと思っているのだ。打ち消した言葉が甦る。こんな気分からの脱却のためだったのに気持ちは落ちる。深く知らない場所へ沈んでいく。気持ちが悪く落ち着かない。こんな自分は知らない。こんなもの自分ではない。自己否定のその姿こそがらしくなくて臨也には一方的な敗北感が残される。
帝人によって与えられたこの感情を臨也は受け入れることを拒絶した。いらないのだ。だから別れた。
『臨也さんは格好いいですね』
微笑んだ帝人をまぶたの裏に思い描き、罵倒する。
冗談ではない。こんな自分の有様のどこが誇れるというのか。格好が悪い。臨也は自分自身を幻滅していた。