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孤独な彼との数ヶ月 6

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僕は頷かなかった。肯定も否定もしない。でも、沈黙がもうすでに答えなのだ。
燐は、ちょっと困ったようにわらった。
「泣き虫」
静かに一粒ひとつぶ流れる涙を、かれが笑う。やさしく………赦すように。


『雪男は、昔は泣き虫でおれが守らないとって思ってた』


かつての、兄の言葉が浮かぶ。
昔の僕を、泣き虫だった、と言ったかれ。今の僕を、泣き虫、と呼ぶかれ。
おんなじ、かれ。あれほどに探した、面影、そのものの、かれ。
「愛してるんだ」
僕は、それしか吹き込まれていないテープレコーダーみたいに、ただぽつりと漏らした。
「知ってる」
かれは、嬉しそうに微笑んだ。おだやかな幸福そうな微笑。僕の守りたかった、陽だまりのような笑顔。
「だから、探した」
僕は、泣きながら、ぼそぼそ呟いた。独り言みたいに。
「兄さんを、探して……ずっと、ずっと………」
兄は、何も言わずに、ただ僕を見つめていた。
「謝りたかったんだ」
ついに、今まで言えなかった気持ちが、ひとつ言葉になった。
言葉はあとからあとから今までの黙秘が嘘のように僕の口を滑り出た。
「そばに取り戻したいとか、どこへも行ってほしくなかったとか、それもあったけど………そうじゃなかった」
今、光が差す。暗闇に閉ざされた心に、明るい白い光がはしごのように差し込むのが分かった。
「ごめん、って言いたくて」
僕は、兄を力いっぱい抱きしめた。どこへも行かせないために。
僕の腕という檻が脆いことは僕が一番知っている。一度は、この腕をすり抜けていった命。
ほんとうに脆い檻だ。もっと頑丈なら、あんな悲しみを知らずに済んだ。
だから、一時、この告白のときだけ留められたら、それで良かった。
「守るって誓ったのに、絶対に守ろうって思ってたのに、たった一つの誓いすら守れなくて………僕は、今でも変わらず弱いままなんだ。泣き虫の、兄さんがいなくちゃ息さえできないような、弱くてどうしようもない生き物だ」
でも、やっと言える。
「守れなくてごめん」
吐息とともに吐き出した謝罪が夜の闇に溶ける。蜀台の炎がゆらりと揺れた。
僕と兄さんの影が、長く伸びて、ひとつの平たいオブジェみたいだった。一対の抽象画みたいにも見える僕たちの影。
兄さんも、僕の腕のなかで、ごめんと小さくつぶやいた。
「悲しませて、ごめんな。置いていって………ごめんな。生きてた頃のこと、思い出せないけど………おれ、どうも、駄目な兄貴らしいな。でも………」
兄さんは、ふう、と小さく息を継ぐ。
「でも、お前が寂しいって思うとき、おれは、お前の中にいつだっていたんだと思う」
ちょっとだけ覚えてるんだけどな、と兄は、とっておきの秘密をうちあける人の顔でささやいた。
「お前に会う前、誰かの泣き声がする場所に、おれはずっといたんだ。その泣き声がなぜか、すごく懐かしくて、どこかで聞いたことある気がしてた」
僕は、腕を緩め、兄の顔をまじまじと見つめる。兄はその視線を受けて、少しずつ言葉を続けた。
「暗くて、じめじめしてて、大きな深い穴の中で、おれ、ずっと、叫んでたんだよ。泣き声させてるやつをなぐさめたくて、名前を呼ぼうと……」
「それ誰?」
兄がゆるくかぶりを振る。
「そこにいるあいだは分からなかった。ずっと……。名前、思い出せなくて」
兄の手がすがるように僕の腕を掴む。小さく僕の服にしわが寄る。
「それでも、誰か、すげえ、大事な人の名前を呼ぼうとしてたんだ………なのに、おれには、それが、どうしても思い出せなかった。何か過去のことを思い出そうとすると体が震えるんだ。頭もガンガン痛んで、まるで絶対に思い出したくない怖いことがあったみたいに。思い出せないまま、めちゃくちゃに呼んでたよ」
一度、言葉を区切り。そして、でも、と息を弾ませて、兄が口をひらく。
「おれは、今は、それが分かる!」
まぶしい思いつきに燐の顔が輝く。
それは、燐にとっての、希望の星だ。
あかるく小さく消えずに輝く。道しるべの星。
「お前の心が、泣いてたから、おれの魂は、お前の中にいたんだよ!ずっと!!」
僕はあっけにとられ、そして、しばらくして情けない顔でわらった。
情けないのは今更だ。もはや、恥ずかしくもなかった。
「近すぎて気づかなかったよ」
僕は、そっと兄を抱きしめて言った。
「気づかなくてごめん」
ああ……、いつだって、僕は孤独じゃなかったのだ。兄はずっと、そばにいた。どこへも行かずに。
なのに、遠くを捜しまわっては失望していた自分の馬鹿さ加減を、僕はちいさくわらい、ずっと感じていた狭い籠の中にいるような閉塞した気分が一気に晴れたのを感じた。
僕は今まで鳥籠の中にいたのだ。
孤独と絶望という鎖に縛られて、空の青を長いこと見失っていた。
無理矢理に閉じ込められていると思っていたけど、なんのことはない。たぶん、自分で閉じこもっていただけなのだ。
兄の死に意固地になって、周りのすべてを捨てて篭っていただけだ。
やっと鳥籠の外に出て、空の青を見ようという気になった僕に、兄は眩しい笑顔で、こう言った。
「しっかり者のお前にしては珍しい失敗だったな」
それも、今は、ただの笑い話。
僕は、兄の瞳の青を見た。
ずっとこの青をなつかしんで探していたのだ。もっとよく兄の瞳を見ておきたかった。
「ねえ、兄さん、これからも、笑い飛ばしてよ。こんなふうに。僕の珍しい失敗を。そのために、ずっと傍にいて」
僕は甘えるようにささやいた。
兄は、何度もうなずいて安請け合いしてくれた。
「おう、そばにいて、一億年先まで、からかってやるよ」
兄のちょっと馬鹿な発言に僕は首をかしげた。
「一億年?それって、僕たち生きているのかな」
僕の疑問に、兄は、勢いよく解答した。
「ばか!長生きなんて根性だ。根性さえあれば、そんなもの、なんとかなる」
馬鹿に馬鹿と言われた。いささか心外だ。
だが、そう言って笑った兄の瞳に、僕が見失っていたと思っていた空の青と同じ色が生の息吹をのせてきらめいているのを見ると、それもどうでもよくなった。
僕は、その青の美しさに見蕩れる。
紺碧の空を宿した晴ればれとした瞳。
僕たちが生まれるよりもずっと昔、遥か太古から変わらぬ青と同じ色をした兄の虹彩。
僕と同じ色をした、その瞳の中。
僕はそこに永遠を見たような気がした。
この青が時を越えて、僕のそばで、きらめき続けることを願わずにはいられない。
切なる祈りは、時間を越えて遥か先に続く道のようだった。
見出した祈りの道を歩きはじめた僕は、もう孤独ではなかった。