T&J
2章 ハリーの日常
なんでこうなってしまったのか、ドラコには分からなかった。
(……あいつに嫌味がきかない。まったく堪えない!)
眉間にしわを寄せる。
薬品作りは本を見て作る機械的な作業だったけれど、ドラコは手を抜くこともなく、真剣な顔で薬草を刻んでいく。
リズミカルな音と共に雪柳の根は細かくなり、その上に手早く火蜥蜴のエキスを数滴たらす。
このさじ加減が難しく、どの生徒も四苦八苦していた。
しかしドラコは躊躇することなく、的確に決められた分量を薬品に加えていく。
そんな自寮の自慢の優等生のドラコの作業を満足そうにスネイプは見ていた。
(それに比べて、グリフィンドールの連中のひどさといったら……)
バタバタと落ち着きなく、やかましいだけで、なにもかもがバラバラだ。
だまって黙々と作業をしているスリザリンとの違いに、スネイプはげんなりした。
(同じことを教えているのに、まったく!)
頭を振り、ため息をつく。
教授に見られているとも気づかないドラコは、顔には出していないが、内心はひどくイライラしていた。
この目の前にある雪柳を、意地でも何が何でも、細かく刻まなければならないほど、かなりイラついていた。
(あいつときたら!)
そう思うたびに、目の前の雪柳の根っこが細かく千切りにされていく。
(まったくバカにして!)
ヘラヘラしている顔が思い出されて、頭に血が上りそうだ。
深呼吸をして、みじん切りの根のかけらにバイコーンの粉末を振りかけた。
ひとしきり刻み終わるとそれを鍋に移し、水を加えて煮詰めていく。
はた見ればまったく流れるような動きに、無駄がなかった。
5分ほど経過するとグツグツと鍋の中で形があったものが溶け出し、ひとつに混じっていく。
丁寧に焦げ付かないように、大きめのへらで円をかくようにかき混ぜた。
ドラコはこういう作業が好きだった。
何もかも計算され、結果が明白ものだけが、彼を安心させた。
感情とか、気持ちとか、気分などという、つかみきれないものは、大嫌いだった。
その大嫌いの一番上にいるのが、憎むべき『ハリー・ポッター』だ。
あんなにも自分の思い通りにならない相手など、生まれて初めてだった。
どんなに嫌味を言ったり、喧嘩を吹っかけたりしても、言っても、ハリーはドラコの前でヘラヘラと笑っているだけだ。
まるで自分だけがいきり立って、全く相手にされていないようで、無償に腹が立つ。
思い出した怒りで、鍋をかき混ぜる動きが早くなったそのときだ。
――――ポンッ!!
教室の一角から、火柱が上がり、その音にみんなが振り向いた。
……やはり予想どおりの人物が、鍋の前で腰を向かしているのが目に映る。
「んもぉ、ネビルったら、なにしているの。早く立ちなさい。炎が上がっているのよ。やけどするでしょ!」
ハーマイオニーが慌てたように駆け寄ってくる。
ロンはやれやれという感じで、ネビルを床から立たせた。
ハリーは火柱を上げている鍋を前に立ち、この火をどうにかしようと躍起だ。
「……ルッ、ルーモス。光よ!」
などと焦って、全くトンチンカンな呪文を唱えている。
もちろん燃え上がる炎は、びくともしない。
さらに火柱が高くなっただけだ。
これが、みんなから「英雄」とあがめられている人物の正体なのだ。
これでよく、あの怪物から首尾よく逃げおおせたものだ。
本当にこのドジなハリーが、バジリスクや、ディメンターをやっつけたのか、マルフォイには信じられなかった。
スネイプは怒った顔で駆けつけると、白い薬品をその炎に振り掛ける。
一瞬で、火柱は跡形もなく沈下した。
ホーッ……というため息が、みんなの口から漏れる。
何人ものグリフィンドールの生徒が、彼の周りを取り囲んでいる。
「大丈夫?」
「怪我は?」
「本当、お前ドジだなー」
いろんな声がネビルに注がれる。
ネビルは大きく目を見開いたまま、小さく振るえながら、その言葉ひとつひとつにうなずいていた。
「グリフィンドール、50点減点だ」
重々しく、スネイプが告げると、グリフィンドールから、軽くブーイングが起こる。
でも、誰もネビルのことを本気で怒っているものはいなかった。
こんな爆発などいつものことだったし、時々見当もつかないような大失敗をやらかしてくれるネビルの存在は、この気の詰まるような魔法薬学の授業の、一種の息抜きのようなものだ。
爆発やハプニングが起こらない授業が2、3回続くと、まるでそっちのほうが気が抜けてしまい、みんなが落ち着かなくなるくらいに。
たくさんの仲間から、はやし立てられ、顔を赤くしているネビルを遠巻きに見ながら、ドラコはふと思った。
(……もし、あそこにいるのが自分だったら、どうなっていただろう?)
クラッブやゴイルはやってくるだろう。
もちろん一番に。
自分を守るのが、彼らの父親から言いつけられた命令だったからだ。
スネイプ先生は多分顔をしかめるかもしれないが、自分を責めることはしないだろう。
もちろん、スリザリンに減点はない。
(そして……それから……?)
それ以上、何も思い浮かばないことに、愕然とした。
スリザリンのほかの生徒は、自分の傍にはやってこない、──多分。
そういう馴れ馴れしい付き合いなどしたことがないし、ドラコも望んでいなかったからだ。
『自分のことは自分で』という個人主義がまかり通っているスリザリンでは、群れることや馴れ合うことを極端に嫌がっていた。
ドラコだけがそうなのではなく、スリザリンの寮自体がそういう気質なのだ。
冷ややかな目で、きっとスリザリンの生徒は自分を見るだろう。
一瞬、チクリと痛むような感情がドラコの中から湧き上がったが、それを無視する。
唇をギュッと噛むと、ドラコは自分の鍋の中で出来上がりつつある薬品の製造に専念した。
泡だっているのは薬品で、自分の感情ではない。
自分はいつも冷静だったし、そうなろうと努力していた。
自分には平常心がなによりも必要だった。
将来はマルフォイ家を継ぎ、当主となるように教育されてきた。
人をどうやって率いていくのか、行く先を見誤らないように、正確に答えを出していかなければならない。
そうしなければ、マルフォイ家に仕えているたくさんの者が路頭に迷うからだ。
自分だけの思惑に囚われてはいけなかった。
自分の甘えた感情など、必要がないものだ。
だから、こんな心を乱す思いは、ドラコには一切いらないものだった。
失敗は必要ない。
自分に必要なのは、成功だけだ。
自分は勝ち続けていかなくてはいけない。
勝者だけがこの世界で生き残っていけるからだ。
薬品から上がってきた煙に少し咳き込みながら、淡々とドラコはびんに液体を移しかえていく。
透明なガラスの中で、その液体は、青く光っていた。
赤い火蜥蜴の粉が入っているのに、青い炎だ。
その輝きをじっと見つめるドラコの薄灰色の瞳も、青く光を弾きキラキラと輝いていた。
ドラコは細い指先で少し振って、中身を混ぜて点検する。
その一連の流れる動作を、うっとりとハリーは盗み見ていた。
きれいだなと思う。
素敵だなとも思った。
特に上を向いている横顔が一番きれいだと確信する。
相手が自分と同じ男だとしても、ハリーには関係ないことだ。