T&J
石畳の暗い渡り廊下を降りると、芝生の敷き詰めてある園庭に進み、木々のあいだをすり抜けていく。
思ったよりも深く庭を進んでいくようだ。
もうすぐすると始業のベルが響いてくるはずだ。
ドラコは一時限目の魔法史のことが頭をよぎった。
このまま追いかけていたら、確実に遅刻してしまうだろう。
一瞬帰ろうかとも思ったが、やはりハリーの行動のほうが気になってしまい、やや不安になりながらもドラコはそっと後をつけることにする。
相手はこのまま授業をエスケープするつもりなのだろうか?
やがて広く開けた噴水がある場所にたどり着くと、それを取り囲むように並べているベンチのひとつに、ハリーはドサリと腰を下ろした。
うつむき、しきりとため息ばかりをついている。
その顔は青白く、体調がひどく悪く見えた。
(なぜ、あんなにも具合が悪そうなのに、医務室へ行かないのだろうか?)
素朴な疑問が浮かぶ。
(何かマダム・ポンフリーに知られたくない傷でもあるのだろうか?変な薬を調合して失敗したとか?)
ますますドラコは興味を持って、相手に近づいた。
遠くからだと、何をしているのか分からないし、もし傷だとしたらここからではよく見えない。
彼をもっとよく観察してみようと前へとさらに前進した。
ハリーは明るすぎる朝の光にうんざりしながら頭を振って、しきりと中のものを確かめるように、上着のポケットに手を突っ込んでいる。
今朝の大広間でも、そんなそぶりをしていた。
やがて思い切ったように、ポケットの中のものを取り出すと、ひどく深刻そうな顔をして、それをしげしげと見ている。
青白い横顔の先には、白い封筒が握られている。
(――いったいあの手紙は何だ?)
ドラコの瞳がぱっと輝いた。
きっとものすごい秘密らしい。
だから始業前の誰も訪れない、こんな深い庭の片隅にまでやってきたのだ。
ドラコはまた一歩相手に近づいた。
あの手紙の中身が見たくてしょうがなかったからだ。
ドラコはどちらかといえば器用な方ではない。
不器用ではないが、要領が悪いのだ。
そんな彼が探偵まがいのことなど出切るはずもなかった。
ドラコは自分では細心の注意を払って、木々のあいだを渡って、相手に近づいているつもりだったけれども、大きめの木の枝を踏んでしまったことは、やはり彼はスパイ活動には向かないということを露呈しただけだ。
その木の折れる軽い音に、ハリーは緩慢な動作で顔を上げる。
彼にしたら授業が始まろうとする今の時間帯にここを訪れる生徒はいるはずもなく、何か小動物が前をよぎったと思ったのだろう。
そして目の前にいるドラコを見付けて、驚きに目を見開いた。
「なっ……なんで、君がここにいるの?!」
ドラコはかぁーっと顔が真っ赤になった。
まさか、『相手を追いかけてここまで来ました』とは、とてもじゃないが言える訳がない。
しかも木を踏ん付けるという単純なドジを踏んで、あっさり気づかれましたなんて、恥ずかしすぎて余計に言えなかった。
「ええ……と……。朝の散歩かな……」
言葉を濁して、ハリーからの視線を外す。
下手な嘘だ。
とても下手くそで、子供でも言わないような嘘をついた。
どうみたってそのコソコソとした態度はあからさまで、ずっと最初からハリーを尾行していたのは、分かりすぎていた。
そうでなければ、偶然にしてはこの広い庭で鉢合わせなどするものか。
きっと相手はドラコのことをバカにするだろう。
結構ハリーはスネイプの前などでは、容赦ない口調で文句を言っているのを何度も見ているからだ。
しかも自分はいつも嫌味や喧嘩を吹きかけられている、憎い相手だ。
今のドラコの登場はかなり間抜けで、からかったり、笑いものにしたりするのには丁度いい口実を与えたに違いない。
ドラコは口をぎゅっと引き結んだ。
(きっとバカにされる!)
ドラコは少しからだを緊張させて身構えた。
しかし、いくら待っても相手からのリアクションがなかった。
不思議に思いまぶたを開いて相手を見ると、ハリーもドラコと負けず劣らず、真っ赤な顔をして、ドラコの前で立ち尽くしていた。
(……なんだ?いったいどうしたんだ、ポッターは?)
ドラコは首をひねった。
なぜハリーがそんな表情をするのが分からないからだ。
ハリーは青白い顔のまま、ほほやおでこを真っ赤にさせて、変な汗までダラダラ流して、ブルブルと震えている。
それはかなり尋常じゃない姿だ。
大量の汗はまるで、発作が起こる直前のように見えた。
思わずドラコは、相手に走り寄った。
「おまえ大丈夫か、ポッター!?ぶっ倒れそうな顔をしているぞ!」
相手の吐く息は短く、ひどく息苦しそうだ。
ドラコは眉を寄せて、困惑する。
(気絶したらどうしよう?もしかして悪い病気なのか?)
ドラコは躊躇することなくハリーの腕を取って、校舎のほうへ向かおうとした。
(ここで倒れられたら大変だ。ポッターを背負ってポンフリーの元へと運んでいくことなど、自分には出来ない。ここから医務室までは遠くて、誰かを呼びに行くまでに、ポッターが死んだらどうしょう!)
最悪なことばかりが頭をよぎって、ドラコは必死になった。
(僕はポッターが嫌いなだけで、こいつの死体なんか見たくもない!しかも自分のせいで死なれたら、夢見が悪くなるし、きっと一生悪夢にうなされてしまうだろう。あー、やだやだ……)
小心者のドラコらしい考えだ。
「あの……ドラ、コ。ド……ドラ――コ。ちょっ、ちょと、――話があるんだっ、けど……」
ドラコはその声にまたびっくりする。
(ああ、ダメだっ!ポッターのやつ、変にどもったりして、口のろれつも回らないようになっているぞ!)
いよいよ、相手が倒れてしまうかもしれないとドラコは焦った。
(どうしょう。どうしょう)
その言葉だけが頭に浮かんで、ドラコはパニックになりそうだ。
目の前でハリーは何度もハアハアと息苦しそうに不規則な呼吸を繰り返しているし、顔はいよいよ真っ赤になっている。
汗もだらだらと信じられないくらい滝のように流している。
ドラコはそんなハリーの尋常じゃない姿に、涙目になった。
(発作か?病気なのか?――それとも死ぬのか!!?)
死体など一度も見たこともなく、自分の少しの傷や病気でも大げさに言うドラコにとって、こんなひどい症状の相手など見たことがない。
「ああ、ポッター!気持ちをしっかり持つんだ!僕が肩を貸そう。早くポンフリーの元へ行くんだ!!」
更に近づいてきたドラコに、もうこれ以上はないほど、ハリーの顔は真っ赤になった。
「ドラコ、こ……これを君に読んで、もらいたいんだっ!!」
手に持っていた例の手紙を、ドラコにぐいぐい押し付ける。
「これは、何だ?いったいこれを、どうして僕に?」
ドラコは動きを止め、不思議そうな顔でそれを手に持った。
それを確認するとハリーはとてもホッと安心したような顔になる。
「――――ちゃんと読んでね。じゃあ、僕はこのへんでっ!」
それだけ告げると信じられないほど素早い動作で、ハリーは校舎へと戻っていく。
時々、何もないことろで蹴つまづいてヨロヨロしながらも、それでも脱兎のごとく、木々の向こうへと消えていった。
(……訳が分からない)