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てがみ

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「終わったー」
 万年筆を机の上に放り出し、椅子に座ったままの姿で綱吉は背伸びをした。
 今日中にサインをしなければいけない書類はこれで終わりだ。
 イタリア語が不慣れな綱吉のために日本語で注釈の書かれた付箋を外し、サインをした最後の紙を完了の箱にいれると、綱吉は内線をかけて部下を呼ぶ。
 ちらりと時計に目を向ければ、時刻はすでに夜の十時を過ぎていた。
 最後に休憩を取ったのは、昼食をとった四時のことだから六時間ほど机の前に座ったままということになる。土日を休みにするためとはいえ根を詰めたものだ。
 けれども、この土日の休みはどうしても欲しかったのだ。
 ここ数ヶ月、財団の管理があるといって一切顔を見せなかった雲雀がやってくるというので綱吉は喜んで予定をあけておくと豪語したのだった。
 まさか前日のこんな時間まで仕事が終わらないとは思わなかったが。
 扉をたたく音に綱吉は背筋を伸ばし「入っていいよ」と応対する。
「なに偉そうにしてるんだ」
「え!? ラル? どうしたの」
 めったにこの屋敷には立ち寄らない思い出の中の師匠が現れると綱吉は椅子を鳴らして立ち上がった。
 イタリア式の挨拶で手を差し出すと、「いらん」と無下に断られる。
 仮にも同じ組織の仮にもボスであるというのに。
「相変わらず」容赦ないといいかけて口を噤む。
「変わらないか?」
「――見ての通りです。ラルも変わりないみたいで」
「変わるか」
「ですよね」
 間髪いれず返ってくる言葉に綱吉は苦笑を浮かべる。
 この女性教官は昔から綱吉に厳しい。
「で、今日はどうしたんですか?」
「あぁ、これをお前に。――覚えてないのか?」
 ラルの差し出す封筒を見る。
 真っ白な封筒はどこにでも売っていそうなもので、覚えていないのか、と言われてもラルに手紙をもらってくるように頼んだ記憶はない。
「いいですか?」
 封筒を受け取る。
 宛名はない。封はしっかりとしているようで糊のあとが見えた。
「本当に覚えていないんだな。お前に言われて預かったんだぞ? ――まだ思い出さないのか?」
 ラルの口から呆れたようにため息が零れる。
「なんですか、これ?」
「……あけてみればわかるだろ」
「いいんですか?」
「お前宛だからな」
 言われて綱吉は机からペーパーナイフを取り出すと封を開いた。
 折りたたまれた紙を開いて、文字を目にしたとたんに、淡い記憶が蘇ってきた。
「これって……十年前の俺が書いた」
「十年後のお前宛の手紙だ。どうやら思い出したようだが、本当にお前は……十年前のお前の予想通りだな」
 唇を歪ませて笑うようにラルが言う。
 十年前――、綱吉は未来に跳んだときに手紙を書き、そして戻ってからも未来の自分宛に手紙を書いたのだった。未来の自分に宛てたときと同じように、ひっそりと書いて、そして――。
「俺、忘れるだろうからってラルに……」
 リボーンではなく当時は面識のなかったラルに渡したのは会う口実を作るためでもあったが、彼に渡したところで彼が忘れずに持っていてくれるとも思わなかったからでもある。
 事実、彼女に預けた手紙はこうして綱吉の手元に戻ることになったのだから当時の自分の考えは間違ってはいなかったようだ。
「どうせ忘れているだろうと思ったが、本当にお前は忘れていたな」
 オレって見る目ある? と、自画自賛していたところ横槍が入った。がっつりと傷口を抉る言葉だ。
「だからお前は変わらないといっただろ」
 ラルがため息づく。もっともだ。
「ありがとう、ラル」
 綱吉は唇に苦笑を浮かべて謝辞を返す。
「渡したからな。他人からの預かり物なんて奴はさっさと返してしまいたかったからな、これでようやくひとつ肩の荷がおりた」
 肩を小さく上下させラルが背を向ける。
「ひとつって、俺、他にもラルに迷惑かけてる?」
 ラルの背中にむかって、もうないはずと念を押すつもりが、小さな間と突き刺さるような視線が向けられた。
「――お前が覚えてないなら何もないだろ」
「えっと……、ラル?」
「出来の悪い弟子を持つとほんっとーに苦労するな」
 最後は半ば吐き捨てるように言ってラルは部屋の扉を後ろ手に閉じた。
「……まだ何かあったかな?」
 一人残された綱吉は首を傾げると、記憶を探ってみたが思い出せそうにないと肩を落とし、手元の紙に視線を向けると開いた。
「そういえば……俺ってこんな封筒にいれたっけ?」
 少し厚手の洋封筒に四角くたたまれた紙を広げながら、綱吉は過去の記憶を探った。
 あのときは、リビングの引き出しにあった茶色い封筒にいれたような――淡い記憶だ、間違っている可能性だってある。
 白い紙の上にはボールペンで書かれた殴り書きのような文字が並んでいた。
「汚いなぁ。……まぁ、今だって上手くなったって程きれいじゃないけど」
 苦笑を零して呟きながら綱吉は文字を追う。


『十年後のオレへ、

 十年後のオレは何をしていますか?
 オレはきちんと――仕事をしていますか?
 マフィアにはなってないよね?
 みんなは元気でしょうか?』


「あー、それ。半分叶って半分叶ってないや」
 合いの手をいれながら綱吉は笑う。
 当時の自分が嫌がっていたマフィアには、なんだかんだとなってしまっている。
 あの当時はそれなりにならない決意というものもあったのに、環境が変わればというものだろうか、それとも流されて――いや、他人の所為にすることは簡単だろうけれど、これが綱吉の選んだ未来だ。
 イタリアに居て、立派な屋敷で見たこともないようなブランド品に囲まれて、マフィアのボスという子供の頃にはなりたくないと思った立場に就いている。
 過去の自分の選択を否定するつもりはないが、あの当時の自分が見たら今の自分にがっかりするんじゃないかと思わずにはいられない。
 その代わり、いろいろ捨てたものはあったかもしれないけれど、あの頃と同じ仲間の笑顔は今も傍で守っているとは感じている。
 守れなかった過去の思いと比較することは出来ないかもしれないけれど、今綱吉の傍にあるものは失くしたくないものばかりだ。


『オレは幸せですか?』


「それは……――」
 ふいに気配を感じて振り向くと、意識が疎かにになったとたんに手の中の紙が奪われてしまう。
「子供って無邪気に難しいことを聞くもんだね」
「ヒバリさ……っ!」
 振り向くと慌てた綱吉は雲雀のスーツに鼻をぶつけた。息をのみ鼻を押さえる。くぐもった声が唇の間をぬって零れ落ちると、雲雀が呆れたように目をまるめた。
「なにしてるの?」
「――……それはこっちの台詞です」
 ひと息おいて声を絞り出すと雲雀はちらりと綱吉の顔に視線を落とし、興味をなくしたように手紙の文字を目で追う。
「君が夢中になって読んでいるから何かと思えば……面白いものを読んでるじゃない」
「勝手に個人宛の手紙を読むのはマナー違反じゃないですか?」
 取り返そうと手を伸ばすと、雲雀の腕が伸びて綱吉の身体を抱き寄せる。
「マナー、ね。そんなことより、君が今幸せかどうか、この答えが訊いてみたいね」
 どうなの? そう耳元で囁かれると、綱吉の頬は朱に染まる。
作品名:てがみ 作家名:ナナミ