境界のワルツ
◇
情事の後の甘い時間など存在しない。
行為が終われば、今までの繋がりなど無かったかのように双眸は空を見る。
何故かと問われれば、僕らには愛がないから、と答えるべきなんだろうか。
いや、無いと言うには語弊が生じる。
確かに存在する、情愛。
胸が苦しい程に想い、想われ、引き寄せられる。
だけど、それは僕らを淫行に移す理由には為り得ない。
好きだとか愛してるだとか、陳腐な感情では到底表現できないのだ。
――――敢えて言葉にするならば、無理矢理引き剥がされた半身を繋ぎ合わせる作業、と言ったところだろうか。
お互いが欲して、身体が疼くんだ。
「兄貴、この前の女の子とはもう別れたの?」
ぶらぶらと足を遊ばせながら、未だ余韻に浸る冠葉に目を向ける。
「んー、この前ってどれ?」
「えっと、髪が長くてくるくるってしてて、目がおっきくて、あと割と背の高い人」
「あー、それ前の前。何で?」
「今日見ちゃったんだよ、兄貴と新しい彼女」
いい加減天罰が下るよ、と眉間に皺を寄せる。
冠葉は糞食らえ、と鼻で笑った。
「俺がそんなヘマするかよ」
「はいはい。まぁ刺されない様に気をつけなね」
「不吉な事言うなって」
つんとつれなく顔を逸らそうとしたが、冠葉の腕によって阻止される。
何、と問うまでもなく、経験から身を以て知っている。
近付く唇を拒む理由は何もない。
ちゅ、と軽いリップ音を弾ませ、ふっと微笑む。
「ま、何されたって死なないけどな。だって俺が死んだらお前泣くだろ?」
自信過剰に口角を吊り上げる。
何だかそれが気に食わなくて、反発心が煽る。
「ばか、誰が泣いてやるもんか。自業自得だし。僕は女の子に同情するね」
「はっ、可愛くねぇの」
くしゃりと髪を掻き上げられて、今度は額に唇が降ってくる。
甘んじて受け入れると、気を良くした唇が首筋に移動する。
何時の間にか反転させられた身体にそのまま重なろうとする冠葉を、僕は慌てて押し返した。
「ちょッ、今日はもう無理だって!」
「何だよ、だらしない」
「兄貴には分からないだろうけど、挿れられる方はものすごく負担が掛かるの!なんなら今度は僕が、」
「…いや遠慮します」
何を言いたいか察知したのか、すごすごと退く重みにほっと胸を撫で下ろす。
大人しく肘をついて、先程僕がしていたように足をぶらつかせていた。
「な、陽毬が帰ってきたら、どっか遊びに行こうぜ」
「それは賛成だけど、どっかって何処?」
「そうだな…ま、それは追々考える」
「何だよ計画性の無い」
ふぁ、と大きな欠伸を一つ。
瞼がとろんと蕩ける。
「眠いなら寝ろよ」
「うん…でもお風呂、」
眠い目を擦りながら、もそりと身体を捩る。
傍で冠葉の呆れたような溜息が漏れ聞こえた。
「起きてからでいいだろ。俺も寝る」
そう言って、当たり前の様に僕の隣に収まる。
向かい合う形になって、間近に聞こえる吐息に胸がドキドキ騒いだ。
優しく腕に抱き込んで、冠葉が満足そうに目を細める。
僕は一度だけ上目遣いに冠葉を見遣り、そっと瞼を閉じた。
「おやすみ、冠葉」
額に贈られるおやすみの挨拶。
眠り逝く想いに、名前はない。