【APH】博愛主義者の憂鬱 上
ある、夜のことだ。
一人で葡萄酒を飲んでいた時、ふと目を離した隙にさっきまでなかった手紙が卓上にあった。不思議に思ってひもをほどいてみると、目に飛び込んできたのは彼女の字だった。
間違いなかった。
何故なら、文字を教えたのは俺自身だったから。
『この手紙をあなたが読んでいる時、きっと私はそばにはいないのでしょう』
あまりにもひな形の出だしに思わずわらった。手紙が震えていた。
だって、彼女はもう、何十年も前に。
後半なんて、しみが何個もできてて本当に読みづらくて。
何やってんだ馬鹿、と俺は唇をふるわせた。
今考えてみるとおかしかったのだ。
彼女がそんな涙の跡が容易にわかるような痕跡を残すはずがない。もしそんなことがあれば、書き直している筈だ。そもそも時空を超えた手紙などあり得ない。
今、わかった。そして容易にそれが想像できた。
冷たくて仄暗い檻から細い手を伸ばして羊皮紙を差し出しているあの子と、それを見下げる隣国。
きっとそれからずっと、あれを俺に渡すタイミングを逃して逃してのがしまくって、あの夜に見えないお友達に頼んでおくってくれたのだろう。
彼女を失った戦争が終わって、少し経った後に。
その時なのか、それとも彼女から手紙を受け取った時なのかもしれない。もしかして読んでしまったのかもしれない。
しみができてしまった時は慌てただろう。けど俺が字でわかるだろうし、書き直せない。いや、アイツも無我夢中で気づかなかったのか。意外とツメ、甘いしな。
でも。
そうか。アイツ、泣いてくれたのか。
*
相変わらず曇天の地上にでると、先ほどの兵士がにこにこして待っていた。
「聞いて下さい、さっきの間に僕、恋人ができたんです!」
「・・・ほぅ、よかったじゃない」
なるほど。そこは愛の国として国民の恋の成就は喜ばねばなるまい。
兵士は一層顔をほころばせて、
「はい。あの囚人にぼろぼろ愚痴をこぼしてたら、最初の方は何もいってくれなかったんですけど段々僕の相談にのってくれるようになって」
お前が先かよ声をかけたのは。
「いわないと絶対に絶対に後悔するから、一刻も早く告白して一緒にいるようにいわれたんです。
それで、僕があなたにはそんな経験があるんですかっていったら、小さい頃に好きな子と別れ別れになってそれからあえてないっていうから僕が手紙を書くようにすすめて・・あれ」
にこにこしていた笑顔を急に素にかえて、兵士は俺の顔をのぞきこんだ。
「彼、手紙・・・渡せてないんですか」
・・・こいつなら、大丈夫だろう。
口元に人差し指を当てて、首根っこをひっつかみ兵士を石段の暗がりまでひきずりこんだ。
「しーっ」
目を白黒させる彼に、俺はウィンク。
「お前の服と靴、それと長いフードつきのコート、今日までに用意できる?」
「へ?あ、・・・はい、僕のものならいくらでも。古くてぼろぼろのものばかりですが」
「上出来」
ぱっと首根っこを離して彼を解放した。困惑している兵士に、俺はもう一度ウィンクして肩を掴んで、
「ねぇ、」
ずぃ、と数センチの距離まで迫って。
「彼の恋、成就させたくない?」
*
ダン、ダン、ダン、と夜の牢屋に重い足音が木霊する。ろうそくの不安定な光がゆらゆらゆれる。
やがて分厚い影を背負って、のっそりと彼はそこに現れた。
「これはこれは、陛下」
「フランス。どういうことだ?」
「どう、て」
俺はすっと、闇に飲み込まれた牢屋があるはずの方向をみやる。
「彼を一日早く消失させたまでですが」
「馬鹿が。何度もいっていただろうが!明日、国民の前で、お前が、奴の首をはねるのだと。我々の象徴であるお前が、民衆の前ですることに意義があるのだ。説明しただろう!
・・・まさか」
ちらり、と氷より冷たい目が俺を睨む。
「情にかられて、逃がしたのではあるまいな」
「情にかられたのは真実です」
彼の顔が炎のせいで歪む。
「国の象徴である俺たちが民衆の前で消失する。同じ『国』、という存在によって。
これはある意味一番の侮辱ですよ。その消される『国』の国民にとっては自分らの象徴、アイデンティティーが消えるわけですからね。
そして国民のへの最高の侮辱は、国民に関するあらゆる物事の集合体でもある俺達への最高の侮辱にあたるわけです。
・・・それに、俺達にも『国』であることへの誇りがある」
にこり、と優雅に微笑んで。
「それを考えると、あまりにも可哀想で、ね」
「・・・血の跡が見当たらないが」
「綺麗にふき取りました、とはいいませんよ。俺達も人間ですから怪我もしますし病気もします。
ですが消失、というのは人間でいう殺人にはあたらないんです。文字通り、消えるんですよ。俺も初めて見ましたが」
そこで手に持っていたものを彼の面前にさらした。
「この通り、服だけ残りました」
「・・・・・・・」
「どうしても陛下が彼の消失を国民に報せたい、というのであれば・・・そうですね、俺がこの服を群衆に掲げる、というのはどうでしょう?トマト付きで。
・・・まぁ」
少しうつむいて、下から彼を見上げた。
「もし俺がかばっていたとしても、明日神聖ローマ帝国は消滅するんですけれど、ね」
しばらく、俺達は睨みあっていた。
「・・・もういい」
俺に背を向けて一度立ち去ろうとしたが、彼はくるりとこちらを向いていった。
「とりあえず、明日、お前には奴の消滅を民衆に宣言してもらうからな」
「承知しております陛下。おやすみなさい、よい夢を」
ふん、と鼻息を出して今度こそ彼は石段をのぼっていった。俺はしばらくそれを見送って、手探りで空の牢屋に入ってベッドに寝転がってみた。
当たり前のことだがベッドが固い。そして布団が薄い。
深く、深く息を吸って、深遠の闇に向かって吐く。
あの子やあいつは、一体何を考えていたのだろう。
ぼんやり暗闇を見上げていると、ふとあの窓に鳥が二羽とまっているのがかすかに見えた。
きたか、早いな。
「おいで」
そういって手を伸ばすと、二羽とも音もなく降りてきた。さすが、隠密行動は手慣れている。
ぽとりと俺の腹に手紙をおとさせたあと、懐に忍ばせておいたエサを食べさせてやった。またわずかに窓からもれる月の光にむかって二羽は飛び立っていった。
「・・・さて」
親指で蝋で閉じられていた封を一気にあける。手紙はたった一枚のシンプルなものだった。
『よくわからねぇが、面白そうだからのってやるよ。お前と連れだけでこい。ボヌフォアといえば通せるようにしておく。
プロイセン王国 かつ ギルベルト・バイルシュミット』
『私のわがままを、一つだけ、聞いていただけますか』
なぁ、俺結構がんばってない?窓から丁度覗く月にむかって俺はひとりごちた。
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作品名:【APH】博愛主義者の憂鬱 上 作家名:草葉恭狸