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【ジュダジャ】あの時の答えを今、言うよ【シンジャ】

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何が起こったのか分からなかった。
 空気中に咲いた鮮血の映像が瞼の裏にまざまざと焼き付いていた。
 眼前に飛び込んできたジャーファルの濃灰色の髪の毛がふわりと浮かび上がり、まるでスローモーションのようにゆっくりと崩れ落ちていく。トサリと横向きに倒れた奴の口から、ゴボッと真っ赤な液体が噴き出した。それを見止めた瞬間、ジュダルは頭の中が真っ白になり、心臓が一際大きくドクン、と脈打つ。腹の中に留めていた力が急速にブワリと膨れ上がる。
 身体が破裂したみたいな衝撃に襲われ、目の前がカッと一面の閃光に染まった。
 後のことはもう覚えていなかった。
 気が付いたら見渡す限りの地平線は草木一つ残らない焼け野が原になっており、周囲を取り囲んでいた闇の組織の連中はおろか、地形が変わるほどに地盤が吹き飛んでいたが、そんな事はジュダルにとっては最早どうでも良い出来事だった。
 地獄のような景色の中にペタリと膝を付けて蹲り、腕の中に抱え上げた体温をきつく抱き締める。
「何で……なんで、庇ったり、なんか……っ」
「……なぜ、でしょうね」
 白い官服の胸元を深紅に染めたジャーファルは、私にもよく分かりませんと言うような顔をしてふふ、と微かに笑った。
 アルサーメンによって長年に渡り施されていた暗示が薄れ掛けていた隙を見計らい、組織を裏切る形で飛び出してきた所を追手に追われている最中だった。魔力の尽きかけていた所を襲われ、四面楚歌の状態に陥っていた時に複数の敵から攻撃を受け、もうだめだと諦めかけていたジュダルを庇うようにして、突然ジャーファルが飛び出してきたのだ。
「まに、あって……よか……」
「おまえ……」
 抱き起したジャーファルは、コホコホと吐血しながらも何か言おうとした。それをうるせぇ、黙れっ、と怒鳴りつけて発言を遮る。
「ふざけんなよ、何考えてんだよ、迷惑なんだよ畜生がっ!」
 胸倉の生地を掴み上げて喚くように吐き捨てる。するとジャーファルの掌から零れた鏢がゴトリと地面に落ちてズシンと土の中に食い込んだ。途端に抱き上げた身体がふっと軽くなったのを感じて、この武器はこんなに重かったのかと思った。見るからに細い腕と痩身で、よくも自在に操っていたものだと今更ながらに驚嘆する。
「ジュ、ダル……」
 赤い紐の絡まった指先がゆっくりと持ち上がり、指先が何かを探すように彷徨った。ハッとしたジュダルは、反射的にジャーファルの手を取ってぎゅっと握り締める。
 こいつはもう、目が見えていないんだ……。
 こんなに近くで見詰め合っているのに、ジャーファルはもう自分の手が何処にあるのか見えていない。ぼんやりと開いている微かに緑掛かった黒い瞳は、もう何も映していなかった。そう察した瞬間、ジュダルの瞳からボタボタと大粒の涙が零れ落ちた。
 滴下した涙はジャーファルの頬に落ち、その感触に彼は弱々しい笑みを唇に宿す。目は見えずとも皮膚に染み込む温かな液体の正体をちゃんと知っているようだった。
「泣き虫」
「っ……うっせぇ!」
 小さく非難されるのに過剰に怒鳴り返し、ジャーファルの手を取ったままの拳でごしごしと目元を擦る。一度拭った位では後から後から溢れてくる涙を止められなかったけれど、これ以上ジャーファルに心配を懸けさせたくはなかった。
「今すぐ治してやっから、くたばんじゃねーぞ」
 ドクドクと未だに滲み続けている深紅の液体を止める為、腹の底にありったけの魔力を溜める。何でも良いから誰かこいつを助けろよっ! と大気中のルフに喚き散らして力を掻き集めたが、それでも治癒のスピードが間に合わず、ジャーファルはどんどん衰弱していった。無力な己と現実を突きつけられ、絶望に伏したくなる自分を誤魔化すのに必死だった。
 治癒系の魔法は得意ではない上に大量の魔力を必要とした。魔力の尽きかけている今、己の体力を削って力に変換するしかない。それをジャーファルも看破しているらしく、繋がったままの指先に僅かに力が篭った。
「いえ、余計な消費になります。このままで結構」
 腕の中でふるふると弱々しく首を振るのに、ジュダルはカッと激昂する。
「ふざけんなよ、てめぇ、諦めんのかよっ!」
「事実を述べているまでです」
 ジュダル、と耳になれた声音で呼びかけられ、ビクリと身体が震えた。柔らかな調べの中にも厳しさを感じさせる声だった。叱りつけるような響きの中にも慈しみが込められている声だった。無条件で魂が反応を示すこの世でたった一人だけが紡ぐ事の出来る声音だ。
「ごめんなさい……」
 吐息を掠めるようにして、ジャーファルはそっと囁いた。胸の傷の所為で呼吸も満足に出来なくて苦しいだろうに、肺の中に残った僅かな空気を震わせるようにして目には見えない胸の内を語ろうとする。
「きみを、救い出してあげたかった」
「……っ」
 ジャーファルの落とした悔恨の滲む吐息に、ジュダルは深紅の瞳を歪めて涙を溢れさせた。
 シンドバッド側の筆頭みたいな立場にあるジャーファルが、何故自分に過剰な同情を寄せ、執拗に干渉してくるのかが分からずに、以前はひどく戸惑っていた。こいつはシンドバッドの事が好きで、心酔しているのだと思い込んでいたから、懸命に説得しようと話しかけてくる姿を目の当たりにしても、胸糞悪い偽善者のそれにしか見えなかった。黒ルフに満たされて堕転していた自分には、ジャーファルの並べる綺麗な言葉の理想論が全て下らない絵空事のようにしか思えなかったのだ。
 なんで俺にかまうんだと自棄になって怒鳴り散らした。俺の勝手だ、放っておけよと刃を向け、何度も傷付けてきた。それでも諦めようとせずに手を差し伸べてくるこいつの事が、少しずつ怖いと思い始めていた。どうしてそこまでして俺に近付くんだと問いかけると、ジャーファルもとても不本意そうな顔付きになって、組織に利用されて傀儡人形のように扱われているきみが、昔の自分を見ているようで放っておけなかったんですと、胸の内を教えてくれた。
 こいつは本気で、俺の事を心配してくれる。
 俺の事を、本気で思ってくれている。
 そう悟る事ができたから、だからこうして組織の束縛を破るだけの己の意志を取り戻る事が出来たのだ。本来の自分に戻る事が出来たのは、ジャーファルに必要としてもらったという事実が何よりも大きかった。
 これからもっと一緒に居られると思ったのに、真っ先に会いに行こうと思っていたのに、再会はこれ以上ない位に残酷な形で訪れてしまった。
 ぼんやりと開いていたジャーファルの瞳が、不意にふっと花弁を閉じるように伏せられる。眦に小さな涙の粒が浮かんでいた。
「もっと……はなし、が、したかった、な」
「……っ、できるぜっ!」
 未来を諦めるような発言に、咄嗟にジュダルは否定を叫んでいた。
 心の弱気は生命力を低下させる。生きる意志を諦めてしまったら肉体はどんどん死へと向かってしまうのだ。諦観させてはいけないと思った。なんでも良いから希望になる物を見せなければいけない。
「話なんか腐るほど出来るぜ? 今じゃなくたっていい、此処じゃない何処かで」
「……ここじゃ、ない……どこか?」