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明けぬ夜はないものと

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 ぬくもりは、信じられぬほど実にすっぽりと腕の中へと納まった。思っていたよりも軽く、そして重い。娘より託された小さな命を、黒衣の老人は至高の宝玉とでも言わんばかりに胸の中へと抱き抱える。
 自然、口許から零れるのは暖かな笑み。らしくないことだと思わなくもないが、一体誰に咎められようか。幼子は、彼にとっての初孫だった。
 かすかに肩へと触れる気配。ぱたぱたと軽やかな羽音が聞こえた。光の粉を撒き散らしながら、妖精の少女が幼子の顔を覗き込んだ。透き通る羽根を背から生やした掌大の少女は、ものめずらしげに幼子を見つめている。羽根を幾度も震わせては、近付いたり遠ざかったりと実に落ち着かない様子だった。
 英国の妖精ばかりではなかった。ふわりと宙に浮いた長い胴体をくゆらせて、長い胴体を持つ犬がふんふんと鼻を鳴らしている。幼子の臭いを嗅ぎ、鼻面を今にもその柔らかな頬へと押し付けんばかりだ。
『……ええい、どかんかどかんか悪魔どもめが!』
 老人の足元から鋭い叱咤の声があがった。シャアッ、と獣が発する威嚇音と共に。闇夜そのままの色をなした黒猫が、軽やかに地を跳び立つ。瞬く間もなく、老人の肩に重みが加わった。
『貴様ら、よもやこの期に及んで何かよからぬことを考えているのではあるまいな。だとすれば、業斗童子の名にかけて黙ってはおれんぞ』
 傍からではただ猫が鳴いているようにしか聞こえぬであろう。だが猫は決してただの猫では有り得ない。これは、この場においては老人にしか聞こえぬ声であった。
『よからぬことって何よう! あたしは、ただ、かわいいなーって思ってただけだもん! ぷくぷくーってしたほっぺたやわらかそうだなーって』
『グウ……オレモ、ヨカラヌコトオモッテナイ』
 うっとりとしながら犬魔が目を細めた。だらしなく口を開け、はっはっと息を荒くする。口の端から、たらりと垂れるものを舌が慌てて拭い取った。
『ホッペタヤワラカソウオモッタダケ…………ヤワラカクテウマソウ……』
 思わずぽろりと漏れた本音に、少女と猫がそろって犬魔を睨み付けた。犬魔はびくりと身体を波打たせた。クゥン、と情けない声で鼻を鳴らし、犬魔が身を縮めた。そこへ、とりなすようにものやわらかな声がかけられる。
『まあまあ御両人、そのあたりにしておいてはいかがです。彼とて、本当に食べてしまうつもりはないものかと』
 ねえ? と背に白い翼持つ青年天使が犬魔に向かって微笑みかけた。見るものを魅了する見事な笑みだった。
 だが笑っているのは口許だけだ。彼の眼は、笑っているとはとても言い難い。キャン! と甲高い鳴き声を上げ、犬魔は老人の背後へと回った。帽子にかけた前脚から細かな震えが伝わってくる。
 老人は、口許を緩めた。ふう、と誰にも聞こえぬほどささやかなため息をつきながら。
「――イヌガミ」
『クゥン……』
「ドミニオンはああ言っているが」
『…オ、オレ…喰ワナイ……喰ウツモリナイ…』
 ぶんぶんと頭を振り、世にも情けない声で犬魔が抗弁する。いや、これは肯定した、と称するべきなのか。前脚を縮め、両耳をぺたりと寝かし、全身いっぱいでごめんなさいと叫んでいる――そうか、と老人は頷いた。
「誇り高きイヌガミは嘘をつかない――そうだな?」
『グ?』
 老人の言葉に、犬魔はこくりと首を傾げた。ぴったりと、数えて三秒。ぴん、と犬魔は耳を立て、尻尾を振った。
『アオーン! オレ、誇リ高イ! イヌガミ嘘ツカナイ!』
「――だ、そうだピクシー、ドミニオン」
 老人の言葉に青年天使が肩を竦めた。微笑みはそのままだが、今度はその眼に暖かな光を宿している。主には敵いませんね、そう零しながら青年天使は引き下がった。
 だが少女は納得がいかなかったものらしい。いまだ腕を組み、その可愛らしい頬を膨らませている。そうか、老人はまたも頷く。
「ピクシー」
『うっ……』
 ただ、言葉少なに。己の名を呼ばれただけであったのだが。
 老人の呼びかけに、少女は呻いた。呻いて、更に頬を膨らませる。心なしか、目許が赤い。
『もう――もう、もう、もう!』
 ぴったりと、数えること十秒。少女は叫んだ。
『もうもう! わかったってば! ライドウの言うことだもん、信じるよ。このあたしがライドウのこと信じないなんて、そんなことあるわけないでしょ!』
「――光栄だ」
 少女の顔がばら色に染まった。とがり気味の耳まで赤い。背の羽根の羽ばたきが早くなった。光る粉がちらちらと散る。老人はただあえかな笑みを、唇の端に乗せるだけ。
『……甘い、甘いぞライドウ』
 呆れた響きの声が、耳元から。これも、傍からではただの猫の鳴き声にしか聞こえない。
『いま少し、悪魔達に対して厳しい態度で臨むべきではないのか。そのようなことでは、いつ何時、敵味方に関わらず、悪魔どもの侮りを受けるとも限らん……お』
 説教めいた苦言は途中で萎んだ。周囲でおお、と歓声が上がる。老人の腕の中の幼子が、ぱちりと眼を開けたのだ。済んだ眼差しが、空を見る。
『わあ! 見た! こっち見たよ、あたしのこと見た!』
『いえ! 違いますよ、間違いなく私のことを見ましたとも、ええ!』
『チガウ! オレ見タ! 絶対オレノコト見タゾ、アオーン!』
 互いが互いの主張を譲らない、いささか不毛な争いが勃発した。とはいえ、そこは同じ主に仕える悪魔同士、言い争いに留めている。賢明なことだ。
 特に害はなし、と認めたのか、老人はやはりあえかな笑みを口許に刻むに留めた。だが肩の上の猫は違った。悪魔が言い争う光景を眺めやりつつ、ハッ、と鼻で笑ったのだ。
『判っとらん奴らだ……この我を見たに決まっておろうが』
「ゴウト――」
 勝ち誇って胸を張り、ぴん、とひげを伸ばす猫を横目で見やり、さしもの老人もため息をついた。誰も気がつかぬほどの、ほんのかすかなものではあったが。
 足元から、どこか間延びしたような声が聞こえてきた。見た目からしてふにゃりと柔らかな悪魔が、身体を揺らしながらあるのかないのか判らぬ肩をすくめる仕草をする。
 そして、一言。
『ダメダメっすね』
 足元の悪魔の言に、言えてらァ、とこれまで無言だった若武者が呵々と笑った。笑いつつ、幼子の顔を覗き込む。覗き込んで、若武者が表情を変えた。ぱちりと瞬き、一瞬真顔になる。
 そして若武者は、にやりと口角を吊り上げた。感心したように顎を撫で、呟く。
『大したタマじゃねえか。オレらを見てもまるで動じやがらねぇ……こいつぁ俄然将来が楽しみになってきやがったぜ』
「さて……」
『十五代目葛葉ライドウ――――なぁーんてな! ありえねぇ話じゃねえだろ』
 得意げに若武者が言った。さて、どう答えたものだか。老人は逡巡する。腕の中の幼子を見下ろし、その顔をじっと見つめる。将来が楽しみなのは自分とて同じだが、彼の先にあるのはまだ道の見えぬましろな未来。
 肩の上の猫が神妙な顔つきをして言った。ヨシツネの言う通りかもしれん、などと思わずぎょっとすることを口にする。老人は軽く目を見張った。
『有り得ぬ話ではないぞ、ライドウ。お前の血を、そしてかつては鬼憑きと呼ばれた家系の血を引く子供だ』
「――ゴウト、ライドウの名は」
作品名:明けぬ夜はないものと 作家名:歪み月