明けぬ夜はないものと
人気の全く感じられない病院内だった。遠くから、かすかに何かの鳴き声が聞こえてくる。人の声ではありえない、さりとてこの世のものであるとも。窓の外は薄いクリーム色の雲で覆われた世界が見えた――――否。
それはかつての空では有り得なかった。崩壊して、一度死んでしまった世界。反転し、さながら卵の内側に作られた……それが今の東京の姿だった。
「君、昔どこかで会ったかな」
かつて人であった少年――瀬川蒼馬は、目の前の少女に向かって、気付いたらそう問いかけていた。少女が訝しげに首を傾げた。人にあらざる、背から生えた透き通った羽根をはたはたと羽ばたかせながら。
その様を見て、蒼馬はっと口を噤んだ。そしてひどく後悔した。少女の返答がいかようなものであるか、そんなこと容易に想像できることなのに。
少女が首を横に振る。返答は予想を裏切らなかった。
『知らない。あたし、君みたいにへんてこな悪魔これまで見たことないもの』
「――そうだよね……」
そら、思った通りだ。会ったことなんてあるわけはない。これまで過ごしてきた世界と、丸く変じてしまった世界とでは常識があまりにも違いすぎる――そこまで考えて、またも後悔。
蒼馬は頭を軽く打ち振った。後悔なんてしてる暇、今はこれっぽっちもありはしないのだ。とにかく先に進まなければ始まらない。蒼馬は少女に向かって手を差し出した。
「ともかくも、これからよろしく。ええと――」
蒼馬の態度に、少女はぱちりと瞬きをした。どうも、蒼馬の行動は少女にとって意外なものであったらしい。それはそうだろう、自分の行為は人間そのもの。けれど少女は――悪魔、なのだ。
だが少女は気を悪くした風ではなかった。それどころか! いたずらっぽく笑って、両手を差し出してすらみせたのだ。
『あたしは妖精ピクシー。今後ともよろしくね!』
少女の両手が、蒼馬の差し出した手の指先を握って上下に振った。くす、と蒼馬は小さく笑った。世界が変じてから後、初めて見せた少年の笑みだった。
行こう。少年が踵を返す。一人の足音が病院内に響き渡った。
この先の未来はまるで見えない。けれど少年はもう一人ではなかった。
END
作品名:明けぬ夜はないものと 作家名:歪み月