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あなたを好きになって

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 ・・・もしも、迎えの車が知らないものだったなら。


 言ってしまおう、と弱弱しい覚悟を決めた帝人の前に止まったのは車高の低い外車だった。見たことのない色、見たこのない車種、運転席に座る見知った顔が窓の隙間から目だけを覗かせて促す。乗れ、と。
 ロックの外れたドアを開けて光沢感のあるシートに身を沈めると、微かなコロンの香りが舞い立った。シートベルトを締め終わる前に低い外車は滑るように滑らかに走り出す。
 やがて静かに流れていく街のネオンを尻目に、口を開いたのは臨也さんの方だった。


 「ちょっと遠回りしたから遅くなっちゃった。ごめんね」

 「・・・・いえ」

 「低いから結構ガツンと揺れるかもしれないけど、今日は近場だから」


 我慢してね、と視線を逸らさないまま笑う彼を横目に考える。知らない車に、知らないコロンの香り。たまたま今日を選んだだけなのに、随分前から用意されていた舞台のような気がして眩暈がした。


 「帝人くん、今日は寝ないでね。ほんとにすぐだし、それまで俺の愚痴を聞いてほしいんだ」

 「・・・愚痴、ですか?」

 「うん、とっておきのやつ」

 「嬉しくないなぁ・・・」

 「そう?でも、帝人くんにしか出来ないお話なんだよ」


 人の心も知らずに楽しそうに言う、愚痴を聞いて欲しいという割りに臨也さんは随分上機嫌のようだった。
 車は唸り声を上げながらぐんぐん加速していく。時折信号で止まれば、持ち主は誰だとばかりに道行く人が車内を覗いた。幸いにもスモークガラスだったので、逆にこちらが凝視する形で奇異の目を受け入れる。そんなに珍しい車種なのだろうか。


 何もかも、知らないことばっかりだ。そう不貞腐れそうになるのをごまかすために口を開く。寝れるとばかり思っていたので酔い止めは飲んできていなかった。気を紛らわすのにも、車中には他に何もない。

 
 「僕にしか出来ないって、僕だと都合が良いんですか?」

 「都合?どういう?」

 「・・・・・・え、と」

 「悪くはないけど、俺は帝人くんに聞かれたくない話だってたくさん持ってるつもりだよ。都合良いばっかりじゃないさ」



 「・・・そう、ですか」

 「そうだよ?どうして?」


 聞き返されて視線が泳ぐ。考えもなしに開いてしまった口は早々に閉じることにして、その場を誤魔化すように少し背をずらした。
 想定された身長には到底届かない。低い車体が少しでも揺れれば、その度ずるずるとシートから滑り落ちた。


 「座りづらい?」

 「あ、いえ」

 「今度は違う車にしようね。俺も実はこの車はあんまり好きじゃないんだ。車体が低い所為で、いくら窓を開けて走っても中々匂いが抜けない」


 うんざり、と言った口調で話す臨也さんを思わず凝視する。気付いて、たんだ。それからハっと気付いて言葉を漏らす。


 「・・・遠回りした、って」

 「そうそうそれね。仕事終わりでそのまま来たんだけど、あんまり匂いが酷かったからさ。車を変えに戻る時間はなかったし」


 帝人くんこの匂い嫌いだろ?俺も嫌いなんだ。そう言わんばかりの苦笑いに少し、胸がざわつく。


 「この車だって向こうの指定だったんだんだけど、こないだと違う外車がいいって、とりあえず外車ならって程度でよく言うよねぇ。呆れて物も言えないよ」

 「・・・臨也さん、そんなに外車持ってましたっけ?」

 「置くところもないし3台位かなぁ?それをローテーションして、最悪レンタカーでも良いかって思ってきてる」

 「そしたら、返すときには窓開けて半日くらいドライブしなきゃいけないんじゃないですか?」

 「・・・・・・彼女とはもう潮時なのかもしれないなぁ」

 
 心なしか遠い目になった横顔を見て思わず噴出す。もしかしなくとも、彼の愚痴はそれだったのだろうか。酔いやすいため道中はいつも眠ってしまっていたけれど、もし起きていたなら、こんな和やかな会話も出来たのだろうか。
 僕にしか出来ない、の意味は未だ量りかねない。自分と交わした小さな覚悟も、燻っていて消える気配はない。それでも。
 少し、ほんの少しだけ、信じてみたくなって言葉を待つ。最近では常に付きまとっていた息苦しさが、今だけは深い眠りに付いたように穏やかだった。


 「愚痴は、それですか?」


 目尻に溜まった涙を人差し指で軽く拭う。笑いすぎだよ、と寄せられた非難の視線には気付かないふりをした。


 「それが違うんだ。今日のとっておきはこれじゃない。・・・サイドボックス、開けてみて」

 「サイドボックス?高速に乗るんですか?」


 近場って言ったのに?という疑問視に彼は軽く首を振る。


 「免許じゃないよ。・・・いいから早く」

 「・・・はぁ」


 言われたままにサイドボックスの蓋を開ける。臨也さんのことだから何かとんでもないものに違いない、と思ったのに、そこにあったそれを見て僕は拍子抜けしてしまった。


 「・・・・・・あめ?」


 うんそう、と笑った臨也さんの声はこれ以上もなく弾んでいる。


 「帝人くんの好きなやつ。前に舐めてると気が紛れるからって言ってたでしょ?」

 「それが、愚痴に関係あるんですか?」

 「あるある。今日会ってた子にね、『こんなの、あたしと会う時はどっかに捨てておいてよ!』って、それはもうこっぴどく怒られたんだ」

 「・・・・・・へぇ」

 「でもそんなの無理な話だと思わないかい?この車は彼女のものじゃない。俺に貢ぐ趣味はないから、いずれ、も今後、もありえない」

 「・・・・・」

 「第一、俺の手持ちにこの飴を置いてない車なんてないんだ」

 


 

 「・・・・・・・え?」



 さらりと。何の躊躇も思惑もないように響いた声に心臓をつかまれる。
 やっぱり彼女とは潮時なんだねぇ、と楽しそうに言う臨也さんの顔が見れない。心臓の音が、うるさい。
 じん、と熱くなった目頭を、前髪を弄くる要領でさりげなく拭う。気付かれていませんように。鼻を啜る音を誤魔化すために飴の包装を少し大げさに破いた。口に放り込んでみれば甘い、やさしい味がする。


 「こんなの、帝人くん以外に言ったってわからないだろ?だから、帝人くんにしか出来ない話なんだよ」

 「・・・・・・」

 「飴、美味しい?」


 視線が此方に向くのが嫌で、小さな声ではい、と答える。そっか、と返したきり、臨也さんも無言になった。少しずつ、車の速度が緩くなっていく。
 それから15分もしないうちに、車は知らないマンションの駐車場へと滑り込んだ。シートベルトを外した臨也さんに習って僕も車外へ足を踏み出す。微かに、潮の匂いの混じった風が頬をさらった。


 「ここは?」

 「羽田に新しく借りたマンションだよ。他の外車のお家もココ」

 「・・・三台とも?」

 「そう、三台とも。だから帝人くん、確かめてみるといいよ」


 サイドボックス、と臨也さんが話し終える前に、僕の視界は今度こそ完全に歪んだ。がらがらと、覚悟の崩れる音がする。
作品名:あなたを好きになって 作家名:キリカ