ヨチ
カマドウマの一件でヒントを得たとかなんとか。
あのときの俺には何がなんだかだったが、そもそも古泉たちが力をふるえるのはハルヒの生み出した閉鎖空間においてのみで例外はなかった。しかし、部長氏が結果的に作り出してしまったあの異空間において古泉は制限があったものの力をふるうことができた。十分の一だろうが何だろうが力は力だ。そして、その調整を行ったのがTFEI端末――長門、なんだそうだ。そこで『機関』は長門および他のTFEI端末へと接触しトレーニングルームの建設に励んだと言うことらしい。まだ実験段階だがな。
そういう機密施設にもかかわらず、俺に対してIDカードが発行されていた理由はしらんがおおむね長門を引っ張ってくる餌にしようとかそんなところだろう。どういうわけか長門は俺を司令塔にしているところがあるからな。あるいは長門側からの条件だったのかもしれん。
とにもかくにも考えてもどうせ答えが得られない事は置いておいて、俺はここまでえっちらおっちらやってきた目的を果たすためにいまだに笑顔を忘れたままの古泉の隣に座り込んだ。
それにしても笑顔のない顔はともかくこいつのラフな私服なんて俺は初めて見たね。首周りがくたびれた長袖のTシャツに洗いざらしのジーンズ、足元は履き古した感のスニーカー。着ていることもそうだがどちらかといえば持っていたことに驚いた。
「そうですか?」
固定観念というやつだろう。いつもハルヒの思い描くイメージから一番はずれないように振る舞っているのはおまえだからな。
それにハルヒが誰かの家へ突撃するような事態は今のところ幸いにも長門ん家に対してしか起こっていないが、もしも部屋に上がり込まれたらいろいろごまかしが利かないような物は置けないだろうからな。すくなくとも俺の部屋は妹によっていいように蹂躙されているのでいろいろな物の隠し場所には苦労している。しかもシャミセンを飼うようになってからは前にもまして俺の部屋に入り浸りだ。きちんと整頓されているわけでもない兄の部屋なんぞ何がおもしろいのかね。
「それはあなたの傍が心地いいからですよ」
そうかね――って、うわっ。
「すみません、肩を貸していただいても構いませんか?」
断るという前にすでに抱きついてるじゃないかと突っ込んでもいいか。顔が近いとかいうレベルを超越している。
しかし首筋に触れた指先の冷たさにぞっとして、あきらめの溜息をついて抵抗しようとした力を抜いたら俺の方で古泉がふっと笑った気配がした。
「ありがとうございます」
だから――いやもう何も言うまい。いつも笑ってばかりいるからといって、その仮面の下でこいつが現状に脅えていないなどと言うことが誰にできる。むしろあの閉鎖空間の中で誰よりも強く恐怖を抱えていてもおかしくないというのに、古泉はハルヒの前ではハルヒが望むままに笑顔であり続けている。そうだよ、古泉にとって最大の恐怖は《神人》よりハルヒであるほうが自然だよな。
――あー、古泉? 泣きたいなら泣いてもかまわんぞ。今ならおまえの顔も見えないし。
「もう泣き方など忘れてしまいましたよ」
「アホか、忘れんなそんなこと」
そう応えながらも俺のシャツを握り締めた手が細かく震えているのが分かったので、それ以上は何も言わずただいたわるように古泉の背中に手を回した。
泣いていないと言い張るなら濡れたシャツの弁償も請求しないでおいてやるさ。泣けって言ったのは俺だしな。
なあ古泉。俺はお前を誰にも殺させる気もSOS団を退団させる気もねーよ。ハルヒはもちろん長門だって朝比奈さんだってそんな事は望んじゃいない。
おまえの上司であるであろう森さんだって俺を迎えにくるつもりだったってことは、彼女だってきっとそう思ってるはずだ。今はたぶんうるさがたと戦ってくれてるんだろう。宇宙人や未来人一派を疑う一派すらできつつあると言うから困難かもしれないが、森さんならしっかりと古泉の自由を勝ち取ってくるに違いないし、もし万が一駄目でも俺の持っている切り札だってそう捨てたもんじゃない。
それに泣きたくなったら肩ぐらいいつだって貸してやるから、まだしばらくハルヒに振り回されてやろうぜ。閉鎖空間は俺も勘弁だからできるだけ機嫌はとってやるよ。
だからいつかこの生活に終わりが来て、さらにその数年後とか数十年後にそろって「ああ楽しかったな」と言う事ができる日が来るまではその胡散臭い笑みでいいから傍にいてくれ。
そのヨチはきっとまだあるはずなんだ。