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完璧な灰にはなれないけれど

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 黙々と石材を運ぶアイクの隣を歩く。担いだ木材を揺すり上げるついでに、ライはふてぶてしいまでに毅然としたその横顔を覗きこんだ。
「いいのか? おまえ。こんな所でこんなことしてて」
 ベオクの勇者の名は、クリミアと親交のあるガリア王国のみならずラグズ諸国に高く響いている。獅子王の親友の息子であり、フェニキスの鷹王からの信厚く、鷺の民の王子と姫を救ったばかりか彼らと因縁深いベグニオン帝国とを和解させ、癖の強いキルヴァス王も一目置き、さらには神秘の国ゴルドアの王子にすら面識があるという若き将軍に向けられる無粋な好奇の視線は途切れない。
 ラグズとベオク、両者の間に横たわる溝はいまだ深く暗闇をたたえてはいるが、アイクというたったひとつきりの架け橋を通じての二種族の交流が昏い地底へ石を落とす。はてしない時と労力の果て、ひょっとすると積み上げられた石で溝が埋没するときが来るのではと、ほのかな希望をもつのも悪くないかもしれない。少なくとも今ライの眼前に広がる光景は、その先駆であると期待していいはずだ。
 戦争によって失われた教会の再建に、クリミア国民とガリアの民が力を合わせている。作業の開始直後こそぎくしゃくしていたが、身体を動かすうちどちらも気安く声を交わすようになった。木材を切り分けるベオクが何か冗談を言ったらしく、周囲で手を動かしていたラグズ数人がどっとにぎやかな笑声を沸かせている。ここにいるベオクはみな平民で、アイクのような貴族の姿はないのだった。
「城にいてもすることがない。身体を動かしていたほうが、気が紛れる」
 憮然としている。不機嫌の理由を再会の折に聞かされていたライは、両手が塞がっているので尻尾を使いアイクの腰を打った。便利だな、と少々ずれた感想をよこした友人に笑みを送る。
「心配することないって。ティアマト姉さんと小さな参謀どの、手綱役にミストちゃんもついてってくれたんだろ? おまえがいなくたってうまくやってるさ」
「そうじゃない。その心配ならまったくない、セネリオは口にしたことは必ずやり遂げる奴だからな」
「じゃあエリンシア女王のことか?」
 まだ外壁しかできていない教会の、扉のない入口に木材を下ろしながらさりげなく声をひそめる。同じように石塊を地に置いたアイクは、ライの視線を浴びて珍しく口ごもった。埃の舞い上がる空は曖昧に青く、そんなものよりも近くにある青年のもつ色味のほうがよほどあざやかだ。決して濁らず何にも染まらず、身を飾る母親譲りの青のように迷わないのがライの知るアイクで、彼が言葉に詰まる様などほとんど見たことがない。
「どうした?」
「……いや。そうだな、貴族連中のことを考えてた。よほど俺が気に入らんらしい」
「んー、まあなぁ。おまえって味方も敵も多いからなー」
 たとえばアイクの率直さ平等さを好ましいと感じる者がいる反面、それが鼻につく人間も少なくない。型通りの儀礼と上滑りする美辞麗句しか知らない貴族たちがアイクの歯に衣着せぬ物言いを嫌うのも、無理はないだろう。一応最低限の礼儀はわきまえているつもりらしいが、ガリア王国を統べる獅子王カイネギスにすら態度を変えようとしない図太さに、ライは当時腹を立てるのも忘れて感心したものだ。媚びも萎縮もせず、アイクは雇い主であるはずのエリンシアよりも目立っていた。こいつは本当にあのひ弱で傲慢なベオクの仲間なんだろうかと疑心をもちさえしたのだった。
 だがどれだけ不遜にみえても、アイクが何も感じていないわけではないだろう。若くして父の遺した傭兵団を継いだアイクは、もともと下手だった感情表現を一層抑えこんでしまったのだという。なんでも溜めこんでしまうんだからとライの前でこっそり溜め息をついたのは、凛とした美貌に姉や母に似た気遣いを滲ませる傭兵団の副長だった。その彼女は今、セネリオら傭兵団を率い、アイクを通したエリンシアからの密命を受け王都を離れている。
「城内じゃおとなしくしてろよ、アイク。せめて参謀どのがおまえのところに帰ってくるまではさ」
「言われなくてもわかってる。セネリオにも散々、暗唱できるほど言い含められたからな」
「そりゃ言いたくもなるって。今のおまえかなり危なっかしいぜ、自覚ある?」
 クリミアの内部で危険な波に揺られているのは、何も女王だけではない。小さな傭兵団の長から一躍将となり女王の信頼を一身に受ける年若い英雄、アイクを政争の武器にと欲する貴族は多かろうし、そうでなくとも彼の肩書きは栄光と同量の妬み嫉みを生み出すものだ。政権の整いきらない今を狙ってアイクを失脚させようと企む輩がいないとも限らない。それに、何よりも。
「――ライ?」
 一対の深い青色が不審を添えてライを映していて、思考の泥濘にはまりこんでいたことを悟られぬようへらりと頬を緩ませる。いよいよ胡散臭そうに顔をしかめたアイクの、以前より確実に位置の高くなった肩を抱き、明るい水色の耳を震わせた。埃っぽい空に軽やかな鐘の音が吸いこまれていく。
「……お、もう昼か。ちょうどいいや、飯食いに行こうぜアイク」
「それは構わんが……、そういやライ、おまえどうしてこんな場所にいるんだ? 大工仕事ができるほど暇じゃないだろう、そっちも」
「ん? ああ、午後から女王と謁見なんだけどさ、おまえんとこ遊びに行ったらここにいるって聞いたから」
「……のんきに飯食ってていいのか、それは」
「やばかったら誘ってないさ。ああ腹減った」
 空いている手で腹をさする。ともに建造に従事していた者も食事を摂りに行くようで、なごやかな談笑が繁華街へと向かっている。彼らは通り過ぎざまアイクと隣のライへねぎらいや感謝の言葉を投げかけて、あまりにも気安く親しみに満ちたそれに、アイクがこうして城下の復興に手を貸すのが珍しくないことを知る。そこまでせずともいいだろうに、自分にできることがあれば何ひとつ切り捨てようとしないその強情すらライには好ましく、同時に気がかりの種となる。貴族のなかに身を置くにはアイクはあまりにも、あらゆることに素直すぎる。
 二年たらずで遥か過去から続くラグズとベオクの因縁の壁にひびを入れたかけがえのない友人の、強い意志に閃く眼を曇らせたくはなかった。
 アイクの肩に回した腕に力をかける。ことさらに耳と尻尾を垂らし、ライは真実心底からの呟きをこぼした。
「オレはガリアにおまえを迎え入れたかったよ」
 ともに戦ったレテやモゥディはもちろんのこと、カイネギス王さえもアイクを気にかけている。ガリアで暮らすのは、将軍だ英雄だとちやほや持てはやされて堅苦しい行事に駆り出されるこの国にいるよりも、アイクの性によほど合っているに違いないのだ。アイクがエリンシアの手をとる前に一声でもかけていればと、ライは今でも時折悔やむが、そこで彼女を払いのけるような男ならば彼ではないということもわかっている。
「ガリアか。懐かしいな。獅子王には改めて挨拶に行きたいと思っていた」
「ならちょうどいい。謁見を済ませればオレの任務終了だし、一緒に帰ろうぜ」
 尻尾を振りながら気楽に提案すれば、当然アイクはいつもの仏頂面で即座に却下する。