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完璧な灰にはなれないけれど

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 しぶとい残照にすっきりとした表情を輝かせて、エリンシアはゆっくりと口をひらいた。衣擦れの音をさせてしゃがみこみ、アイクと視線の高さを同じくするとにっこり笑ってから長い睫毛を伏せる。
「確かに、一部貴族から、私がアイクさまを偏重しているという指摘はたびたびありました。……今回が初めてではないんです」
 知らなかった。思っていたよりもアイクに敵意をもった人間は宮中にあふれていたらしい。これはミストの言うとおりかと苦虫を噛むアイクは、セネリオやティアマト、オスカーらが陰に日なたに、さりげなく害意から遠ざけようとしていたのを知らない。
 彼らを過保護と笑うことができないほど、一平民、傭兵ふぜいから救国の将にまで昇り詰めたアイクに対する反感は高まっていたのだ。
「そのたびに私は彼らをごまかし続けてきました。気づいたときには、まだ私にはアイクさまの助力が必要だと、今離れられては困るからと、自分にも言い訳を重ねるようになっていました」
「エリンシア」
「……でも、それではいけないということもわかっていたんです。このままアイクさまを将軍として城に置き、その存在に甘えていては、……私はどこまでもひとりで歩くことを諦めたままで生きてしまうでしょう」
「あんたはそんな女じゃない」
「続けさせてください。……私がそうして足踏みしていれば、アイクさまが歩調を合わせてくださるのも知っていました。申し訳なくて、そのくせ先に行ってほしくはなくて。卑怯ですよね、こんな」
 自らを指して卑怯と称した女王の、華奢な肩が震えている。慰めようとしたのか、単純にその震えを押さえこもうとしただけなのかアイク自身判然としないまま触れようとした手は、エリンシアの静かな微笑に拒まれた。
 行き場を失って惑う手を握りしめアイクは眉を寄せる。エリンシアがなんと言おうと彼女が汚い真似をしていたとは思わない。アイクはあくまでもアイクの意思でメリオルに留まり、そして去るのであり、そこにエリンシアの関わる責はありえなかった。
「……うまく言えんが、エリンシアは俺を買い被りすぎているな」
 父のように大きくもないこの手は無骨なばかりで、目の前で震える娘に触れることさえできずにいる。エリンシアがそこまで思い詰めるほどのことができていた自覚はまったくなかった。アイク個人がエリンシアにしてやれたことといえばたったひとつで、それすらほんのささやかなことだ。
「俺はただ、あんたの手をとっただけだ」
「ただ、ではありません。……とても、とても大きなことです。この椅子から、」
 と、エリンシアは傍らの椅子にそっと手をかけた。
「私を立ち上がらせてくれました……あの手がこのクリミアの、私の、再出発だったんです」
 俯くエリンシアの表情をつやのある翠髪のひとふさが隠してしまう。顔を見たくてそれを梳き上げると、女王は目を伏せ祈るように微笑んでいた。赤く熟れた光線がやわらかい輪郭の頬を燃やしているから、そこにアイクの手が落とす影がはっきりと黒い。
 その陰影を見守るアイクへ、エリンシアは椅子を撫でていた手を差しのべる。琥珀の瞳にアイクを映し上品に笑う。
「もう一度だけ。私を、バルコニーへ連れて行ってくださいませんか」
 爵位を返上すると告げたアイクへの、それがいらえだった。
 目の前に落とされた華奢な手に、アイクは無言で自らのそれを重ねる。思いのほか強く握ってくる力と同じものを返しながら身を翻せば、とろけそうな光のたゆたう向こう側に影だけのバルコニーが見えた。新たな国主を迎えて歓喜する民の声の代わりに響くのは復興しつつある城下の活気に満ちた息吹だ。いつかと酷似していて、決定的に違う世界のなかにエリンシアをいざなう。
「私、強くなります。アイクさま」
「今以上にか?」
 冗談でもなく返答するとエリンシアは朗らかな声を弾ませた。
「はい。私だけできちんと立てるようになれたなら、お父さまのような執政者になれたなら……そうしたら私、きっとアイクさまの隣に立つ自分を恥じずにいられると思うんです」
「強くなるなら、もう俺の手もいらんだろう」
 ちらと笑いながら繋がった手を引く。これから離すために結んだ指先は、もう二度と触れることもない。それを指摘するアイクの傍ら、しかしエリンシアは咲くように微笑む。訝しさに眉をひそめたアイクに確たる言葉での返答は与えられなかった。
「本当に……アイクさまと出会えてよかった。……ありがとうございます」
 その代わりに宙にころげた囁きの懐かしさがじわりと腹の奥に広がる。
「……まるでいつかの繰り返しだな」
 そうですね、と楽しげなエリンシアの笑声が斜光のなかに溶けていく。
 バルコニーへ並んで足を踏み出せば、残照が惜別の感などなく、まるで祝福の光輝のようにあたたかに、ふたりの輪郭さえもやわらかく溶かしたのだった。