絶望と希望のドア
先に撃ち落とされたのは、本当は、
あの人は、全てを受け入れる振りをしていながら、本当はすべてを拒絶する。人に対してもモノに対しても、感情に対してもそうだ。
誰より人を愛しているくせに人から愛されることを心から望んではいない。愛する人間が傷つきのたうつ様を、遠く、自分には関与できないほど遠くから見下ろして、ああ人間らしいと笑う。
神様のような感情。悪魔のような所業。それが、折原臨也という人間だ。それを僕は池袋にきていやというほど知ることになった。
なのに、どうしてだろう。彼の行動から、そして次第に彼自身から、目が離せなくなって
気づけば追っていた。そう、追いかけるのはいつも自分で、手が届くことはない。彼がたどってきたものの上に立ち、そこからまた彼の後ろ姿を追って、いよいよ諦めそうになったとき、そんなぎりぎりの絶妙のタイミングで彼は振り向いて、一瞬だけ僕を待つんだ。その効果を嫌ってほど、わかっていて、
そうやって僕をあしらう。遊ばれているのがわかっていて、それでも僕は彼を追いかけてしまう。
追いかけて追いかけて、いい加減つかれてしまったときになってようやく、振り返った彼が僕に向かって手を差し伸べたんだ。僕はそうされて初めて、自分が臨也さんを好きだったってことに、気がついた。そんなことまで、先に気づいてしまうのは臨也さんの方だった。
「選ばせてあげるよ」
臨也さんは、自分の気持ちを言ったりしなかった。僕が向ける感情が恋だと知っていながら、返事をしたりはしない。ただ、自分の傍にいたいのかそうじゃないのか、僕に選ばせてあげるとだけ言って笑った。
この手をとったらきっとダメになる。僕の周囲は一変してしまうし、僕自身も変わってしまう。この手をとったその先には、希望なんか絶対にない。
そう、わかってたのに。
僕はやっぱり自分の感情に抗うことができずに、すこし骨張った形の良いその手を、とってしまった。彼はひどく満足げにそのまま僕の手を引いて抱きしめた。
僕が男であることに疑問を持たないのか、こういうことに慣れてるのか、彼の真意は一切わからない。その中で
はじめて感じた温かさが、彼も人であるということを僕に痛感させて、なんともいえない気分になったのは確かだ。
僕は彼にどうして欲しかったのかな。報われない恋だと気づいていながら、同じ感情を返してほしいと願い、
想うだけでいいと諦めながら、その隣に寄りそう。
彼は無駄なことを一切しない。だから何の意図で僕を傍においたのかはわからないけれど、もしかしたらこうやって思い悩む僕の姿を見て、これこそ人間らしいと、笑いたかったんだろうか。
ああ、いかにも臨也さんらしくて笑えない。進展のない関係のまま、僕はいつ捨てられるかもしれない玩具のような「臨也さんのコイビト」であり続ける。
「おいで」
池袋の雑踏。人の波でひしめきあうスクランブル交差点。信号が赤に変わりそうになって、臨也さんが振り向いた。当たり前のように手を差し出す。歩行者信号が点滅して、臨也さんが再度それを確認する。僕は動けなかった。
いつも、その声に導かれるように惹かれるように、また追いかけてしまう。いつもいつも、その繰り返しだ。
僕の目が杏里だけを追っていられたら、どんなに楽だっただろう。高校生らしい青春を送り、普通の恋が、できたら。
どんなに。
「いざや、さん」
数歩前にいる彼を呼び止めた。信号が赤に変わる直前で、走って横断する学生やサラリーマンの姿が視界を遮っては消える。人の波が少なくなる中、彼は僕の声に振り返り、相変わらず真意の読めない爽やかな表情で僕をみた。
「どうしたの。赤になるよ、早く…」
「僕、は」
打破したい、と思ったわけではなかった。前に進みたかったわけじゃない。何かを望んだこともない。彼を好きだと気づいた時点で、そんな希望は捨てたはずだった。
最初はただ、一緒にいられればよかった。彼の背中を追いかけているだけでも、いいと思ってた。でも彼が時々気まぐれに振り返るから、その度僕は足を止めて、ありもしない期待を抱いては消すという行為を繰り返す。もしかしたら臨也さんはそんな僕を見て楽しんでいるのかもしれないってことも、なんとなくわかっていたけど、気づかない振りをしていた。そうじゃなければあまりに不毛だと知っていたから。
どうしてこの人なんだろう。
絶対に幸せになれない。絶対に報われない。絶対に後悔する。悪循環だらけで良いことなんかひとつもなくて、この恋は相手が「折原臨也」だと気づいた瞬間に終わりを告げていた。僕の中では。まるで悪魔か神様のどちらかに恋をするようなものだと思ったからだ。そのどちらだとしても、未来なんかない。
誰かひとりの手に余るような人じゃない。わかってた。だからこそ惹かれたんだということも。最初はそれでよかったから。
いつからこんなに我侭になってしまったんだろう。彼を見ているだけでいいと思っていた頃の自分は、彼に見てもらいたいだなんて大それた事、考えもしなかった。それが彼を信奉する女の子たちの感情と同じだといわれても、否定なんかできなかった。なのに、
彼と一緒に居て、すぐそばにいて、自分だけは特別なんじゃないかと
期待して、しまうんだ。このままじゃダメになる。
いつまでもこのままじゃいられない。そう思ったのは僕の中で何かが変わったのか、臨也さんへの想いが増したせいなのか、それは定かじゃなかったけど、駆け引きなんか一切ない世界で、この人がどう出るのか、一種の賭けでもあった。
彼を想い続けて終わるならそれでいい。
その時は何故か漠然と、そんなことを思って、
「貴方が好きでした」
涙であふれた視界の向こうで、臨也さんの姿がぼやける。僕を引っ張ろうとして伸ばされた指先に一瞬だけ触れて、僕は初めて自分からその手を離した。
さっきまで青かった歩行者信号は真っ赤に変わっていて、左右から聞こえるけたたましいクラクションの音が、逆に僕を現実から遠ざけていく。
僕を現実に引き戻したのは、痛いくらいに強く僕の手首を引っ張る、その人の手の感覚だった。
「…っ、バっっカじゃないの!?」
「…いざや、さん」
まるで静雄さんに引っ張られたのかと思うくらい強い力で引っ張られた僕は、引っ張ってくれた相手の上に乗り上げるようにして歩道に倒れ込んだ。さっきまで僕が立っていた横断歩道の上を、何事もなかったかのように車が通り過ぎていく。街を行き交う人の波は、一瞬だけ僕らに訝しげな視線を向けるものの、自分には関係ないとばかりに、車と同じように通り過ぎて行った。
僕と彼だけが、その場に縫い止められていて、僕の下敷きになった臨也さんは、いててて、と体を起こしながらそのまま僕を抱きしめる。抱きしめるというよりも、怪我がないかどうかを確認するような触り方だった。
「…怪我は、ないね…」
「あの、どう、して」
あの人は、全てを受け入れる振りをしていながら、本当はすべてを拒絶する。人に対してもモノに対しても、感情に対してもそうだ。
誰より人を愛しているくせに人から愛されることを心から望んではいない。愛する人間が傷つきのたうつ様を、遠く、自分には関与できないほど遠くから見下ろして、ああ人間らしいと笑う。
神様のような感情。悪魔のような所業。それが、折原臨也という人間だ。それを僕は池袋にきていやというほど知ることになった。
なのに、どうしてだろう。彼の行動から、そして次第に彼自身から、目が離せなくなって
気づけば追っていた。そう、追いかけるのはいつも自分で、手が届くことはない。彼がたどってきたものの上に立ち、そこからまた彼の後ろ姿を追って、いよいよ諦めそうになったとき、そんなぎりぎりの絶妙のタイミングで彼は振り向いて、一瞬だけ僕を待つんだ。その効果を嫌ってほど、わかっていて、
そうやって僕をあしらう。遊ばれているのがわかっていて、それでも僕は彼を追いかけてしまう。
追いかけて追いかけて、いい加減つかれてしまったときになってようやく、振り返った彼が僕に向かって手を差し伸べたんだ。僕はそうされて初めて、自分が臨也さんを好きだったってことに、気がついた。そんなことまで、先に気づいてしまうのは臨也さんの方だった。
「選ばせてあげるよ」
臨也さんは、自分の気持ちを言ったりしなかった。僕が向ける感情が恋だと知っていながら、返事をしたりはしない。ただ、自分の傍にいたいのかそうじゃないのか、僕に選ばせてあげるとだけ言って笑った。
この手をとったらきっとダメになる。僕の周囲は一変してしまうし、僕自身も変わってしまう。この手をとったその先には、希望なんか絶対にない。
そう、わかってたのに。
僕はやっぱり自分の感情に抗うことができずに、すこし骨張った形の良いその手を、とってしまった。彼はひどく満足げにそのまま僕の手を引いて抱きしめた。
僕が男であることに疑問を持たないのか、こういうことに慣れてるのか、彼の真意は一切わからない。その中で
はじめて感じた温かさが、彼も人であるということを僕に痛感させて、なんともいえない気分になったのは確かだ。
僕は彼にどうして欲しかったのかな。報われない恋だと気づいていながら、同じ感情を返してほしいと願い、
想うだけでいいと諦めながら、その隣に寄りそう。
彼は無駄なことを一切しない。だから何の意図で僕を傍においたのかはわからないけれど、もしかしたらこうやって思い悩む僕の姿を見て、これこそ人間らしいと、笑いたかったんだろうか。
ああ、いかにも臨也さんらしくて笑えない。進展のない関係のまま、僕はいつ捨てられるかもしれない玩具のような「臨也さんのコイビト」であり続ける。
「おいで」
池袋の雑踏。人の波でひしめきあうスクランブル交差点。信号が赤に変わりそうになって、臨也さんが振り向いた。当たり前のように手を差し出す。歩行者信号が点滅して、臨也さんが再度それを確認する。僕は動けなかった。
いつも、その声に導かれるように惹かれるように、また追いかけてしまう。いつもいつも、その繰り返しだ。
僕の目が杏里だけを追っていられたら、どんなに楽だっただろう。高校生らしい青春を送り、普通の恋が、できたら。
どんなに。
「いざや、さん」
数歩前にいる彼を呼び止めた。信号が赤に変わる直前で、走って横断する学生やサラリーマンの姿が視界を遮っては消える。人の波が少なくなる中、彼は僕の声に振り返り、相変わらず真意の読めない爽やかな表情で僕をみた。
「どうしたの。赤になるよ、早く…」
「僕、は」
打破したい、と思ったわけではなかった。前に進みたかったわけじゃない。何かを望んだこともない。彼を好きだと気づいた時点で、そんな希望は捨てたはずだった。
最初はただ、一緒にいられればよかった。彼の背中を追いかけているだけでも、いいと思ってた。でも彼が時々気まぐれに振り返るから、その度僕は足を止めて、ありもしない期待を抱いては消すという行為を繰り返す。もしかしたら臨也さんはそんな僕を見て楽しんでいるのかもしれないってことも、なんとなくわかっていたけど、気づかない振りをしていた。そうじゃなければあまりに不毛だと知っていたから。
どうしてこの人なんだろう。
絶対に幸せになれない。絶対に報われない。絶対に後悔する。悪循環だらけで良いことなんかひとつもなくて、この恋は相手が「折原臨也」だと気づいた瞬間に終わりを告げていた。僕の中では。まるで悪魔か神様のどちらかに恋をするようなものだと思ったからだ。そのどちらだとしても、未来なんかない。
誰かひとりの手に余るような人じゃない。わかってた。だからこそ惹かれたんだということも。最初はそれでよかったから。
いつからこんなに我侭になってしまったんだろう。彼を見ているだけでいいと思っていた頃の自分は、彼に見てもらいたいだなんて大それた事、考えもしなかった。それが彼を信奉する女の子たちの感情と同じだといわれても、否定なんかできなかった。なのに、
彼と一緒に居て、すぐそばにいて、自分だけは特別なんじゃないかと
期待して、しまうんだ。このままじゃダメになる。
いつまでもこのままじゃいられない。そう思ったのは僕の中で何かが変わったのか、臨也さんへの想いが増したせいなのか、それは定かじゃなかったけど、駆け引きなんか一切ない世界で、この人がどう出るのか、一種の賭けでもあった。
彼を想い続けて終わるならそれでいい。
その時は何故か漠然と、そんなことを思って、
「貴方が好きでした」
涙であふれた視界の向こうで、臨也さんの姿がぼやける。僕を引っ張ろうとして伸ばされた指先に一瞬だけ触れて、僕は初めて自分からその手を離した。
さっきまで青かった歩行者信号は真っ赤に変わっていて、左右から聞こえるけたたましいクラクションの音が、逆に僕を現実から遠ざけていく。
僕を現実に引き戻したのは、痛いくらいに強く僕の手首を引っ張る、その人の手の感覚だった。
「…っ、バっっカじゃないの!?」
「…いざや、さん」
まるで静雄さんに引っ張られたのかと思うくらい強い力で引っ張られた僕は、引っ張ってくれた相手の上に乗り上げるようにして歩道に倒れ込んだ。さっきまで僕が立っていた横断歩道の上を、何事もなかったかのように車が通り過ぎていく。街を行き交う人の波は、一瞬だけ僕らに訝しげな視線を向けるものの、自分には関係ないとばかりに、車と同じように通り過ぎて行った。
僕と彼だけが、その場に縫い止められていて、僕の下敷きになった臨也さんは、いててて、と体を起こしながらそのまま僕を抱きしめる。抱きしめるというよりも、怪我がないかどうかを確認するような触り方だった。
「…怪我は、ないね…」
「あの、どう、して」