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駆け出す虹色

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 奇跡という言葉がある。
 目の前のモニタに映し出される映像、たった二十一球の攻防が伝説のように語り継がれ、四半世紀経た今も自分の心臓を高鳴らせるように。
 流れる映像を見ながら、阿部はそんなことをぼんやりと思った。
 正直、インタビューに答えていたオヤジは、自分の大嫌いなピッチャーをそのまま形にしたような人間だった。どこか傲慢で垢抜けずふてぶてしい。どう贔屓目に見てもカタギとは思えないセンスも耐えがたかった(この時代のVTRを見る限り、どの選手も似たようなものなのだが)。
 ところがだ。マウンド上のオヤジはまるで歴戦の古兵だった。日本シリーズ第七戦、九回裏、無死満塁、点差は1点。絶望が過言ではない状況で、男はフィールドで一番高い場所に屹立し、真正面に打者と対峙していた。
 背負っているのはランナーだけではない。エースの看板だ。
 思って阿部はひとり頬を染めた。芝居じみた言葉は胸のうちに沸いただけだ。隣に座る三橋に聞こえるわけもないのだが、気取られたような気がしてちらりと視線をやる。
 三橋は、食い入るように画面を見つめていた。気づいた様子は微塵もない。安堵と奇妙な落胆が同時に押し寄せる。小さく息をつき、阿部は再び画面に目を戻した。
 この試合の結果は知っている。このビデオのタイトルに冠される投手が在籍するチームが勝って日本一を決めた。既知の結果に向かって進むだけのシナリオを見ているはずなのに、一球進むごと、不思議と鼓動は速くなる。一番の見所の、投手の判断でスクイズを外すシーンでは息を呑んだ。
 三橋も同じなのだろう、大きく息をつく声が、スピーカーからの歓声と共に耳に届く。
 試合は続く。最後の一球は落ちるカーブだった。バットが空を切る。
 瞬間、背筋が震えた。
 極大になる歓声に押されるように、投手が両手を挙げ、捕手に向かって駆け出す。阿部はため息をついて緊張を解くと、ソファの背中に身を預けた。
 今はもう存在しない球場で行われる、今はもうないチームの試合は、設備も野球体系も古い。参考になる部分など、ほとんどありはしないのだ。
 それでも、誘われるままにビデオを見に来たのは、この『何』とは言いようのない感情を味わいたいが故のような気がする。それは多分三橋もだろう。彼の視線は未だモニタの上だ。高潮した頬が何よりも顕著に三橋の興奮を表していた。
 三橋は夢を見るような、いや、それよりはずっと強い、憧れの人に向けるものに近い目でモニタを見つめていた。瞳孔が画面の光を反射し、輝いて見える。彼は手探りでビデオのリモコンを引き寄せると、阿部の了解も取らず、ビデオを巻き戻した。逆再生される場面はスクイズのシーンでぴたりと止まり、再び正しい流れで動き出す。
 二度目の映像を、阿部はいくらか冷静な視線で観察した。
 この一点。
 確かに試合はここで変化した。相手に行きかけていた流れを自チームに引き寄せたのは確かにこの一投だ。
 試合には必ず流れがある。ポジションの都合、阿部はそれを実感していた。四球後の捕手の後逸。あの瞬間、明らかに流れは敵のチームにあった。それをまるで力ずくのように引き寄せたのは、他でもないこの投手だ。エースならではの力とも言える。あるいは、その力のある人間をエースと言うのだ。
 はたして、瞳を輝かせてこのシーンを見ている目の前の人間はどうかというと、甚だ頼りなかった。阿部は小さな溜息をついた。テレビの中のオヤジと三橋を比べることはできない。背負うものの風格は、自覚がなければ生まれない。三橋はそれを得るための自信がなさすぎたが、それは追々、自分が与えてやれるものだ。
 いつか、と阿部は思った。
 いつか三橋は本当のエースになる。俺の手で。
 背中が小さく震える。無論、それは不快からではない。未来に対する明確なビジョンは、エースになった三橋の球を受ける自分をも想像させた。後2年。2年後の三橋は、どんな球を投げるのだろう。来年になれば、ぐっと筋力が増しているはずだ。となれば、球威も。
 考えるだけで心音が上がる。
 俺は運がいい。
 その幸運は今、目の前で再現されていたの奇跡の試合にも似ていた。誰に感謝していいのかは良くわからない。野球の神様がいるとすれば、その神にだろうか。野球の神。なんとなく長島が思い出されて、阿部は吹きだした。そんな能天気な神はいやだ。
 モニタ上の映像が、再び胴上げを始める。
 それがぴたりと止まり、また逆回転を始めた。
「三橋……」
 急に現実に引き戻され、阿部はリモコンを弄る三橋に声をかけた。はっとした顔で三橋は阿に視線を向け、瞬間、しまった、という表情を見せた。それから、ごまかすように引きつった笑みを作る。
 俺の存在忘れてやがったな、この野郎。
「他のビデオもあるんだろ。違うのにしろよ」
 感じた薄い怒りが言葉に棘を作る。
「あ、う、うん」
 小さくなって頷く。三橋はそれでも名残惜しそうにビデオを止めた。
 それから三橋はソファからずるずると移動して、デッキの前まで移動した。ぺたりと床に座りこむと、積み上げてあるテープを取り上げ、裏書を読む。納得したようにうなづくと、三橋はそれを右へ置いた。次のパッケージの裏書を読む。それも、右へ。
 半分ほどそれを繰り返した後、三橋は困惑した顔で阿部を振り返った。
「阿部くんは どれがいいと思う……?」
 どうやら本人は興味のあるビデオとそうでないものを分けているつもりだったようだ。三橋の様子を見るに、右が見たいものなのだろう。手に取ったビデオすべてを右の山に積んでいる。選択の意味がまるでなかった。
 阿部は小さくため息をついた。選択できないのなら、手に取ったビデオを差し込めばいいのだ。どうせどれが再生されたって、自分たちはその映像を楽しむことができる。
「なんでもいいよ」
 興味なさそうに言うと、三橋の眉尻が泣き出す前のように落ちた。
「あー、つまんないわけじゃないから」
 阿部は先回りして三橋の不安を打ち消した。ホントこいつはめんどくさい。これもまた自信がないせいなのだろうけれど、三橋の態度は時に行き過ぎていた。まるで他人を信用していないようにも思える。
 せめて俺のことぐらい。
 口を開きかけて、阿部ははっとした。
 今、俺、滅茶苦茶恥ずかしいことを言いそうになんなかったか?
 自覚したとたん羞恥が溢れた。せりあがってくるような熱がいたたまれない。赤くなる頬をごまかすように、阿部は三橋から視線を外した。
「投手のやつがいい」
「え……?」
「ビデオ。出来れば組み立ての上手い選手の」
 ぶっきらぼうな声で言う。
「あ、う、うん!」
 阿部の態度に困惑していたのだろう三橋は、ようやっと理解できる言葉に反応して大きく縦に首を振った。
思いのほか簡単に話題が逸れてくれたことに安堵の溜息を漏らすと、阿部は再びパッケージを読みはじめた三橋の横顔をぼんやりと見つめた。
作品名:駆け出す虹色 作家名:ミシマ