不機嫌な防波堤
不機嫌な防波堤
1.
シンッ……と水を打ったように静まり返った会議の場。
不用意な発言がその場の空気を一瞬にして凍りつかせてしまったようだと察知して、今すぐにでもこの場から逃げ出したい衝動に駆られたが、隠しようもない本心を否定するようなことだけはしたくなかった。
こうなれば後は野となれ山となれ、ヤケクソだ、このヤローと開き直る。
「随分、はっきりとモノを云ってくれる」
冷め切った金属音に近い声音が不気味に響き渡った。
「――—仕方がなかろう。嘘偽りない本心だからな」
冷たさを打ち消すように燻る熱を孕んだ目で冷ややかな声の主を睨みつける。
「ア…アルデバラン……」
不穏な空気を放つ両者の間に挟まれたアイオリアがヒクヒクと口元を引き攣らせているのにはさすがに申し訳ないとは思うものの、譲ることのできない気持ちだ。まったく引く気にはなれなかった。
「ふぅん……それ、そのまんま教皇の耳に入れても構わないのかい?」
冷たい美貌から刺すような視線を放つアフロディーテにコクリと頷きを返すと、再びその場がざわつき始めた。すると、ざわつきを制するように厭味なほど冴えた声が響き渡る。
「別段、良いではないか、アフロディーテ。その懸案はこのシャカひとりで事足りたこと。アルデバランの力など不要。いや、むしろ……足手纏いだ」
充分すぎるほど冷えに冷え切ったシャカのその態度は痛快なほどである。
「―――だろう?シャカ自身もこう言っていることだし、俺は俺でやりたいことがあるのでな。悪いが戻らせてもらう」
ガタンと勢いをつけて立ち上がると、引止める声にも答えることなく、振り返りもせずにその場を後にした。
【 不機嫌な防波堤 】
「―――言った筈だぞ。俺はおまえのことが身の毛もよだつほど嫌いだと」
ようやく子供たちを寝かしつけ、ほどよい疲れに包まれながら、本格的に振り出した雨音と木々を揺する風音をBGMにしながら、慰み程度にアルコールを摂取しようと立ち上がったその時、扉を規則正しく叩く音がした。
アルデバランが修行の場として、かつ安らぎを与える場として選び、身を置いていた此処は寂れた村のさらに奥地ともいえる辺鄙な場所。しかも時折窓を叩きつける雨音は闇の静寂を掻き乱してもいる。この天候で、ましてやこんな時間に訪れる無用心な村の者など居ないはずだった。
夜更けの訪問者を不審に思いながら、アルデバランは慎重に扉を開けると、其処に立っていた男に目を丸くした。開口一番アルデバランの口をついて出た冒頭のような言葉に出迎えられ、僅かながら柳眉をつりあがらせて扉の前に立っていたのは誰あろうシャカであった。
「私も確かに聞いたがね……君が私のことを嫌いだと」
淡々と答えるシャカは重たげな髪のひと房からポタリと雨粒を滴らせていた。目の前に立つ人物が別の者であれば、僅かにでも同情し、すぐさま部屋の中へと招きいれたことだろう。だが、アルデバランは扉のノブに手をかけたまま、ごく当然のようにしかめっ面を浮かべていた。
「だったら、なぜ……おまえは今、俺の目の前に居る?」
「君が蹴った勅命は問題なく解決したよ、私ひとりで……ね」
ゴウッと不気味に木々を揺らす風が容赦なく降る雨滴を室内にも忍び込んだ。大方はシャカの背に叩きつけられていたが、薄っぺらな壁はあまり役に立ってはいなかった。
「そのことをワザワザ伝えに来たとでも?はっ……それはご苦労なことだ」
これ以上、扉の内を雨で濡らしたくはないというように、アルデバランが勢いよく閉めようとした扉は20センチほどの間を開けたまま、ぴたりと動きを止めた。シャカの手によって止められた為に閉まりそこなったのだと気付いて一層アルデバランは不機嫌さを醸し出していた。
「……それから、もうひとつ」
「なんだ?」
下らないシャカとの会話を終わらせて、少しでも早く、損なった機嫌を直すために酒を煽ろうとアルデバランの意識は既に部屋の中へと向けられていた。
「君が私を嫌う理由とやらを教えて頂こうと思ってね」
一瞬、何を言われたのかわからず沈黙したアルデバランはまじまじとシャカの顔を眺めた。相変わらず、感情を読み取ることのできない、日本の能面のような顔である。
「ふんっ!聞いたところでどうする?少しでも直すつもりはあるのか?」
ことさらに皮肉を込めて声を張り上げるが、シャカは白い頬を滑る滴のように「さらさらそのつもりはない」と淡々と答えるのだった。
「……帰れ」
今度こそ勢いよく、扉を閉めることに成功したアルデバランであった。